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「ゆる言語学ラジオ」水野太貴さん、初の単著「会話の0.2秒を言語学する」 アカデミズムに「贖罪せねば」

水野太貴さん=篠塚ようこ撮影

予約受付でサーバーダウン

 「ゆる言語学ラジオ」で、「会話の0.2秒を言語学する」の予約開始を告知したのは7月8日のこと。オンライン書店「バリューブックス」で予約特典付きの3500冊を用意したが、約6時間で完売し、アクセス過多でサーバーも落ちてしまった。急遽5000冊を追加したが、こちらも同じく約6時間で完売。関係者の予想を上回る展開となった。

「この理由はズバリ、わからないですね。急いで追加した5000部もなくなってしまった時、一種の興奮状態で、アドレナリンが出すぎて寝られなくなりました。むっちゃ健康に悪かったです。うれしいのに」

「この時点では、まだ誰も中身を読んでいないんですよ! 面白い本ができたという自信はありますが、1万3000部 も予約が入って、『全然おもんなかったやんけ』って言われたら嫌だなと思って、逆に不安になりました。未だに現実感があまりないので、いつになったら現実感が自分に追いつくのか……」

軽妙な語りを文字で追う感覚

 本書は、人と人が会話する時、一人の話者が話し終わって、相手と交代するまでわずか平均0.2秒しかかからないというイギリスの言語学者スティーヴン・C・レヴィンソンらの研究に着目し、このわずかな一瞬に何が行なわれているのか、という謎を追い求めた一冊である。水野さんは謎を解き明かすべく、人はどうやって「文脈」を理解するのか、というところから踏み込んでいく。

 読み手もまた、水野さんと同じ目線で0.2秒の謎を追うことになる。1章ごとに「なるほど、そういうことなのか!」と発見の連続なのだが、その先に新たな謎が浮かび上がってくる。こうして“言語沼”にズブズブと足を踏み入れていくことになるのだが、決して難解ではない。身近な実例なども織り込まれ、スルスルと読み進めてしまう。水野さんの軽妙な語りを文字で追っているような感覚も心地いい。

「言語学の入門書とは口が裂けても言えません。網羅性もないですし、何より僕が入門を語れるほどの人物ではない。ジャーナリストじゃない人が書いたジャーナリズム論があったら読みたいですか? でも、読んだ人が言語学の入門的な本だと感じてもらえる分にはうれしいですね」

 水野さんは過去に、「ゆる言語学ラジオ」の仕掛け人で相方を務める作家の堀元見さんと共著を出しているが、水野さんは、さまざまな言語学者の研究論文をもとに喋っているだけであって、自身は専門家ではないという立ち位置にあると考えている。しかし、本書ではあえて「言語学」をタイトルに入れることで、「勇気を出して十字架を背負うことにした」と語る。

「この本も『ゆる言語ラジオ』で監修をしてくださっている専門家の先生に目を通してもらっているので、大幅に間違っていることはないと思いますが、怖いですね。今は十字架を背負ってしまったな、という後ろ向きの気持ちの方がでかい。たぶん、本が出てからある程度経って、言語学側の人たちが大きな問題はない、と受け止めてくれたらようやく安心できる、という感じです」

「専門がなさすぎて無敵な状態に」

 小学2年生の時に難解漢字にハマったのがきっかけで言語に興味を持った水野さんは、名古屋大学文学部で言語学を専攻した。卒業後は、「ことばを扱える仕事がいい」と考え、出版社に就職。その後も一介の言語学好きのままだったのが、堀元さんの誘いを受けて2021年から「ゆる言語学ラジオ」を始めることに。好きな言語学について気軽なトークを繰り広げていたが、この番組がきっかけで言語学を知る人が増えるにつれ、影響力の大きさを認識せざるを得なくなった。

「公益性みたいなものを意識するようになりました。今は言語学の専門家に監修をお願いしていて、台本を書いてチェックしてもらっています。初期の頃みたいに、間違っているかもしれないけど面白い学説とかは言えないなど、窮屈な部分もありますが、それはしゃあないですよね。過去の言語学者が蓄積してきたものにフリーライドしているのに、面倒なことはしたくない、というのはわがまますぎますから」

 編集者という多忙な仕事をこなしつつ、言語学について学び、自分が面白いと思ったことを発信している水野さんだが、「楽しいからやっている」に尽きるという。大変だからやめたいと思ったことは一度もなく、楽しさやメリットのほうがはるかに上回ると感じている。

「あの番組は、言語学者だったらできないと思うんですよね。自分の専門分野があると、分野外のことは言いづらい。でも、僕は専門がなさすぎて、逆に何を喋っても何も言われないという無敵な状態になっているのは大きいと思います。物見遊山みたいな感じで勉強して、『こんなことに気づきました』と話したら、聞いてくれる人がいっぱいいる、というのもむっちゃ恵まれています。もともと塾講師になりたかったので、一人でしゃべることは練習していたし、たぶんしゃべることに向いている。それに、堀元さんとしゃべることで、自分が気づかないところまで連れて行ってもらえるのがいいと感じています」

「言葉をうまく伝えられずに悩むあなたに」

「ゆる言語学ラジオ」には、水野さんと堀元さんの会話のテンポの良さや切り返しのうまさ、思わぬ方向に転がっていく面白さがある。相手と会話を交代する「ターンテイキング」にかかる時間はわずか0.2秒だが、うまく返すコツなどはあるのだろうか?

