ISBN: 9784622097501
発売⽇: 2026/03/18
サイズ: 19.4×2.1cm/336p
「将軍の都の客人」 [著]エイミー・スタンリー
早く続きが読みたい。でも、もったいなくて読み飛ばせない。この贅沢(ぜいたく)な葛藤を終始味わえる珠玉の歴史書だ。
すべての発端は、江戸時代の後期、越後国の村に生まれた常野(つねの)という女性が、家族との間で頻繁に交わした手紙に遡(さかのぼ)る。それが現代まで保存され、うち一通を新潟県立文書館がウェブ上に載せた。そして、アメリカで日本史を研究する著者が、パソコンのモニター越しにそれと邂逅(かいこう)した。そこから著者は、残された無数の手紙や記録を解読し、その内容をもとに、ひとりの女性が歩んだ人生を再構成してみせたのだ。
常野は三度の離婚を経験した後、実家を出奔して江戸に出る。そして、いまよりさらに強く女性を抑圧する社会のなかで、何とか生計を立てて生き抜く。よそ者はどうやって職を見つけるのか。古着はどんなふうに流通しているのか。質の入れ方と出し方。長屋の狭さと寒さ。荷馬の馬糞(ばふん)の臭い。刷り上がったばかりの番付の匂い――。
本書は、幕末目前の江戸時代の社会を驚くべき丹念さで描き取っている。だが、それだけではない。著者は、常野の選択に焦点を当てる。地元に残るか否か。知り合いに頼るか否か。元の夫とよりを戻すか否か。折々の心情が吐露された手紙が残っているからこそ、彼女はたんに時代状況によって動かされる操り人形のような存在としてではなく、そのつど苦悩してみずから選択する一個の人格として私たちの前に立ち現れる。だからこそ、私たちは本のページをめくるごとに、いつの間にか彼女に乗り移ってゆく。そして彼女の目を通して、街道や宿場町、本郷、日本橋などを仔細(しさい)に見て歩き、その空気や変化を感じ取る。ときに心細ささえ感じるほどに。
本書はすでにアメリカで賞を獲得し、数多くの言語に訳されている。それでも、日本語の翻訳がこうして世に出たことの意義は大きい。海外の優れた研究者が日本の文献資料を読み解く。そして今度は、その着眼点や文章ごと日本にいわば逆輸入されることで、私たちは、自分が知っているはずの歴史や文物を新鮮なまなざしで再発見できる。描かれる個々のディテールが生き生きと迫ってくる。そしてこの力は、訳者と監訳者の努力なしに宿るものではない。正確さと読みやすさの双方が、高い水準で実現している。見事な訳業である。
それにしても、どれほどの手間と時間が、本書の完成までに注ぎ込まれたことだろう。その成果を読者は手のひらに乗せて、心ゆくまで享受する。読書とは、これほどに豊饒(ほうじょう)な体験となりうるのだ。
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Amy Stanley 米ノースウェスタン大歴史学部教授。専攻は近世・近代日本社会史、グローバルヒストリー、女性史・ジェンダー史。関西大、早稲田大にも留学。原書で全米批評家協会賞などを受賞。
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原直史監訳 石垣賀子訳