ISBN: 9784336076946
発売⽇: 2025/04/22
サイズ: 2.5×19.6cm/288p
「割れたグラス」 [著]アラン・マバンク
コンゴ共和国の港湾都市の下町に店を構えるバー〝ツケ払いお断り〟。その片隅に、酔っ払いたちの与太話をノートに記録し続ける一人の男、ひと呼んで《割れたグラス》がいる。ノートに登場するのは《頑固なカタツムリ》《パンパース男》《印刷屋》《蛇口女》に《間違いゼロ》と、名の通りの奇人揃(ぞろ)い。延々とくだを巻く言葉の渦に一度身を預ければ、たちまちつられ酔いして目が回り、簡単には抜け出せない。古今の文学作品のタイトルや引用がふんだんにちりばめられた真偽不明のこの語りが、めっぽうおもしろすぎるのだ。
《割れたグラス》が綴(つづ)る文章には、終わりがない。つまり、句点(ピリオド)がひとつも打たれない。文章の塊はどこにも着地せず、唐突な空白を挟んでまたべつの塊がやってくる。存在しない終着点に向かっていかがわしい迂回(うかい)のルートを示すのは、ピンのように小刻みに打たれた読点。この魔術的読点を辿(たど)っていくうち、自然と読者は突拍子もない話を突拍子もないままに受け入れてしまうことになる。妻に陥れられ壮絶な獄中生活を送った《パンパース男》の話も、前妻との息子に妻を寝取られた《印刷屋》の話も、誰よりも長く放尿できることを誇る《蛇口女》の話も、大袈裟(おおげさ)なホラ話のようでいてどこか物悲しい。猥雑(わいざつ)さやバカバカしさの中に、端正な言葉では捉えきれない人生のままならなさがゴロリと投げ出されているかのようだ。
《割れたグラス》が自分自身について記し始める後半部になると、その語りの野放図さとは裏腹にさらに悲哀の色が濃くなっていく。死や喪失を記す人間の言葉が、その人間自身以上に激しく生きてしまっている、このねじれのありように、書く人間の希望がある。千鳥足のまま最後の空白に向かっていく《割れたグラス》の背中に、まだ行かないで、もっと読ませて、と呼びかけずにはいられなかった。
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Alain Mabanckou 1966年、コンゴ共和国生まれ。現代アフリカ文学の重要作家のひとり。著書に『もうすぐ二〇歳』など。