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もはや家族のような日々を漫画に 矢部太郎さん「大家さんと僕」

 この階段を上がった先の部屋を間借りして8年。木造2階建ての1階には88歳の大家さんが一人で暮らす。「ごきげんよう」とあいさつするおばあさん。帰宅して部屋の電気をつけると「おかえりなさい」と電話がある。「どちらがいいかしら」と遺影の写真を相談される。もはや家族、風変わりな「二人暮らし」をつづった。
 大家さんとホテルでお茶していたときに、知人の漫画原作者、倉科遼さんと会い、「自分のおばあちゃんじゃないの?」と驚かれた。作品になるよと薦められ、タブレットで描いたコミックエッセー。ときにはアフリカ・ケニアのロケ先で描いたことも。
 本業はお笑い芸人。テレビに出るという矢部さんを「俳優さんかしら」と思っている大家さん。プロレスラーに投げられるバラエティー番組に、「お飛びになられてましたね」「なんであんな仕打ちを」。矢部さんは心の中で「大家さん、あれが、僕の仕事です」。
 ほのぼのさには時折、悲しさが混ざる。「おいくつなんですか」と大家さんに聞けば「ええと終戦の時十七だったから」。大家さんの基準はいつも戦争だった。ホテルでランチを食べながら「眺めがいいですね」と言うと「ここは焼け野原になってね」。「どの角度からでも戦争の話になる。忘れないでほしいのと言われています」
 父は絵本作家やべみつのりさん。小さな頃から絵を描くのが好きで、父のアトリエでよく過ごしていた。「なんとなくこうしたらできる」という手応えが漫画ではあるという。「お笑いでは感じないのですが」。お笑いの仕事は緊張するけれど、漫画は誰にも会わずに家でできるのが良いそうだ。お笑いと漫画はどちらが、と問うと、「漫画だけ描いて生きていたいですね」と即答だった。
 「お庭の花を楽しんだり、旬の果物を食べたり。大家さんには、失われていた人間性を取り戻させてもらった、という感じです」
 大家さんは小説誌での連載から楽しんでいた。「矢部さんのおかげで寿命がのびたの」と言われる。もう簡単には引っ越しできない。
 (文・中村真理子 写真・伊ケ崎忍)=朝日新聞2017年11月5日掲載