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村山由佳さん「PRIZE」インタビュー 直木賞を受賞しても、本屋大賞が欲しい。「果てのない承認欲求こそ小説の源」  

村山由佳さん=撮影・篠塚ようこ

「望むものを書けたとき、望む形で認められたい」

――本作は、直木賞がどうしても欲しい天羽カインの物語。なぜ今、直木賞を題材にしようと思ったのでしょうか。

 直木賞ありきだったわけではないんです。小説の構想を編集者と練るなかで、ふと私にとって承認欲求がいかに度し難いものであるか、という話になって。

――村山さんにも承認欲求があるんですか? 直木賞を受賞し、その後も数々の文芸賞に輝き、十分に認められている存在だと思うのですが……。

 いえいえ、なんでバレないんだろう、いつバレるんだろう、とずっと思っているんです。たとえるならば、先生にウケがいい作文を書くのが上手なだけでこの世界を渡ってきたんじゃないか、という思いが拭えなくて。それともうひとつ、自分の望むものを書けたときに、それを望む形で認められたい、という承認欲求もあります。そんな話を編集者としていて、じゃあ作家にとっての承認欲求や自己実現を具体的に書くのであれば、それはもう直木賞でしょう、となりました。

――天羽カインはすでに本屋大賞を獲り、映像化作品もある売れっ子作家ですが、直木賞にこだわります。書店員や読者から認められることと、文壇から認められることの違いを、村山さん自身はどう感じていらっしゃいますか。

 逆に今、私は本屋大賞が欲しいです(笑)。書店員の方々に「今売りたい本」とか、「読者に届けたい本だ」って言ってもらえたらどんなに幸せでしょう。要するに、隣の芝生は青く見えるってことなんだろうと思います。果てしがないんです。

 一方、カインが「直木賞でなければ」と思う気持ちもわかるんです。私自身、子どもの頃からずっと本に救われてきました。節目節目で人生を変えるような小説に出会ってきた。だからその系譜に自分の名も連ねたい、後世に残るものを書きたい。そういう作品は、本屋大賞に選ばれるような「その時代の星」ではなくて、やはり同業の大先輩たちに認められるものなんじゃないかな。どちらが上、というわけではなく。

村山由佳『PRIZE―プライズ―』(文藝春秋)

小説を「選ぶ」難しさ

――ご自身は直木賞に対してどんな思いがありましたか。

 作家デビューして初めてのインタビューが女性誌の「LEE」だったのですが、最後に「次の目標は?」と聞かれて「直木賞を獲ることです」って明るくハキハキ答えたんですよ。そしたら、「……という答えが不遜に響かないくらい、まっすぐでピュアな村山さんでした」と記事が締めくくられていて。そこで「これって不遜と取られるほど危ない答えなんだ」と驚いたんです(笑)。そんなこともわからないくらい、デビューしたら次に目指すものは直木賞なんだと思い込んでいたんですよね。

 そこから直木賞を頂くまで10年かかりました。狙って書いたって獲れないし、下馬評も当てにならないし、ただ目の前の自分の小説に向き合うしかない。難しい賞です。もちろん、どの賞もそうですが。

――後半にはカインが直木賞の選考委員に食ってかかる場面も。村山さんは現在、小説すばる新人賞、島清恋愛文学賞、中央公論文芸賞、吉川英治文学新人賞の選考委員を務めていらっしゃいます。誰かの小説を選ぶ難しさを、どう感じていらっしゃいますか。

 難しいです、本当に難しい。だから選考委員って複数いるんだと痛感しています。最終候補に5作あったとして、どれを圏外としようかというのは不思議と意見が一致するのですが、残った2作のどちらを選ぶかという段階になると、みんな違うことを言う。

 私は建物として美しい小説が好きなんですよ。どこから見ても端正な構造をもったものに惹かれる。でも、ベテランの先生になればなるほど、歪なものを推されるんです。

――面白い! 逆かと思いました。

 そうですよね。小説になっているか、いないかギリギリに思えるものでも、妙にどこかが突出して面白いと、北方(謙三)さんや五木(寛之)さんが推されるんです。だから最初はずっと対立していました。でも、小説すばる新人賞の選考委員になって14年、今では北方さんと意見が合うようになったんです。

