昔の米はおいしかった。これは単なる懐古趣味ではなく、本当にうまかった。私は九歳の時、兄の進学の事情により、満州から、父の生まれ故郷、大分県の日田市にある祖父母の家に、三年半ばかり預けられていた。
その家は、大きな農家であり、精米所も兼業していて、三十人ばかりが暮らす大家族だった。農繁期には、親戚の人たちが手伝いにきて、人の数は五十人ほどになった。
田植え。麦刈り。朝、暗い間から働いた。田植えなどは、大人に交じって同じ量をこなした。なあに、チクショウ、負けるもんか。そう思うと、体が勝手に動き、疲れ知らずで働くことが出来た。
日本が戦争に負けた。外地から引き揚げ者が続々と帰ってくる。その一人が言った。
「畑先生(医師の父)だったら、死んだよ。処刑されたという噂(うわさ)だよ」
私と兄は、孤児の扱いを受けるようになった。それから、メシのお代わりが出来なくなった。魚や肉のから揚げは、テーブルの真ん中に盛られていた。自分のものを平らげ、さらにすかさず両の手に一つずつ取った。
「まあ、この子ったら、スジイばい」と伯母が言った。
スジイというのは、日田弁で、ずる賢い、すばやく人の目をかすめて動く、という意味である。これは大きな棘(とげ)になって心にささった。
テーブルの上のご馳走(ちそう)に手が伸ばし難くなった。常に腹ぺこだ。
食後、台所へぶらりと行った。すると祖母が、大きな釜に残っているご飯を、そうれ、両手を出しなと、しゃもじですくって盛ってくれた。
みそ蔵に座ってむさぼった。みそもしょうゆも自家製で、一度にどっと作り、台所の隣の部屋にしまわれていた。
久しぶりにたらふく食べた。掌(たなごころ)にいっぱいくっついているメシ粒を、唇の間にはさみながら食べた。私は、その折の、おいしかったことが忘れられない。
米を炊くのは、大きな五升釜だった。そのふたをとった時、あたりには、米の芳香が漂った。
祖父は養子だった。隣の山深い玖珠(くす)という町の出身だった。だから、その家の米は、米どころ、玖珠の米であった。かおり立つのは、そのせいである。
三十九歳で胃がんの手術を受けた後、郷里に帰ってみた。
「玖珠米ば食べたか」
と、まず言ったが、
「そげなもん、どこにあるとね」
と笑われてしまった。
少年の頃、喜々として食べた日田のオノゴレという柿もなかった。
白いメシ。少年の頃、一粒ずつ食べた、あの味の米は、もうなかった。=朝日新聞2017年07月15日掲載
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