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「日本 老いと成熟の平和」書評 安全保障を制約する少子高齢化

評者: 酒井正 / 朝⽇新聞掲載:2025年08月30日
日本 老いと成熟の平和 著者:トム・フォン・リ 出版社:みすず書房 ジャンル:社会・政治

ISBN: 9784622097839
発売⽇: 2025/06/18
サイズ: 19.4×2.8cm/480p

「日本 老いと成熟の平和」 [著]トム・フォン・リ

 周辺諸国の軍事的な台頭に対抗するために、日本が戦後の非軍事主義的なスタンスを捨てて、保守派が言うところの「普通の国」になるのではないかとの懸念がある。だが、米国の大学で教鞭(きょうべん)を執(と)る本書の著者は、そうはならないだろうと明言する。大きな理由として挙げるのが、日本が直面する少子高齢化という人口動態上の制約である。国防は、予備的な人員を多く必要とする労働集約的な「産業」だ。自衛隊の採用もままならなくなっているのに軍拡などできるわけがないというのだ。実際に、最近も自衛隊の観閲式が人手不足を理由に今後は行われなくなるとの報道があった。
 本書で紹介される防衛省幹部の言葉が、深刻な状況を端的に示している。自衛隊は(従来の規模を維持するには)毎年一万人の高卒人材を入隊させる必要があるが、年間の出生児数が百万人を切っている現状では、高校卒業生の百人に一人以上を隊員にしなければならない計算になるという。東アジアの他の国々のような徴兵制でもない限り、そのハードルは高い。
 装備の拡充によって人手不足を補うことも考えられるが、非軍事主義的な環境の下でわが国の軍需産業は育っていない。そもそも、軍拡しないという約束による「安心供与」で周辺諸国と関係を築いてきたことを考えれば、再軍備には外交上の代償も伴う。平和博物館の多さに象徴されるような戦後日本に通底する平和主義の規範も、これらの制約に拍車をかける。
 だが、それらを乗り越えて「普通の国」化すべきだとの主張が本書の論旨ではない。安全保障上の制約を直視した上で、著者もまた日本の国際社会への平和的な関与を模索しているように感じた。
 学術書である本書は一面では高度に概念的だが、多くの関係者への取材とデータに基づいて極めて堅実な論証を展開している。今後、我々は必ずやこの心強い知日派の考えを傾聴してゆくことになるだろう。
    ◇
Tom Phuong Le 米ポモナ・カレッジ准教授。日本の安全保障政策、戦争の記憶と和解などを研究。本書が初の単著。