1. HOME
  2. 一穂ミチの日々漫画
  3. ひうち棚「見てないとしょうちしないよ」 子どものころの感覚がよみがえる静かな臨場感(第17回)

ひうち棚「見てないとしょうちしないよ」 子どものころの感覚がよみがえる静かな臨場感(第17回)

『見てないとしょうちしないよ』©ひうち棚/KADOKAWA

 先日、新聞紙上で連載していた小説を書き終えた。約11ヶ月の連載期間中、ほとんど白目を剥きっぱなしだった。時々泡も噴いた。日刊なので大変だとは聞いていた。だからこそ、挑戦してみたかった。初めての媒体、初めて書くジャンルの物語で、どこからどう手をつけていいのかもわからず、調べ物で何度もつまずいた。それなりに準備期間はいただいていたものの、やはり走り出してから「あれも足りない、これも足りない」と追われまくる羽目になる。1日、手をつけずに眠ると次の日には原稿用紙2枚半が消費されているという恐怖。毎日ちょっとずつ筋トレのように書き続けて文章能力の地肩を鍛える、という目標は、年始の抱負より選挙の公約より脆かった。1000文字書かないとケツに電流が流れる椅子とか開発されたら、買います。

 担当編集者始めさまざまな方々のご協力とご尽力でどうにか走りきり、敬愛する大先輩作家からは「新聞連載ができたんなら、もうどんな仕事もできるわよっ!」と太鼓判を捺していただいたけれど、筆力がついた気はまったくしない。小説マッチョへの道は遠い。

 考えてみれば、漫画の連載だと五年、十年と続くものも珍しくない。一年足らずで己を鍛えようなんて考えがそもそも甘っちょろいのかもしれない。ひとつの物語と何年も、商業的な数字も含めて向き合う漫画家たちのストイックさと胆力に尊敬を新たにしつつ、きょうも漫画を読んでいる。

 

ひうち棚『見てないとしょうちしないよ』①(KADOKAWA)より

 最近は、ひうち棚の『見てないとしょうちしないよ』①(KADOKAWA)がとりわけ心に残っている。タイトルは女王様の台詞ではなく、作者の娘「ひーちゃん」が父に向かって発した言葉。これだけで心がホワッとなるじゃありませんか。「HERE I AM」 という英語の副題もいい。

 ジャンルとしては子育てエッセイに分類されるのだろうか。けれど、子どもの子どもらしいおかしみや育児の苦労といった「ネタになるエピソード」より、もっと目の細かいできごとを淡々と丁寧に描いていて、ドキュメンタリー的というか、よそんちのホームビデオを覗き見ているような静かな臨場感がある。

 ひーちゃんと、その弟の「のっさん」が、お祭りに出かけたり、宿題に取り組んだり、父の「ととさん」に「べぇ〜〜」と舌を出したり。家族の日々は、よそんちなのにたまらなく懐かしい。傘をくるくる回し、家で教科書の音読を聞いてもらい、おっかなびっくり補助輪なしの自転車にまたがった、遠い昔の自分に会えるからだろう。子どものころの、時間がゆっくりと流れていた感じがよみがえってくる。白黒でみっちり描き込まれた画面もノスタルジーをかきたてる。

 あとがきで作者は「見ているつもりでいても、見えていないもの、見ようとしていないもの。そういうものを、漫画で描いて、残しておきたいと思っています」と書いている。なるほどなあ。放っておいたらいたずらに流れ去ってしまう日常を親は懸命に掬おうとし、子どもは気にも留めない。子どもってそういうものだから。お父さんがこんな漫画を描いてくれるなんて、一生の宝物だなとうらやましくなってしまうけれど、それも子どもたちにはぴんとこないだろう。

 宝物の輝きに気づいた時が、大人になった時なのかもしれない。

 いつかくるその日が楽しみなような、寂しいような。

 

ひうち棚『見てないとしょうちしないよ』①(KADOKAWA)より