桜庭一樹が読む
「きょう、ママンが死んだ」という不穏な一行目に、一気に引きこまれてしまう。誰にとっても、母の死は、おおごとに決まってるからだ。ところがところが、主人公のムルソーは、悲しくないと嘯(うそぶ)いて、ジリジリと焼けるような日光の下で女と遊び回ったあげく、衝動的に殺人まで犯してしまう。法廷で「人を殺したのは太陽のせいさ」と不敵にのたまうムルソーに、ついに死刑が言い渡されて……?
著者は一九一三年生まれ。第二次世界大戦中に、新聞記者として反戦記事を書く傍ら、『異邦人』で小説家デビュー。瞬く間に時代の寵児(ちょうじ)となった。
この作品の感想は、読む人によって、かなりバラバラだ。わたしはというと、「大きなショックを受けて出現した新しい人格」の内を覗(のぞ)き見ているようで、どうも落ち着かなかった。
ムルソーからは、時間の感覚が失われて、「今」しかなくなっちゃったように読める。過去や未来と繋(つな)がりを持てず、愛も希望も、なんにもない。いや、それどころか、晩ごはんに何を食べようかな、みたいな短期的展望さえ、もう持てないのだ。だから、感情がない人のように見えてしまい、裁判でもそこを糾弾される。でもムルソーが本当に失ったのは、心じゃなく、時――母(=世界)が存在してくれていたあの永遠なる過去なのだ。
第一次世界大戦の始まりとともに、大きな嵐に翻弄(ほんろう)される青年たちによって、「青春モラトリアム小説」が誕生した。それから約三〇年。第二次世界大戦の最中に書かれたこの作品では、主人公はもはやモラトリアムでさえない。巨大な喪失にショックを受け、不気味なヒトガタに変質してしまった男の、破壊的な物語。同時代の人々は、時代の申し子の手になる「不条理文学」を熱狂的に迎えた。
痛みさえ心に届かないほどの悲しみを、密(ひそ)かに知っている誰か……たとえば貴方(あなた)に、こっそり勧めたい一冊です。(小説家)=朝日新聞2018年3月11日掲載