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ノーベル文学賞クラスナホルカイさん、日本への深い理解と終末論の気配 訳者・早稲田みかさん寄稿

クラスナホルカイ・ラースローさんの小説「北は山、南は湖、西は道、東は川」=2025年10月9日、東京都中央区、金居達朗撮影

 ノーベル文学賞に選ばれたハンガリーの作家クラスナホルカイ・ラースロー(ハンガリー語では名は姓・名の順に記す)は、一文がうねるように続く長文で知られ、複数の視点からみた時間軸に沿わない断片的記述など、ポストモダン的形式を特徴とし、多くの作品では貧困、抑圧、暴力、戦争など、人間をとりまく絶望的で出口の見いだせない不条理な状況、秩序の崩壊した黙示録的世界が描かれる。

 そんなクラスナホルカイはじつは京都に滞在していたことがあり、そのときの体験に基づいて執筆された作品がある。それが『北は山、南は湖、西は道、東は川』(二〇〇三年)だ。この長たらしい題名は「北に山、南に湖、西に道、東に川」がある地に寺を建立すべしという古来の定めに由来している。風水で四神相応と呼ばれる運気のあがる地相である。ここからすでにこの作家が中国や日本の文化に通じていることがわかるだろう。

 「源氏の孫君」なる人物が、千年の時空を超え、京阪電車に乗って(阪急電車でないところに、クラスナホルカイのセンスが光る)京都の町に現れ、「完璧な美を体現した庭園」を探し求めて亡霊のように彷徨(ほうこう)するが、庭は秘匿されていてけっして見つかることはない。行く先々はどこも人気がなく、不吉な破壊の痕跡(あるいは崩壊の予兆)が残されている。破られた扉、放火の跡、目を釘で打ちつけられ板にぶらさがる一三匹の金魚。寺の金堂に安置されている仏像は、「腐敗した世の中を目にせずともすむように、その美しい眼差しをそらしている」。そこには自然や文化を破壊する人間の姿が見えかくれしている。

 随所に自然や宇宙の驚異、生と死、存在、無限について、さまざまな思惟(しい)思索がめぐらされる。「それを見た者は言葉を失う完璧な美を体現した庭」とはいったい何なのか。不穏な終末論的気配が漂う哲学的迷宮小説、ある意味、音楽に近い文学とも言えるかもしれない。

 それにしても作者の博覧強記ぶりには驚かされる。日本滞在は一年に満たないはずなのに、寺社建築、宮大工の伝統、紙漉(かみすき)の技法、日本庭園の美について、これでもかというほど微に入り細に入り描写されており、作家が日本の伝統文化を持続性のある価値あるものとして、いかに深く理解し、高く評価しているかがわかる。

 クラスナホルカイの鋭い目は日本の日常風景も見逃さない。「曲がり角にはひとつおきに自販機があって、ランプを点滅させ、熱いワカメスープはいかが、よく冷えたミソスープ(シュールだ)を召し上がれと呼びかけて」おり、「閉まるドアにご注意ください」と幾度となく注意喚起するアナウンスは「感受性のひとかけらもない、とどまるところをしらない暴力」と揶揄(やゆ)されている。

 作家の日本体験は、他の作品にも結実している。真理の追求をテーマとした全一七話から成る短編集『西王母降臨』(〇八年)では、鴨川にたたずむオオシロサギ、稲沢の禅源寺、能面師、能楽師(故・井上和幸氏)、伊勢神宮の式年遷宮、世阿弥と、日本の伝統文化にまつわる話が六編も収められている。作家は京都滞在中、足繁(あししげ)く能楽師の元に通い、伊勢神宮にも足をのばしていた。

 『北は山、南は湖、西は道、東は川』には日本語訳があるのだが、現在、絶版で入手困難らしい。存在するが存在しない幻の書、これも必然なのか。刊行(=敢行)した松籟(しょうらい)社(=救世主)は謎の庭があると想定される界隈(かいわい)にあって、その必然の成り行きに当初こそすべては完璧だと思われたのだが……。=朝日新聞2025年10月29日掲載