 端正な小説を書くのは後から身に着けられる部分。それより、生き残れるかどうかはわかんないけど、この人しか書けないものがあるっていうものに惹かれるようになりました。自分の許容量が増えて面白がれるようになったのかもしれません。

 一方で、今年の小説すばるの選考では考えさせられる出来事もありました。朝井リョウさんの推した作品とベテラン勢が推した作品が対立したんです。明らかに朝井さんが推してらっしゃったもののほうが完成度は高かった。でも、最終的には、個性が光った作品が伸びしろへの期待もこめて受賞となったんです。朝井さんは「皆さんのおっしゃることはわかるけれども、新人にしてはうますぎるということが理由で落とされるのは僕は納得できません」とおっしゃった。すごく刺さりました。小説を選ぶということは、こんなにも難しい。初めて選考に加わったとき、ベテランの人もここまで真剣に読んで議論するのかと仰天したくらいです。

――カインが編集者や選考委員と格闘するなかに、「資料を読み込んだら9割捨てろ」、「辛くて悲しい話を書くのに、作者が先に泣きだしてどうする」などの金言が散りばめられています。これは村山さんから小説家志望へのエールと受け取っていいでしょうか。

 ふふっ、そういうふうに捉えていただけたらすごく嬉しいです。私、直木賞や新人賞の選評を読むのが大好きなんです。純粋に面白いし、他者の目を借りて物事を見られるから。

 選考会で北方さん、五木さんといったレジェンドのような方々と同じテキストを囲んで議論できることも宝物のような時間です。なぜこれがダメなのかという理由を自分にない視点から指摘されると、自分の作品ではそれをやるまいと思うんです。ある作品が「この時代特有の匂いが感じられない」と指摘されたのを聞いて、『風よ あらしよ』では、匂いを書くよう意識しました。すごく勉強になります。

 

村山由佳さん=撮影・篠塚ようこ

アドバイスと口出しの境界線

――カインは編集担当・緒沢千紘に忌憚なきアドバイスを求めます。「作家にとって何がいちばん怖いかわかる? 周りにいる誰も、ほんとうのことを言わなくなることだよ」と。デビュー31年になる村山さんも同じ思いですか。

 ええ、それは私がいつも担当さんにお願いしていることなんです。いつのまにやらキャリアだけが積み重なってしまって、周りはみんな年下。編集者の立場になって考えると、意見しにくいだろうなと思うんですよ。でも、私はもっと上手くなりたいし、過去の遺物にはなりたくない。だから本当にお願いしています。「絶対怒んないから言って」って。

――私がもし村山さんだったら、「大学出たての若造に何が分かる」って思ってしまいそうです。編集者への信頼はどこから来るのですか。

 編集者は自分の仕事や立場を懸けて意見をぶつけてくれるわけじゃないですか。だから匿名の顔の見えない人たちに言われたら腹立つことでも、編集者に言われたら受け入れられるんです。その意見を取り入れるかどうかは別として、やっぱりどんな意見も勉強になります。

 昔、ある編集者さんからこんな話を聞きました。担当した作家さんの連載が一冊にまとまって、「やっぱり面白いですね。ここの部分がとくに」と伝えたら、「それ、あなたに言われて直したところよ」って言われたそうなんです。

 彼女は「図らずも自画自賛になっちゃいました」と笑っていましたが、私はそれを聞いて、そういうところが作家と編集者の違いなんだなって思ったんです。編集者は自分が言って相手が直したか直さなかったかは覚えていなくて、できあがったものを第三者目線で読める。でも、作家は自分の書いた文章に違う何かがあったら「これ私書いてない」ってすぐわかるわけで。それくらいに自分、自分なんですよ。だからやっぱり編集者は、作家とは違う能力があり、私にできないことをしてくれているんだなって思います。

