〆切本(1・2) [編]左右社編集部
「原稿ですが、週明けとかなら可能かもしれません」とのメール文がある。自分は数年前まで編集者だったので、このメールを「週明けなら可能」と前向きに受け取っていた。だが、ライターになってからは「とか」「かも」に力を込めてメールするようになった。編集者は約束を迫り、書き手は曖昧(あいまい)に逃げる。この攻防の「防」に説得力なんてない。とにかく逃げ回る。
作家が〆切(しめきり)と格闘したり忘却したり逆ギレしたりするエッセイや日記などを集めたアンソロジーが、第2弾が出るほどに好評を博している。名文家の言い訳がひたすら連なるが、「約束を守れない」とのシンプルな状態に無限のバリエーションを投じていく。なにせそれは「約束を守らなかったのではなく『間に合わなかった』という現象」(リリー・フランキー)なのだ。
どうしても書けずに夜な夜な散歩に出かければ「俺は、樹(き)になりたい」(源氏鶏太)と投げやりになるし、作家同士が対話すれば、「締め切りは止めたらどうでしょうね」(深沢七郎)、「文芸誌は不定期でいいんじゃないか」(色川武大)と人のせいにし始める。約束を破る理不尽を、一丁前に見せようとする技量にうっかり惚(ほ)れる。
先日、沖縄の普天間飛行場に隣接する小学校に米軍ヘリからの落下物があり、謝罪した米軍は、「最大限、学校上空を飛ばない」と言った。それを聞いて、「あっ、これはそのうち飛ぶな」と確信した。なぜならば「最大限」というのは、編集者時代、〆切を破る常習犯の口癖だったから。最大限努力してみたんだけど書けなかった、が翌週も翌々週も続くのだった。
本書が業界あるある本ではなく、多くの人に届いているのは、どんな人も言い訳をしているからだ。軍事や政治の乱暴な言い訳は許されないが、本書にある「間に合わない」の切なる言い訳を次々知ると、なぜか生きる希望が湧き出てくる。言い逃れしながら生きている個人を肯定してくれるからだ。
武田砂鉄(ライター)
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左右社・各2484円=1は8刷3万4千部、16年9月刊行。2は2刷1万2千部、17年10月刊行。2は当初の刊行予定が遅れたことを、編者と発行者が奥付で言い訳している。=朝日新聞2018年2月18日掲載