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「検事の心得」書評 再審の事件も迫力に満ちた議論

評者: 御厨貴 / 朝⽇新聞掲載:2025年11月29日
検事の心得-元東京地検特捜部長の回想 (単行本) 著者:伊藤 鉄男 出版社:中央公論新社 ジャンル:社会・政治

ISBN: 9784120059643
発売⽇: 2025/10/21
サイズ: 2.5×19.1cm/272p

「検事の心得」 [著]伊藤鉄男

 組織を生きる。人生スゴロクの上がりをめざす。人はこうした自らの生き方をどこで顧みるのか。墓場まで沈黙のまま持っていくのか。いや一族郎党、同期や先輩後輩との飲み会でぶちまけて終わりなのか。ペンは強しで回顧録でも書くか。いや、おそらく記録に残す人はあまりいない。
 だが、検察という組織スゴロクをほぼ登りつめた人が筆をとり、自らの人生模様を明らかにした。『検事の心得』と称するいささか硬派に見える本だ。〝心得〟とは何か。「風雪に耐える捜査」「引き返す勇気」「職人的な仕事」「自分の意見を持つ」「自白は捜査の王である」「マスコミに向き合うのではなく事件に向き合う」などなど。著者自身多くの〝心得〟を生み出し、また先輩の〝心得〟を紹介する。面白い。
 著者は自らの仕事の回顧をいかにも法曹界の人にありがちな難しい文章では書かない。いや、むしろ文面はやさしい。人物月旦もさりげなく短所も挙げつつサッと流すのだからうまい。現役時代もこうやって口の端に上らせたのだなと思わせる。著者周辺のエライさんを描きつつ、検察の制度や事件を具体的に書いている。著者自ら言うように、人様の知恵は借りずに自分の視点で書いたから信用に足るのだ。
 免田事件、袴田事件など再審を要した事件について、著者の議論は迫力に満つ。そして著者は、法曹特に検察の組織のあり方について国民にもっと正しく知ってもらいたいし、それが故に外に向かって書くという姿勢をはっきりさせている。オーラル・ヒストリーでなくとも自らの文章でそれを実践された著者の意を私は高く評価する。堅い話ばかりじゃないのもいい。組織人としての上昇志向を少しも隠さず、人事のたびに喜んだりがっかりしたり憤慨したり、まことに人間味あふれる著者の文章には、ホッと安堵(あんど)する。未来を信じて今なお自らの貢献をいとわない〝心得〟に敬礼!
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いとう・てつお 1948年生まれ。元検事、弁護士。死刑囚が初めて無罪・釈放となった免田事件の再審公判で主任検事を務めた。