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「信ずる力」を取り戻す思想 ウィリアム・ジェイムズ「プラグマティズム」

大澤真幸が読む

 南北戦争が終わって間もないアメリカで、新しい哲学が誕生した。プラグマティズム。この語を発明し、新思想を展開し始めたのはチャールズ・パースだ。だがこの新奇な語を広く世に知らしめ、わかりやすく変更したのは、パースの友人ウィリアム・ジェイムズである。本書は、彼が1906~07年にかけて行った連続講演・講義録である。
 ここに示されたプラグマティズムの要点は、斬新な真理観にある。アリストテレス以来、真理とは「信念と事実の一致」だとされてきた。ところがジェイムズは、真理であるとは、その信念が有用であるということだ、と主張した。
 と聞くと、ちょっと待てよ、と思うのではないか。役立ちゃ何でもいいのかよ。それはお手軽過ぎないか。アメリカは厳格なプロテスタントが作った国であり、その精神の中から生まれた思想にしては、プラグマティズムの主張はあまりに現世利益的だ。大御所哲学者ラッセルは、ジェイムズの哲学をアメリカ風の拝金主義と罵倒した。実際、ジェイムズも真理概念を「現金」の比喩で説明している。
 だが、ジェイムズのプラグマティズムは信仰を冒涜(ぼうとく)するものではない。逆に、信ずる力を取り戻す思想なのだ。デカルトと対比してみるとわかる。デカルトは、疑いうることをすべて疑った結果、「私が考えている」ということ以外なにひとつ確実なことはない、というところに自分を追い詰めてしまった。こうなると人は一歩も前に進めず、行動できなくなる。
 それより、自分が信じていることを、勇気をもって信じよう。その信念を実行に移し、有効な結果がもたらされたとしたら、その信念は「真理であった」ということになるのだ。これがプラグマティズムである。
 この発想の転換がいくつもの哲学的な前提をひっくり返す起点になった。例えば何が有用かという判断は価値観と切り離せないので、有用性によって真理を定義すると「事実と価値の区別」も捨てられる。(社会学者)=朝日新聞2017年10月15日掲載