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俳優として、父として……谷原章介さんの心に響いた3冊

谷原章介さん=松嶋愛撮影

1.原発事故後の福島、ありのままの光景に向き合う 岩波友紀「Blue Persimmons」(2025年3月28日公開)

岩波友紀『Blue Persimmons』(赤々社)より© Yuki Iwanami

 写真記者として報道に携わってきた岩波友紀さんは、東日本大震災の発生を機に新聞社を辞め、原発事故後の福島を撮り続けています。未曾有の大災禍の発生から14年。福島の人々の苛酷な現実、断絶、絶望、諦観、そして、そんななかで逞(たくま)しく生きる人々の姿を、岩波さんはこの1冊の中に、ありのままの写真として収めています。谷原店長も、被災地の人々を勇気づけるため、先輩俳優とともに東北各地をめぐり、支援活動を続けてきました。店長自身、東北の復興と、福島の葛藤の双方を見つめ、「あの日起こったことの風化だけはさせたくない」と綴ります。

 人のいなくなった町で、動植物が跋扈(ばっこ)し、道も住宅も駅のホームもみな塞(ふさ)がれ浸食されていく。放射性物質によって町は分断され、そして自然によって物理的に破壊され、築き上げてきたものが失われていく、その無残たるや。

 それでも、いっぽうで、まっすぐなまなざしをレンズに向ける農家の方々や若者たちの姿が、一冊のなかに何枚も写し取られていて、福島の人々の強さも感じます。この福島で再び、一つひとつ、一所懸命、人生に向き合う。そんな意志が伝わり、目頭が熱くなります。僕も、できることから支援していきたい。あの日を忘れてはいけないと強く思います。岩波友紀「Blue Persimmons」

2.読みかえして感涙、落語を通じて人間を考えさせられる 古谷三敏・ファミリー企画、あべ善太「寄席芸人伝」(2025年5月30日公開)

古谷三敏・ファミリー企画、あべ善太『寄席芸人伝』(小学館)

 落語漫画の最高峰と称される『寄席芸人伝』は、漫画誌で連載された時期が1978~89年と、だいぶ昔に発表された物語です。谷原店長は最近、デジタル版で買い直し、読み返したそうです。若い頃とは異なる読後感で、「とにかく泣かされた」のだとか。物語は一話完結のオムニバス形式で、芸人同士、師匠と弟子、芸人と客、芸人と妻など、さまざまな年代の、多様な人間関係が繰り広げられます。谷原店長は、俳優として悩み続けたかつての日々を省みつつ、寄席に携わる人々たちの、ぬくもりある世界について読み解いていきます。

 僕もある舞台の作品でなかなか役がつかめず、そのきっかけにと、演出家の方が、ご自身の家族の写真をやぶるよう渡された事があります。とても躊躇しましたが、わらをもつかむ思いで破りました。それが正しいかは今もわかりません。なぜかといえば、極論ですが、人殺しの役は実際に殺した事がないとわからない事になる。芸事に正解はありません。

 「芸人として『フラ』がある、ない」という話も出てきます。「フラ」とは、辞書によると「その芸人が生まれつき持っている、言葉では説明しようのない、笑いの雰囲気」。ちょうど僕が役者として悩んでいた時、この話を読んで、「人に見られる職業って、やっぱり『フラ』が必要だよな、自分にはそれがないよな」と、心にグサッときたのを思い起こします。

 それから時がだいぶ過ぎた今、生放送で、人前で話す仕事を続けるうち、以前のように悩むことは減ってきたかも知れません。「話がうまい、下手」とは別に、いろんな一面のうちの一つとして「フラ」のある人間でいたい。お客さんを目の前にした芸である点では、落語と僕の仕事は重なります。場の空気をつかむ、それがいかに大切で、難しいか。場数を踏んだ今、昔とは異なる読後感を抱く瞬間でもありました。古谷三敏・ファミリー企画、あべ善太「寄席芸人伝」

3.「演じること」を人生に選んだ者たちの人間ドラマを掘り下げる 斉木久美子「かげきしょうじょ!!」 (2025年12月27日配信)

斉木久美子『かげきしょうじょ!!』(白泉社)

 こちらも「演じる」ことを人生に選んだ人たちの物語。女性だけの「紅華(こうか)歌劇団」のスターを養成する「紅華歌劇音楽学校」を舞台に、憧れのステージを夢見る少女たちが繰り広げる、青春群像劇です。身長178センチの天然少女、渡辺さらさは、ときおり役に入り込み過ぎ、暴走してしまう。彼女に負けじと、共に切磋琢磨する魅力的な仲間がたくさん登場します。谷原店長はここでも、自身の役者としての経験を思い起こし、「駆け出しの頃から、彼女たちと同様、いろいろな葛藤や悩み、壁にぶつかってきた」と綴ります。先達の役者たちの演技を、ただコピーするだけで良いのか。身内に何か起こった時に、それでも舞台を降りずに演じ続けるか――。それでも姿勢を正し、光ある方角へと向かい続ける。そんな彼女たちの姿に、谷原店長は共感し、「この上ない清々しさを覚えます」と記しています。

 たとえ経験を積んでも、たとえテクニックがあるからといっても、それで良い演技、ひとの心や胸を打つ芝居ができるわけではありません。上手、下手、そして肉体的な条件なんかを超越したところで、役者としての価値が決まってしまう面もあります。なんと理不尽なロールプレイングゲームなのでしょう。何しろ「最適解」がないのです。しかもそれは、役者一人ひとり違うし、作品によっても違う。そして、更に言うならば世相によっても違ってくる。答えがない。

  (中略)

 同じ予科生として助け合う仲間でもあり、切磋琢磨していくライバルでもある紅華音楽学校第100期生。とにもかくにも、作品において役を演じることができるのは一人の「役者」だけ。誰よりも愛してやまない仲間同士でありながら、「役を取る」「取れない」といった葛藤と向き合う彼女たちの、何と美しいこと。健気なこと。この作品を読み、そこが本当にグッとくるところです。斉木久美子「かげきしょうじょ!!」