現代人は、自分自身の性格に確信をもてない。たとえば、常識では理解できない政治事件や犯罪事件の当事者、ネットでのブログ「荒らし」たちと、自分が本当に似ていないのか。テレビドラマで見た、ママ友たちの卑劣なボスに自分もなりうるのか。人間についての気味悪い情報に接するほど、そんな不安が高まってゆくはずだ。
情報バラエティー番組のコメンテーターとしても活躍する脳科学者・中野信子の啓蒙(けいもう)書『サイコパス』が売れているらしい。サイコパス=別名・反社会性パーソナリティー障害。病的な嘘(うそ)つきで、何事にも恐怖を感じにくく、他人の痛みに共感をおぼえず、弁舌が巧み。連続殺人者に比率が高い一方、社会的に大成功を収める者も。つまりサイコパスにも負け組・勝ち組の区別がある。サイコパスの割合は1%。都市環境に適応しやすいが、アラスカ先住民にもサイコパス的存在が知られていた。
脳科学上では著者は次のようにしるす。サイコパスは脳の扁桃(へんとう)体機能が低い。しかも前頭前皮質との連関が弱い。脳内物質にも一般人との違いがみられる。遺伝性が高い。西洋の学者名を出され「〜ということがわかっています」と学術成果を連打されると、専門外はそれらを鵜呑(うの)みにするしかない。終わりのほうにはサイコパスの診断シートがある。読者は自分を知ろうとそこに○×をつけるだろう。ところがサイコパスは虚言を弄(ろう)するから診断シートでは発見できないというブレーキまでかかる。そう、この本は「語りえないもの」の魅惑を実はめぐっていたのだ。
自分がどんな階層や病態に属するのか、それを反射的に問う本は、往年の『キンゼイ報告』をはじめベストセラー化する。知人と自分自身についての「怖いものみたさ」。だが既述のようにサイコパスは何にも恐怖を感じない。ならば自分がサイコパスかもしれない不安で本書を手にとった人は、すでにサイコパスではないことになる。(阿部嘉昭=評論家・北海道大学准教授)
◇
文春新書・842円=10刷20万部 16年11月刊行。男女とも幅広い世代に売れている。「大学新入生の10代後半など、人生の変化が多い時期の読者が手に取っている感触」と担当編集者。=朝日新聞2017年4月23日掲載
編集部一押し!
- インタビュー 「尾上右近 華麗なる花道」インタビュー カレーと歌舞伎、懐が深いところが似ている 中村さやか
-
- 中江有里の「開け!本の扉。ときどき野球も」 生きるために、変化を恐れない。迷いが消えた福岡伸一「生物と無生物のあいだ」 中江有里の「開け!野球の扉」 #13 中江有里
-
- コラム 三浦しをんさんエッセー集「しんがりで寝ています」 可笑しくも愛しい「日常」伝える 好書好日編集部
- 大好きだった 「七帝柔道記Ⅱ」の執筆で増田俊也さんが助けられた「タッチ」と「SLAM DUNK」 増田俊也
- 小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。 【特別版】芥川賞・九段理江さん「芥川賞を獲るコツ、わかりました」 小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。 清繭子
- インタビュー 鈴木純さんの写真絵本「シロツメクサはともだち」 あなたにはどう見える?身近な植物、五感を使って目を向けてみて 加治佐志津
- インタビュー 新井紀子さん×山本康一さん対談(後編) 辞書は民主主義のよりどころ PR by 三省堂
- インタビュー 新井紀子さん×山本康一さん対談(前編) 「AI時代」の辞書の役割とは PR by 三省堂
- インタビュー 村山由佳さん「二人キリ」インタビュー 性愛の極北に至ったはみ出し者の純粋さに向き合う PR by 集英社
- 朝日ブックアカデミー 専門外の本を読もう 鈴木哲也・京大学術出版会編集長が語る「学術書の読み方」 PR by 京都大学学術出版会
- 朝日ブックアカデミー 獣医師の仕事に胸が熱く 藤岡陽子さんが語る執筆の舞台裏 「リラの花咲くけものみち」刊行記念トークイベント PR by 光文社
- 朝日ブックアカデミー 内なる読者を大切に 月村了衛さんが語る「作家とはなにか」 「半暮刻」刊行記念トークイベント PR by 双葉社