ISBN: 9784867931059
発売⽇: 2025/08/06
サイズ: 14.1×19.7cm/396p
「零落の賦」 [著]四方田犬彦
一世を風靡(ふうび)していた者が些細(ささい)なきっかけで転落し、見向きもされなくなって人生を終える。どの世界にもそんな凋落(ちょうらく)の物語が転がっている。どうして転落してしまったのか? 転落した後には復権を願っていたのか? あるいは達観していたのか? そして、なぜ人はそのような他人の零落に魅せられるのだろうか? 「他人の不幸は蜜の味」というわけだけでもないだろう。
本書で著者は、その該博な知識によって、古今東西の文学や映画、古典芸能を零落という切り口から解剖する。取り上げられる人々の一端だけを紹介しても、樋口一葉、ニーチェ、柳田國男、泉鏡花、オスカー・ワイルド、ジョルジュ・メリエス、バスター・キートン、ルイズ・ブルックス、後鳥羽院と実に幅広い。その者たちの作品が論じられることもあれば、その者たち自身の凋落が語られることもある。神々の零落すら分析される。これだけ話が広がると、ともすれば脈絡が無くなりそうなものだが、その縦横無尽な展開が不思議と心地よい。酒場に誘われて次第に酩酊(めいてい)してゆくような気分だ。
救済不可能な零落もあれば、新境地を切り開く契機となる零落もある。日本文学には、高貴な者が零落を経験することで、霊験によって崇高な存在へと転生するという「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」という類型があることを恥ずかしながら知らなかった。溝口健二の『残菊物語』を最高の「貴種流離譚」として論じる章は圧巻である。
著者の多方面にわたる交流から知りえた挿話の数々も、本書に千夜一夜物語の趣を添えている。やがて再教育キャンプに送られて末路を迎えることになる最後のラオス国王が、三島由紀夫とプルーストの『失われた時を求めて』を巡って語り合ったという逸話は心に沁(し)みた(著者が親しかった三島の実弟が、当時、ラオス大使館に勤めていた)。
現代のアテンション・エコノミー(人々の注意を奪い合うことが目的となった経済)は毀誉褒貶(きよほうへん)を激しくする一方で、零落を受け入れがたいものとして規範づけてしまっているように感じる。落差の経験からしか見えない世界がある。落ちぶれることで虚名から解放されてこそ、静謐(せいひつ)な創造性が育まれることもあると思うのだが。零落は全ての存在にとって根源的であるにもかかわらず、それを直視しようとしない社会は画竜点睛(がりょうてんせい)を欠いているのではないだろうか。そこでは、零落を拒むために自裁するという選択肢しか残されていないようにさえ思う。人間は本質的に零落を生きなければならない。そうだとすれば、本書ほど示唆に富む一冊はない。
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よもた・いぬひこ 1953年生まれ。批評家、比較文化学者。著書に『映画史への招待』『モロッコ流謫(るたく)』『ルイス・ブニュエル』など。本書は『摩滅の賦』『愚行の賦』に続く三部作の完結編。