日本再興戦略 [著]落合陽一
「売れてる」の視点で見ると、読者層の見えづらい本と見えやすい本がある。例えば“村上春樹の新刊”は後者で、(1)一定数のハルキストは勿論(もちろん)として、(2)多読はせぬが“文学”が気になるか気になった過去を持つか、(3)自分の流行アンテナの項目に“小説”が含まれる者、あたりが主な読者だ。『騎士団長殺し』の不振はだから、(2)の需要を又吉直樹に奪われ、連動して(3)も減少した構図の結果と言える。
同様に、落合陽一による本書も、読み進むと読者の顔が見えてくる。「日本」なる枠組みでその「再興」「戦略」を語り口調で記した本書は“現在の困難は歴史と社会構造のどこに由来するか”“日本古来の特色は何か”“社会に生じている変化とは”“変化がどんな機会(と危機)をもたらすか”を整理し説明する、極めて明快な一冊だ。“近代主義を離れ、個人ではなく小規模共同体の利益で判断せよ”“複数の仕事や収入をマネジメントせよ”等の指針の数々も、ブロックチェーンによる社会記録の意義も、平易な文体と無数の注の力や、実感しやすい今日の背景も手伝い、気づけば腑(ふ)に落ちて感じることだろう。
だが、「拝金マスメディア」の例に90年代トレンディードラマを挙げ、89年の天安門事件を「衝撃でした」と回顧的に書くことは、87年生まれの著者の実感とは受けとり難い。とすればそれらの記述は本書の想定読者を推測させる。題名にも違和感のない彼等(かれら)が(著者の父・信彦の読者世代でもある)、社会的な地位や力と共に著者を“話の通じる若手”と期待し引き立てれば、そのことで読者の幅が若者世代に広がってゆく――意図してそんな循環を作れれば、本書はさらに「売れる」のだ。或(あ)る層に買われることと別の層に売れることは本質的に異質だが、売上で括(くく)れば違いは見えづらくなる。そんなマス社会の終焉(しゅうえん)を予告する本書が、周到な仕組みを隠して「ただ売れて」いるかに見せる姿もスリリングで面白い――それも著者の意図だろうか。
市川真人(批評家・早稲田大学准教授)
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幻冬舎・1512円=4刷11万部 18年1月刊行。著者はメディアアーティストで筑波大学長補佐・准教授。購入者は20~30代の若い世代が多く、特に学生に人気があるという。=2018年03月18日掲載