北海道の山奥で暮らしていた頃、集落の人たちに誘ってもらって山菜採りに出かけたことがある。山の空気を胸いっぱいに吸い込んで、道みち話しながら山菜を摘み、十勝川(とかちがわ)の河川敷でそれを天ぷらにして食べる。福井でも、小さい頃に家族で山菜採りに行くことはあった。ゼンマイやワラビやフキを採る。山から戻ると、軒先に山菜を広げ、余計な葉や、綿を取ったり、袴(はかま)の硬い部分を折ったりし、それから灰汁(あく)抜きを兼ねて茹(ゆ)で、干して、保存する。意外と手間のかかる作業だった。どんな山菜を採ればその場で食べることができるのだろう。興味津々でついていった。
イタドリは、福井の山に生えているイタドリとは違った。皮をむいて齧(かじ)ると、ちょっと酸っぱくて楽しいイタドリ。ところが、こちらのイタドリは大きくて硬く、食べられていない。煙草(たばこ)に混ぜて使われたのだという。
フキノトウ、ウド、コゴミ、ヤマブドウ、タランボ、コシアブラ、ギョウジャニンニク。知らなかった名前も多い。ギョウジャニンニクは、なぜか急な崖の斜面や、水辺に自生していることが多く、採るのに危険を伴う。だからなのか、それともそのおいしさのせいか、ギョウジャニンニクを摘んだ人は鼻高々だ。ヨモギとそっくりで葉の裏まで緑なのは、トリカブト。普通にあちこちに自生しているけれど、猛毒なので間違って摘んだら大変だ。
話しながら歩き、聞きながら摘む。なまなましい緑の匂いが立ち上る。これをこのまま揚げてしまえば、灰汁抜きもいらないのだとふと気がついた。摘みたての山菜たちを川原で天ぷらにしてくれるのは、以前、銀座で和食の店をやっていた人だ。夫婦で山に移住して、子どもたち四人を育て上げ、麓(ふもと)の町でレストランを開くところだった。青空の下、摘みたての山菜たちがどんどん揚がっていく。カラッと、サクッと、パリッと。初々しい香りと、甘さ、苦さが交錯して口の中に広がった。
帰り道、来るときに通ったはずの景色が違って見えた。道端にあった緑が、「緑」ではなくなっていた。あれはコシアブラ、こっちはちょっと伸びたコゴミ、向こうにタランボ。ひとつひとつ名前を持った植物たちが、それぞれに背を伸ばしているのだった。
顔と名前を知ったら、その人をまったくの他人として見過ごすことはできなくなるように。なんでもない風景が、その土地の歴史を学んだときから、不意に意味を持ち始めるように。道端に生える山菜たちが、一斉にいきいきと主張を始めた瞬間だった。=朝日新聞2017年09月02日掲載
編集部一押し!
- 売れてる本 千葉雅也「センスの哲学」 真のセンスはアンチセンスだ 大澤真幸
-
- 鴻巣友季子の文学潮流 鴻巣友季子の文学潮流(第19回) 翻訳が浮き彫りにする生の本質 小川哲、水村美苗、グレゴリー・ケズナジャットの小説を読む 鴻巣友季子
-
- 新作映画、もっと楽しむ 映画「がんばっていきまっしょい」雨宮天さん・伊藤美来さんインタビュー ボート部高校生の青春、初アニメ化 坂田未希子
- トピック ポッドキャスト「好書好日 本好きの昼休み」が100回を迎えました! 好書好日編集部
- インタビュー 柿木原政広さんの写真絵本「ねぇだっこ」 かがくいひろしさんや西川©友美さんの「伝える力」にパワーをもらった 日下淳子
- トピック 「第11回 料理レシピ本大賞 in Japan」受賞4作品を計20名様にプレゼント 好書好日編集部
- トピック 【直筆サイン入り】待望のシリーズ第2巻「誰が勇者を殺したか 預言の章」好書好日メルマガ読者5名様にプレゼント PR by KADOKAWA
- 結城真一郎さん「難問の多い料理店」インタビュー ゴーストレストランで探偵業、「ひょっとしたら本当にあるかも」 PR by 集英社
- インタビュー 読みきかせで注意すべき著作権のポイントは? 絵本作家の上野与志さんインタビュー PR by 文字・活字文化推進機構
- インタビュー 崖っぷちボクサーの「狂気の挑戦」を切り取った9カ月 「一八〇秒の熱量」山本草介さん×米澤重隆さん対談 PR by 双葉社
- インタビュー 物語の主人公になりにくい仕事こそ描きたい 寺地はるなさん「こまどりたちが歌うなら」インタビュー PR by 集英社
- インタビュー 井上荒野さん「照子と瑠衣」インタビュー 世代を超えた痛快シスターフッドは、読む「生きる希望」 PR by 祥伝社