ISBN: 9784805113615
発売⽇: 2025/12/19
サイズ: 18.8 x 13 x 2.5 cm
「報せはすべてよい 阿川尚之自撰文集」 [著]阿川尚之
「アメリカが嫌いですか」――反語法を見事に用いて、阿川尚之はモノ書きの世界に颯爽(さっそう)と登場する。今を去る33年前のこと。おっ、これで行きますと言う。私も駆け出しの某新聞読書委員で、数冊目の書評だ。でもあの阿川との再会だものな。
1951年の同じ年生まれの阿川とは、何と中学受験塾が一緒だった。阿川の名は常に優秀者のトップにあった。「これは阿川弘之の子息に違いない。今から仲良しになれ」と無茶(むちゃ)ぶりを強いたわが父。でも都会っ子そのものの阿川はまぶしくて、とても近寄れなかった。その彼との本を通しての再会で、彼が順調に大学まで進んだのではなく、中学で大病を患って以来、死との隣り合わせの人生を送り、アメリカン・ロイヤーになったことを知る。
どうだ、今や阿川が生前自ら選んだ最後の文集のⅡ部「アメリカへの旅」には、「アメリカが嫌いですか」からの文章が多く集められているではないか。等身大のアメリカを、一語一語ことばを選ぶように語る阿川のまなざしは少しも古びていない。
自撰集は3部構成であるが、どの文章にも共通するのは、常に旅している感覚に他ならない。無論、阿川は船好き、海軍好き、乗り物好きなのだ。それを強調せずとも、彼は常にどこかへ、いやどことなく歩みを進め、点描された人生の旅行記の趣がある。家で本を読んでも、慶応大学の中にいても、自分の居場所は仮のもので、いずれは消えてしまう。この感覚が、死を常に間近に意識していることなのだと、ハッとする。
しかも、ふとした拍子に、我知らず阿川はキリスト教、特にカトリックを口の端にのぼらせる。クリスマスキャロルが好きで、大聖堂が好きで、限りなくカトリックに近づくも、ついに受洗には至らない。ここにも常にどこかで意識している死と生への感覚が顔をのぞかせる。
アメリカ憲法を論じている阿川はやや堅い調子だが、最高裁判事との対話は彼本来のしなやかさを見せてうなずける。この十数年間は時に研究や語らいをともにしてきた。先年亡くなった山崎正和の阿川の追悼文を改めて読み、阿川は意外にも雄々しい奴(やつ)だったんだなと思う。そして遺言となった「やめるということ」の中で、「人間は誰しも生きるのを『止(や)める』時がくる」「いつその時が来るかはわからない」「私自身はその時が来た時、『もうよか』と静かに受け止めたい」と結ぶ。いや私だったら、もっと惰弱だから「まあよか」と言うかな。阿川からの更なる回答はもはや無い。
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あがわ・なおゆき 1951年生まれ、2024年死去。ソニーや米国の法律事務所に勤め、慶応大教授(米国憲法史)、駐米公使を歴任。『憲法で読むアメリカ史』(読売・吉野作造賞)、『アメリカン・ロイヤーの誕生』など。