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「庭の話」 ネットの外へ 新たな公共性を構想 朝日新聞書評から 

評者: 福嶋亮大 / 朝⽇新聞掲載:2025年01月25日
庭の話 著者:宇野 常寛 出版社:講談社 ジャンル:人文・思想

ISBN: 9784065377918
発売⽇: 2024/12/11
サイズ: 14.2×19.6cm/368p

「庭の話」 [著]宇野常寛

 昨年はSNSの世論形成の力とともに、デマや陰謀論の流布をはじめ、その弊害が一段と目立った年であった。もともとシリコンバレーのIT企業は、反権威的で自由至上主義的な個人主義を信条としていた。だが皮肉なことに、彼らの推進したSNSは逆に、個人を巨大なプラットフォーム経済に巻き込み、身体性のないデータやプロフィールに置き換え、同質的な意見ばかりが反響する「村々」を作り出してしまったのだ。
 この苦境からいかに抜け出せるか。メタバースや生成AIの「新しさ」に期待しても、同じ罠(わな)に陥るだけである。かといって昔ながらの共同体を回復するのは、非現実的であり望ましくもない。そこで批評家の宇野常寛は、生態系を組み込んだ公共性のモデルを構想する。そのキーワードが〈庭〉である。
 庭は「人間外の事物同士がコミュニケーション」する場である。人間はそこを支配できず、ただ部分的に関与するだけだ。このつつましさから、自然と人間を共存させる豊かな知恵が生まれる。宇野は三浦半島の「小網代(こあじろ)の森」での「多自然ガーデニング」の取り組みを評価する一方、早朝の都心での虫とりがいかに身体的な「変身」の快楽をもたらすかを語る。それらは、人間関係だけで閉じたネット社会の外で、事物との「交通空間」(柄谷行人)を築き直す試みなのだ。
 事物に向かうとは、誰のためでもない、自分自身の内なる言葉にひとりで触れることでもある。今や孤独はケアされるべき病理のように扱われるが、実際は無価値どころではない。まとまった孤独の時間をとること、ときにはその時間を使って自分の欲しいものを「制作」すること――宇野が言うように、それは画一化された評価経済から抜け出すチャンスになり得る。その拠点の一つとして、銭湯が評価されるのも面白い。共同体は、何者かであることを人間に強く求める。対して、社会的なラベルや評価なしに、大勢のなかでひとりでいられる銭湯は、実は「何者でもないこと」こそが公共性の核にあることを教えているのだ。
 本書は、実現困難な理想で勝負する本ではない。むしろ、その気になれば誰でも実践できる多くのことに、希望を見出(みいだ)す本である。しかも、民藝(みんげい)から吉本隆明、都市の「静脈産業」にまで及ぶその論点の豊富さは、メディアの運営者・編集者でもある宇野の長年の活動に根ざしたものだ。要するに、彼の仕事そのものが、もともと〈庭〉に似ている。本書がたんなる情報を超えた多彩な感覚を与えるのは、そのためである。
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うの・つねひろ 1978年生まれ。批評家。批評誌「PLANETS」編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』『リトル・ピープルの時代』『母性のディストピア』『遅いインターネット』『砂漠と異人たち』など。