「もう……追わぬ」
そう言いつつも、心では狂おしいほど相手の愛を望んでいる。瞬間、地面は音を立て、ひび割れていく……。
マンガ「日出処(ひいづるところ)の天子」の一場面。報われることのない愛と孤独をこんな風に表現できるものなのか。初めて目にした時、打ち震えたのは私だけではないはずだ。
本作は1980年から84年にかけて月刊少女マンガ誌「LaLa」に連載された、厩戸王子(うまやどのおうじ)、つまり後の聖徳太子を主人公にした物語である。それだけを聞くと、少女マンガの題材としては渋い歴史ものに思えるが、王子を妖艶(ようえん)な美少年として、一種の超能力者として、はたまた同性愛者として描いたことで新鮮だった。それまでは「お札に描かれた髭(ひげ)の生えた肖像」、あるいは「教科書の中の人物」といったイメージが一般には大きかったからだ。
厩戸王子は有力豪族・蘇我馬子の息子・毛人(えみし)と心を通じ合わせ、許されざる恋心に揺れ動く。届かぬ強い想いは時に黒い嫉妬心にも変わる。仏教を土台に国づくりを進める神がかった存在であるはずの王子が、読者の私たちと変わらぬ感情にさいなまれる。そんな王子の姿に読者は共感し、人間の愛の喜び、魂の孤独に気づいた。
山岸凉子ワールドに浸る
そうした記念碑的な作品を本作だけにあらず生み出しているのが、作者・山岸凉子の恐ろしいところである。69年にデビューした山岸氏の名を最初に世に知らしめたのが、71年の「アラベスク」。バレエは戦後少女マンガの王道のテーマとして多数のマンガ家が描いたが、バレエの精神性、芸術性に着目したのは本作が初めてだった。すらっとした人物造形、繊細な心理描写のための細やかな線や点描……。マンガの表現そのものにも一石を投じた。
また、時を経た2000年に再びバレエをテーマに描いた「舞姫 テレプシコーラ」も特筆すべき重大な一作だ。児童虐待やいじめなど、子どもを取り巻く社会問題と絡め、現代日本のバレエ界を描いた本作は第11回手塚治虫文化賞マンガ大賞も受賞した。
山岸は短編の名手でもある。例えば、父親からの抑圧で極端に性に対して潔癖に育った女性が自分の殻を破れず発狂していく「天人唐草(てんにんからくさ)」。実際におきた大量殺人事件「津山事件」を描いた「負の暗示」。人形に込められた情念を描くホラー「わたしの人形は良い人形」。盲目の霊能力者を描いた「白眼子(はくがんし)」……。テーマは実に多彩。壮大な世界観が短いページ数に凝縮されているのだ。
そして、「日出処の天子」もそうであったが、どんな作品も人間の普遍的な情念が描かれることで通底している。誰にでも等しく隣り合わせにある落とし穴に、時にはっとさせられるとともに、そこに落ちたとしても生きていく人間の強さにも気づく。だからこそ私たちは目が離せなくなるのだ。
そんな特異な世界観を生み出すのは、やはり絵の力だ。山岸作品の特に大きな特徴は、四角い吹き出し。「妖精王」の連載途中から統一されたが、マンガの中でも一番わかりやすい記号表現をあえて抑制することで、どこか客観的な視点が生まれる。それが作品に独特な迫力をもたらすのではないだろうか。
そして何より、透明感のある肌、着物の細かな文様……。山岸がこだわり抜いて描くカラー原画の美しさは、筆舌に尽くしがたい。
京都国際マンガミュージアムでは、そんな山岸の画業を初期から現在まで約200点の原画で振り返る特別展を開催中だ。間近でその筆致を堪能しつつ、唯一無二の山岸ワールドに浸って欲しい。
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「山岸凉子展『光―てらす―』 メタモルフォーゼの世界」は9月3日まで、京都市中京区の京都国際マンガミュージアム(075・254・7414、http://kyotomm.jp/)で開催。
(倉持佳代子・京都国際マンガミュージアム研究員)=朝日新聞2017年7月28日掲載