幼少期に自らの左手に蛇を感じた男は、3カ月前に仕事を辞め、女と別れ、蛇信仰の残る過疎の町にやってきた。ある日、近所で逃げ出した毒蛇を手に入れた男の前に、次々と怪しげな人物が現れる。白蛇をまつる神社の宮司、拾った蛇をほしがる女、毒蛇に嚙(か)まれた市議の死を捜査する刑事……ここまで蛇ずくめの小説は珍しい。
「神話や説話を読むうちに、蛇の描かれ方がすごく気になったんですね。かつて世界中に蛇信仰があって、現代の主な宗教はそれに代わったせいか、蛇を悪く扱っている。これは面白いなと」
確かに「日本書紀」や「古事記」ではヤマタノオロチは退治され、聖書では蛇がイブをそそのかす。
「蛇は生きるものの象徴で非常に荒々しい。抑圧的な今の時代に、蛇信仰をカウンターとして復活させようとする男の話なんです」
鬱屈(うっくつ)した半生を送ってきたらしい男の牙先は、かつて仕事で関わりのあった米国の大物ビジネスマン、ロー・Kへと向かう。次期大統領選への出馬が噂(うわさ)され、盆栽をめでる「日本通」。ぐねぐねとしていた物語は、男がたった一人で進めるテロ計画が動き出す後半、サスペンス味を増し、手記の意外な真実が明かされることになる。
テロについては「教団X」や「R帝国」といった過去の作品でも大きなテーマとして扱ってきた。
「僕自身、生きにくい人生を過ごしてきたと思ってます。人生の局面では、世の中を変えるか、自分を変えるか、順応するふりをするか、いろんな選択肢がある。テロは全く肯定できないけれど、社会を変える選択肢の一つとして小説に出すのは、自然ですよね」
ただ、小説に社会性をとりこむ方法は、2年前に上梓(じょうし)し、野間文芸賞を受けた「列」から変わってきたという。奇妙な列に理由もわからず並び続ける男の姿を描いた不条理劇のような中編。蛇にとらわれた男の妄執とも言える内面を手記として描いた本作も200ページに満たない分量のなかに、多彩なテーマが溶け込み、多様な解釈を誘う。
「小泉政権のころから、社会の右傾化を感じるようになって、その危機感から小説に直接的なメッセージ性を入れるようになりました。ただ、社会的な問題を直接書いていくと、物語がどんどん長くなる。デビュー作の『銃』は拳銃を拾った話ですが、今回も蛇を拾う話。原点に戻りつつも、社会的な広がりを裏テーマとして仕込んでいます」
作中、蛇信仰について、こんな言葉が出てくる。〈世界を生きるにおいて、今ある価値観が全てと思うのと、別の価値観がかつて存在したと感じながら生きるのとでは、大きく違う〉
「学校生活でも、自分の見えている世界だけが全てと思いがちですけど、そうではないと。もっと広い世界はある。今ある価値観が全部じゃないことを僕は小説で知った。その体験をこの小説で書いたとも言えますね」(野波健祐)=朝日新聞2025年11月12日掲載