「うまくターンテイキングするコツを言語学的な観点から言うのはちょっと難しいのですが、初期の配信を聞いてもらうと、僕と堀元さんの会話のテンポは全然良くないんですよ。よそよそしいし、敬語でしゃべってるし。でも、今はライブ配信でもたぶん80%くらいのテンポの良さは出せます。これって、相手がしゃべりたそうにしているサインを見逃さなくなったというのが一番大きいと思うんですね。相手の首の動きなどを見ておくだけで、会話の展開などがある程度先読みできるようになりました」

 ちなみに、本書の帯には、「言葉をうまく伝えられずに悩むあなたに贈る」という言葉が書かれている。

「よく会話をすると疲れちゃうという人がいます。気疲れもありますが、人との会話は、自分が思っている以上に頭を使っているんですね。この帯の言葉は絶妙で、『悩むあなたに贈る 』と言っているんですけど、『悩みが解消する』とは一言も言ってない(笑)。どうすれば言葉をうまく使えるかは全く書いていませんが、なぜうまく使うのが難しいかについてはしっかり書きました」

書くのに苦労するけどいい本に意義がある

 水野さんが社交を捨て、2年がかりでリサーチを進めて執筆したという本書。コスパやタイパが好まれる傾向にある中で、編集者という本業の傍ら、何万字もの言葉を尽くして「なぜ0.2秒でターンテイキングできるのか」という壮大な謎に挑んだこと自体に気概を感じるし、それだけに読み応えのある一冊となっている。

「今の自分を形成してくれたのは、著者がコスパ度外視で調べ上げて書いてくれた本の数々です。だから、自分もコスパ度外視でとことん書いてみたいという思いはありました。アカデミズムでやっている人は、もっとコスパ度外視で研究しているから、その人たちと比べると、僕はこの本に2年しかかけていないし、読んだ文献の数も大したことないのですが……」

「僕が本の未来について語るほどの立場ではないものの、YouTubeやポッドキャストで簡単に発信できる今、書くのに苦労するけどいい本に意義があり、自分もそんな本を作りたい。今後、この時代に本が読まれるとしたら、そういうものを作らなきゃいけないのかなと。ポッドキャストでしゃべった内容をまとめても1冊の本ができますが、『著者が忙しいし大変だから書きたくないです』と言っているところを、なんとか書いてもらうのが編集者の仕事。編集者が著者にそんなことを言うのなら、まずは自分がやるべきだろう、という気持ちもありました」

「会話の謎解きについての本ですが、極力エンタメになるように意識しています。難しくて疲れたな、と思われるタイミングで雑学を入れたりして、『安い食材だけど、味付けは工夫したから食えるよ』みたいな感じにしています(笑)。気づいたら読み終えていた、という本になったと思うので、言葉や会話に関心がある人にはぜひ読んでいただきたいです」

 予想を大きく上回る予約が入り、発売前に重版した本書だが、印税は一部を「言語学に還元する」ことを宣言している。

「僕が持っていてもしょうがないと思い、言語研究に関わる大学院生 1人に、返済不要の奨学金として100万円をあげることにしました。僕たちは『ゆる言語学ラジオ』によって広告収益が発生していますが、一次創作者に当たるアカデミアに還流すべきだと以前から思っていたんです。以前に番組で間違った説を紹介して炎上して以来、ずっと贖罪せねばならないと持っていました。研究したいのにお金に困っている学生さんに渡せば、その人は100万円を稼ぐための時間を勉強に回すこともできる。その方が、お金が適切に流れている気がするんですよね」

「せっかく部数を上乗せできたので、次は10万部という高い目標を設定して、10万部を超えたらこの奨学金を1枠増やしつつ、企業スポンサーも募集したいと思っています。『ゆる言語学ラジオ』に限らず、アカデミアの知見を使ってコンテンツ制作をしているところは、ちょっとでも還元したほうが、お互い長く続けられると思うんです」

インタビューを音声でも!

 好書好日編集部がお送りするポッドキャスト「本好きの昼休み」で、水野太貴さんのインタビューを音声でお聴きいただけます。