観応の擾乱 [著]亀田俊和
観応の擾乱は、観応年間(1350〜52)にピークに達した初期室町幕府の内紛である。初代将軍・足利尊氏(たかうじ)の弟で政務を主導していた足利直義(ただよし)と、足利将軍家の執事(筆頭家老)であった高師直(こうのもろなお)との間で権力闘争が発生し、やがて尊氏と直義との軍事衝突へと発展した。
観応2年に高師直が殺され、翌年に足利直義が亡くなり、観応の擾乱は一応終息する。だが、その後も直義の養子直冬(ただふゆ)が抵抗を続け、幕府の内部抗争は10年以上続いたのである。
応仁の乱も複雑難解な戦乱だが、少なくとも名前を耳にしたことはあるだろう。これに対し、「観応の擾乱」は読み方すら知らない方もいるのではないか。その意味で、亀田氏の『観応の擾乱』が3刷6万8千部に達したことは、拙著『応仁の乱』のヒット以上に驚異的である。
僭越(せんえつ)な言い方になるが、『観応の擾乱』と拙著のヒットの要因には、共通点があるように思う。すなわち、図式的な説明の排除である。従来の研究では、公家や寺社の権威を尊重する守旧派の足利直義と、既存の秩序を歯牙(しが)にもかけない革新派の高師直との政治思想の違いが強調されてきた。しかし亀田氏は師直の意外な保守性を指摘する。さらに「直義派」「師直派」という明確な色分けを否定し、大半の武士は勝ち馬に乗ろうとする付和雷同層だったと主張する。
拙著でも、足利義政の現実逃避や日野富子のエゴを応仁の乱の原因とする通俗的な見方を退け、多数の要因が絡み合って大乱が勃発した経緯をなるべく丁寧に追ったつもりである。
昨今は「すぐ分かる」を謳(うた)い文句にした本が氾濫(はんらん)している。読者が望むからという雰囲気もあったが、果たしてそうか。本当は“本格派”の登場を待っていたのではないだろうか。複雑な事象を複雑なままに理解しようと試みた本書のヒットは、出版界の単純化路線に一石を投じたと言えよう。
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中公新書・929円=3刷6万8千部
17年7月刊行。同じ中公新書の『応仁の乱』は売れ続け42万部に。「相乗効果というか、日本の中世に関心が高まっているようです」と編集者。=朝日新聞2017年10月8日掲載