「実用書」という言葉があるくらいだから、そもそも文学みたいなものは、何かの役に立つものではないというのが一般的な感覚だろう。けれど平野さんは、本の冒頭に収めた講演で、「やはり『文学は役に立つ』と言えるのではないか」と語る。
役に立つかどうかということに、どうしてそんなにこだわるのか。ニューヨーク滞在中の平野さんに、オンラインで聞いた。
「いまの人はだいたい、本を読むのかネットフリックスを見るのかゲームをするのか、横一線で選択してると思うんです」と平野さんは言う。
「だから、ああこの2時間ゲームをするより小説を読んでよかったなという実感を持ってくれない限り、本は読んでもらえない。読まれるためには、やっぱり本がそれだけの魅力をそなえていなければいけないというのが、基本的な僕の考え方なんです」
文学は役に立つのか。平野さんがあえて提示したその問いに関係しそうなのが、2008年に出した「決壊」という小説だ。
暴力の脅威を描いて現代社会の行き詰まりを見つめたこの小説は、非常に暗い結末で締めくくられ、読んだ私たちにずっしり重苦しいものを突きつけた。
「どうがんばってもハッピーエンドに持っていけなかった。僕たちが呪縛されている古い思想のままで、とってつけたような希望をくっつけても仕方ないですから」と平野さんは執筆当時を振り返る。
「じゃあどうやって僕たちは生きていくんだろうって、いろいろなことを考えていく出発点が、この作品だったんです」
この「決壊」にしても、昨年映画になった長編「本心」にしても、平野さんの小説は、物語を通じて何かを「考える」という性格が色濃い。読者は作家が作り出す世界に没入し、その世界のなかで、作家が提示する問いに向き合う。
「文学っていうのは人間について、社会について考えるのが、重要な役割だと思う」と平野さんは言う。重要な役割。「役に立つ」とは、そのことか。
「いまの日本社会は、考えるっていうことに対して、非常に不真面目ですよね」と平野さん。
「生活がどんどん苦しくなって、少子化の問題、産業構造の問題、ジェンダーギャップの問題、もう真面目にひとつひとつ考えていくしかないのに、生活が苦しいのは外国人が優遇されてるからだとか、そんな理屈にとびついてしまう。こういう状況だからこそ、考えるということが文学の重要な役割だと思うんです。逆にそういう意義がなければ、文学そのものが価値を失っていくとしても仕方がない」
今回の本には、創作をめぐるエッセーや批評に加えて、大江健三郎や古井由吉といった先人への追悼文や弔辞が収録されている。
「僕は時代のなかで苦悩しながら思索しつづけた作家たちが好きでしたから、その延長線上に位置づけられるような作品を書いていきたいなと思っています」
文学は役に立つのか、立たないのか。禅問答みたいなその問いには、さまざまな答えがあるだろう。でもその回答よりむしろ、問いに向き合う作家の思考の過程にこそ、いまこの本を開く意味がある。(編集委員・柏崎歓)=朝日新聞2025年8月13日掲載