――作中で千紘は、カインの作品をよくすることにのめり込み、暴走していきます。村山さんの最初の離婚は、当時のパートナーが自作へ口出ししたことがきっかけだったとどこかで読んだのですが、アドバイスと口出しの境界線はどこにあるのでしょう。

 アドバイスする人と書き手が対等であれば、そういう問題は起こらないと思うのですが、創作を離れたところにパワーの勾配がある人から言われると、意見にいろんな混ざりものがはいっちゃう気がします。

 最初の旦那さんには、「村山由佳」というブランドを共同経営している感覚があって、大衆性が求められる「おいしいコーヒーのいれ方」に関しては、彼の助言でよかったこともたくさんありました。でも、そこから逸脱していきたい自分が出てきたときに、今まで通りでいるようにと強引に引き留められた。私生活では男と女であるだけに、はねのけるのは大変だったし、苦しかった。「おいコー」のことを下に見るわけじゃないけど、これじゃないものも私は書ける、ここだけにとどまるのはイヤだ、って思ったんです。

村山由佳さん=撮影・篠塚ようこ

新人作家は恐怖の存在

――次々と生まれる新人作家に対してはどのような思いがありますか。

 怖くてしょうがない存在です。読者にとってはこれまでのキャリアなんて関係ない。自分の読みたい本を手にするだけ。一人、新しい人が出てきたら、私はひとつ古くなるんだ、と思っています。

 この先書き続けられるだろうか、というのも常に考えています。カインのセリフとして書きましたけど、コロナ禍の時が本当に怖かったんですよ。このまま本屋さんが開かなかったら、って。私はできる限り一生、作家をやるつもりでいたけど、このままお役御免になっちゃうのかなって。あの思いはちょっと忘れられないですね。

――長く新しいものを書き続けるために、していることはありますか。

 若い編集者さんを大事にすることかな。昔、渡辺淳一さんがおっしゃっていたんですよ。若い編集者と付き合え、と。自分と同年代や年上はベテランで安心かもしれない。でも作家には定年はないけど、彼らにはある。そのときに依頼は一切来なくなるぞって。だから、若い人が担当についてくれた時は嬉しいです。彼らが満足するものをちゃんと書いてみせなきゃって、すごく背筋が伸びます。

人生を面白がりたい

――村山さんが今欲しいプライズとは。

 ひとつは本屋大賞。これは半分冗談ですが半分は本気です(笑)。何年もかけてじゃなくて一気に100万部売れるようなベストセラーを出してみたい。ふだん本を読まない人が手に取ってくれない限り、100万部にはいかないじゃないですか。街行く人がみんな私の本を読んでいる、それがどういう気分のものなのか、生きている間に経験してみたいなと思います。

――まだまだ野心がいっぱいあるんですね。

 面白がりたいですもんね、人生。私ができることって書くことだけだから、それで一番をとれたら、たいそう気分がよかろうと。

――それを達成しても、きっとまた次の新しいプライズを求めていくんでしょうね。

 承認欲求がなくなった時の方が怖いですよね。今まで、自分の承認欲求に苦しめられてきたんです。ずっと胃袋が飢えたままみたいで、これがなければいいのになって思ってきました。でも、この歳になってみると、おそらくこれこそが、作家としての生命力なんだろう、と。この欲求を大事にしていいものだと思えるようになったんです。

――村山さんにとって、小説を書くとは。

 これまでは一種のセルフカウンセリングだと捉えてきました。でも、それだけじゃない。

 クイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディー」の中で、終盤にフレディ・マーキュリーの「I‘m performer!」っていうセリフがあるんです。それを聞いた時、ああ、彼はただのシンガーじゃないんだ、パフォーマーなんだ、と痺れました。自分の一番得意な力をみんなの前で披露する、「見てほしい」と切実に願う、そして人を楽しませる。私にとって小説を書くことは、パフォーマーにとってのパフォーマンスみたいなものかもしれません。