ISBN: 9784344045972
発売⽇: 2026/07/08
サイズ: 2.2×18.8cm/304p
「海の底に雨は降らない」 [著]上村裕香
この作家はすべてを書こうとしている。世界を見はるかし、丸ごと小説に書いてしまおうとする貪欲(どんよく)で容赦のない筆運びに、読みながら何度も声をあげそうになった。
幼少期から学校にもまともに通えず母親の介護をしていた光莉(ひかり)は、母親の自殺を幇助(ほうじょ)した罪で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受ける。その後、身元引受人の叔母のもとで暮らしながら、自身の体験を小説にすることで失われていた人生を取り戻していく。
設定はかなり重い。だが、オフビートな笑いが要所要所に差し挟まれ、穴ぐらに少しずつ光が射(さ)してくるような青春小説になっている。
光莉をはじめ、叔母や保護司の宮本、小説家の日比谷や編集者の佐々木、介護施設の同僚、登場人物はみな凹凸があり、一筋縄でいかない。さっきまで悲嘆に暮れていたかと思ったら、唐突に韓国アイドルに二十万貢いだり、いいかげんで薄情な大人のように見せかけて、びっくりするほどまっとうで情深いことを口にしたりする。どれほど深刻な状況でも、くだらない冗談や駄洒落(だじゃれ)が口をついて出る(「ナラティブ」を「奈良漬け」と言い間違えたりとか、いいかげんにしろと思いつつも笑ってしまう)。
性別や年齢や職業や障害者やヤングケアラーといった属性を飛び越えて、その人がその人として小説のなかに存在している。属性はその人の一部であってすべてではない。だからこの作家は、すべてを書こうとする。人間を描くとはそういうことだ。まっさらな瞳で世界を直視する光莉の姿は、物事の一面だけ見て取り、わかったような気になることを許さない。
「小説のことしか考えてない小説モンスター」と光莉は日比谷を評するが、これはそのまま作者の上村裕香にもあてはまるのではないか。すべてなんて書き尽くせるわけがないのに、それでもこの作家は無謀な賭けに挑戦していくのだろう。
◇
かみむら・ゆたか 2000年生まれ。「女による女のためのR―18文学賞」を受け、25年『救われてんじゃねえよ』でデビュー。