沖縄戦から72年、沖縄の本土復帰から45年が経過した。長年にわたる不条理に満ちた経験は、一方ではいまなお継続中であると同時に、他方では月日の経過とともに生じる希薄化の渦中にある。それをどのような経験として表現し、受け継いでいくことができるのだろうか。大田昌秀・元沖縄県知事の訃報(ふほう)は、その問いに向き合うことを求めているように思える。
尊厳を賭けた声
4月から砕石の海中投下を開始した辺野古の新基地建設について、日本政府は「沖縄の負担軽減のため」と強弁するが、そのような美辞麗句を無効化する現実が沖縄では続いている。
嘉手納基地では、4月以降、周辺自治体等の強い反発を無視してパラシュート降下訓練が強行されている。民間地域に落下する危険性を抱えた降下訓練は住民にとって脅威だが、日本という国でそれが脅威とみなされることはなく、米軍が基地をどう使おうと結局は問題ないことになってしまう。「基地問題」という馴染(なじ)みの言葉遣いと論法が繰り返される一方で、基地によって一人ひとりの生がどう脅かされ、押し潰されてきたのかという点を直視した議論は少ない。
『追跡・沖縄の枯れ葉剤』はベトナム戦争期を中心に米軍が大量散布した猛毒物質の行方を追った、執念の調査報告だ。沖縄の基地に枯れ葉剤はなかったとする米国政府に対して、著者は長年取材を積み重ね、動かしがたい事実を突き付ける。
ただし本書の意義は、事実の暴露にとどまらない。軍の安全プロパガンダによって無防備に枯れ葉剤を浴び、蝕(むしば)まれた身体を抱えながら被害の隠蔽(いんぺい)に抗してきた元米兵たちの声を聴き取るとともに、ベトナムと沖縄で住民たちの証言に耳を傾けながら苦悩する著者の言葉は、特定の地域における特殊な問題として基地を見ようとする思考様式から私たちを自由にする。不都合な事実を隠蔽する権力に対して、自らの尊厳を賭けて声を発し、責任を問い続ける人びとの姿は、これまで多くの場所で生じてきた経験に重なっている。
戦争の全貌遺す
『基地で働く 軍作業員の戦後』は、周囲から見えにくい労働の経験に光を当てた貴重な記録であり、当時の感情を振り返る言葉を織り込むことによって一つの精神史を表現している。その内容は多彩であり、職場での米兵との関係も一様ではないが、占領者の米軍に雇われて働くことがいかなる経験で、そこにどんな支配関係が作用していたかを考えるうえで、多くの手がかりを提供してくれる。
日常的な監視と問答無用の解雇によって強いられた「マインドコントロール」を引きずりながら、重い口を開いた人びとがいること、そしていまなお口を開こうとしない人びとがいることも、基地をめぐる精神史の重要な一面である。そして、監視と制裁によって日常が管理されようとしているこの国において、その経験はもはや他人事(ひとごと)ではないはずである。
20年以上の試行錯誤を経て編まれた『沖縄県史 各論編 第六巻 沖縄戦』は、「沖縄戦への道」から「沖縄戦の戦後処理と記憶・継承」へと至る幅広い視野で、沖縄戦の全貌(ぜんぼう)を表現している。人びとの戦争体験を聞き取り、記録として後世に遺(のこ)す取り組みは、復帰直前から途絶えることなく続いており、その半世紀の蓄積が本書に込められている。そして大田昌秀『沖縄 平和の礎(いしじ)』(岩波新書・1996年刊・重版中)は、その編集事業をスタートさせた知事の思いを明確に表現している。
過酷な出来事に巻き込まれた経験を、希薄化の渦中からすくい上げる取り組みの軌跡を確かめながら、これから必要とされる言葉を考えたい=朝日新聞2017年6月18日掲載