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料理の腕を疑ってみる 前田司郎

 料理は好きだ。疲れて家に帰ってきても料理するのはさほど苦にならない。食べたいものを作れるから出来合いのものを食べるよりも良い。
 肉は外で食べると高いから家で焼くことが多い。とにかく高い肉が美味(うま)いのだと思っていた。しかし、家で焼いても店で食べるほど美味くない。やっぱりスーパーで買うような肉は駄目なのだ、と肉の所為(せい)にして、野菜ばかり食べていた。ところが例えば野菜を焼いただけのものでも美味いときと不味(まず)い時に差がある。やっぱり野菜の質に原因を押し付けていたが、もう一つの大きな要因に目を向けることを避けていたのだ。料理の腕である。
 つい数年前、僕はこの問題にしっかりと向き合う決心をした。食材の所為にしないで、自分の腕を疑うことからはじめた。疑ってみると、なぜ自分の腕にそんなに自信を持っていたのか全然わからない。根拠がない。
 僕は根拠のない自信だけで仕事をしてきた人間で、戯曲も小説もそれだけを武器にやってきたから、根拠のない自信を疑うことは僕の中で禁忌になっている。これを疑いだすと何も書けなくなってしまう。
 自信に根拠を持ってはいけない。「あの人に褒めてもらったから自信を持って良い」などと考えるのは、自分の評価を他人に委ねることだ。他人の顔色を伺って書くことだ。自分を評価出来るのは自分だけ、自分が面白いと思ったものが世間に相手にされなかったら仕方ないと割り切ってやるしかない。
 なんの話だ? そうそう、料理だ。料理ももちろん同じだと思う。料理の場合は自分からも評価されていないのだから、やり方を改めるしかない。
 色々本を読んだ結果、基本の「き」は火の入れ方だと結論した。僕は中華料理が好きだ。テレビの影響で、強火で一気に火を通すのが正義だと思っていたが、それがどうやら間違いだったようだ。何でも強火ではいけない。どころか、弱火でじっくり火を通したほうが野菜の旨味(うまみ)が壊れないらしい。理屈よりも、実践で。弱火で蒸し焼きにした野菜は甘くて美味(おい)しいのだった。次いで肉の焼き方も研究した。肉の表面を焼き、中は余熱で調理するというのがどうも正解らしい。両面に焼き色をつけたらアルミホイルに包みしばし休ませる。すると熱せられた肉汁が肉の中を回って火が通る。こうやって調理すると確かに美味い。
 ドレッシングやソースに凝ったり、やたら複雑な料理を作ろうとしたり、そういう道を通って今は、焼くか蒸すかして塩でいただく原始に近い料理に回帰している。凝った料理はおとなしく外でプロの作ったものを食べることにしている。=朝日新聞2018年01月20日掲載