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「ミロのことば 私は園丁のように働く」書評 自己を捨てることで自己を肯定

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2025年06月28日
ミロのことば 私は園丁のように働く 著者:ジュアン・ミロ 出版社:平凡社 ジャンル:アート・建築・デザイン

ISBN: 9784582839845
発売⽇: 2025/05/08
サイズ: 13.4×18.3cm/96p

「ミロのことば 私は園丁のように働く」 [著]ジュアン・ミロ

 「私は園丁のように働きます」とは、王室の菜園で野菜を育てる園丁のように、葡萄(ぶどう)を栽培しワインを醸造する職人のように、自然の摂理に従うということなのです。ミロはアンリ・ルソーを敬愛するように、純朴な芸術、民藝(みんげい)に惚(ほ)れ込んで「創(つく)り人知らず」は個人的な行動こそが匿名性が高く普遍に近づくと、ミロは確信しているのです。
 全編通して彼は、自己を捨てることで自己肯定を主張し、無名の中に私自身を探求し続けます。「否定の否定」というマルクスの言葉を通して「私たちは肯定する」と言う。そんなミロは冒頭、ペシミスティックな自分を露呈するのです。自分は寡黙な人間であり、生きることはどうしようもなく悲しく、すべてが悪い方へ、より悪い方へ向かっていると嘆く。
 でも自分の絵がユーモラスであるのは自分の悲観的な性分から逃げ出したいという心の希求であるが、自分の意志とは別のところで起こる無意識の反応、と自己分析もしてみる。一方で求めているものは精神の緊張だが、この緊張感は酒やドラッグのような化学的手段ではなく、詩や音楽、建築、毎日の散歩の中であったり、馬の蹄(ひづめ)の音であったり、夜中に泣く赤子の声であったり、コオロギの羽音が、呼び覚ますという。何もない空間、何もない地平線、何もない平原、つまり虚空、空っぽなものすべてにミロは感銘を受けるというのです。
 そんな精神的に充実したミロがどうして悲観主義者なのでしょうか。真に人であろうとするから偽りの自分から自分を解放して、自分がミロであることをやめなければならないのです。僕はこんな一筋縄ではいかないミロに引かれたり押されたりしながら、ミロの創作の秘密を盗みました。このミロの秘密は僕の秘密でもあります。彼の秘密だから僕の秘密でもあるので、そう簡単には明かせません。内緒。
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Joan Miró(1893~1983) スペイン・カタルーニャの芸術家。シュルレアリスム絵画、彫刻、陶芸などで知られる。