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歌舞伎町の混沌を生きて 馳星周「不夜城」

写真・村上健

 歌舞伎町、最初は怖かったですよ。大学入って上京して、ゴールデン街でアルバイトしたのが1980年代、バブル前夜からですね。パンツ一枚の男が屋根の上逃げてたり、誰かが路地で血吐いてぶっ倒れてたり、なんだここはって初めは思ったけど、でもすぐ慣れた。

 むちゃくちゃで混沌(こんとん)としてたけど、楽しかった。無秩序の楽しさでしょうね。なんだかんだ言っても、日常生活では秩序のなかで暮らしてるわけじゃないですか。銀座とか六本木と違って、歌舞伎町は無秩序で猥雑(わいざつ)で、そこに身を置いてるのが楽しくてしょうがなかった。

 作家デビューの前はライターやってたんですけど、バブル崩壊のあおりとかそういうことなのか、年収の半分くらい稼がせてもらってた雑誌がつぶれちゃって。また営業して回るのも面倒くさいし、でもものを書く仕事しか自分はできないっていう自覚はあったので、じゃあ一度本気になって小説書いてみようかと。それが『不夜城』です。

 当時はバブルが崩壊して、経済どころか、この先どうなるんだよ日本はっていう空気が蔓延(まんえん)してる頃でした。でも中国とか東南アジアの人たちから見ればまだまだ天国のような国だったわけで、歌舞伎町なんかにはどんどん外国人が入ってくる。不法滞在して、裏社会に行く人だっている。そんな状況を背景にして書いたんです。

 毎日のように歌舞伎町で飲んだくれてたから、街の空気が変わったのはわかりました。もちろん僕が行くような安酒場は変わらないですよ、バブルの頃もバブル終わってからも。でも、街のなかで外国語がやたらと多く聞こえるようになって。タクシーチケット使って夜通し遊んでたサラリーマンが終電で帰るようになって、その時間を過ぎると本当に無国籍地帯みたいになったのを覚えてます。

込めた絶望や哀しみ 今は希望信じる

 どう書いたらいいんだろうとか、そういう迷いはなかった。それまで腐るほど小説読んで、それが血肉になっていたんだろうし、既存の作家に対して持っていた不満を全部解消するものを書いてやろうとか、そういう大それた気持ちもありました。

 でもいきなりベストセラーになったのはもう、うっそーって感じ。ひとごとでしたね。書いたものに自信はあったから、一部ではいい評価を得られるだろうと思ってたけど、日本の読者があれだけ受け入れてくれるとは思っていなかったので。

 主人公に共感できない小説とも言われたけど、共感できないかなって僕は逆に不思議に思ってました。いわゆるノワールと呼ばれる小説は、当時日本にはなかったけど、海外にはすでにあった。それまでのハードボイルドとか冒険小説とかの書き方じゃなくても、読者の共感を得ることはできるし、逆にこういう物語のほうが、深い絶望とか、大げさに言えば生きてることの哀(かな)しみとかは、伝えられると思っていたので。

 当時は希望なんて信じていませんでした。30代の頃の僕は生意気でしたね。人はみな一人で生きて一人で死ぬんだと思ってたから、小説もそういうものを書いていた。でも今は、希望というものを信じてるんですよ。希望がないと人は生きていけないと思うようになった。年とったからなのかな。

 2010年から登山を始めたんだけど、一緒に山に登る相手とは、お互いに命を預け合ってる感覚があるんですよ。一緒に行ってくれる相手がいるってことは、希望だと思う。(最新作の)『蒼(あお)き山嶺(さんれい)』では、命を預け合った絆みたいなものを書きたかったということもあるんです。努力すれば報われるとか、そういう安易な希望は、もちろん、今でもすごく嫌だけど。

 歌舞伎町のあたりには、全然行かなくなりましたね。06年に軽井沢に越してきて、今は東京に行くこと自体がそんなにないので。コマ劇場がなくなるってニュースで聞いたのは何年前だっけ、あれはちょっとショックだった。歌舞伎町からコマなくしちゃだめでしょって思ったけど、でもやっぱり、変わっていくんだよな。(聞き手・柏崎歓)=朝日新聞2018年3月28日掲載