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わるいやつら 澤田瞳子

 この季節の買い物は、悩みが多い。何故(なぜ)ならどこのスーパーマーケットにも、私の大好物である桃が並ぶからだ。ご存じの通り、桃はとてもデリケートな果物。このためどう持ち帰ればもっともダメージが少ないかに頭を痛めるし、「この桃の食べ頃はいつだろう」「家でいま三つ、追熟待ちのはず。それより早く食べられるかな」などと考え出すともういけない。しかも様々な悩みを乗り越えて持ち帰れば、今度は熟れ具合の見計らいが難しい。皮を剥(む)きながら「早かったー!」と叫ぶのはいつものことで、己の審桃眼のなさに涙にくれる。中国では古来、桃は長寿をもたらすと言われるが、それがこれほど人を惑わせる食べ物とは、なんと皮肉な話だろう。
 なお桃に次ぐ私の好物は梨だが、こちらは少々酸っぱくてもそれはそれで楽しめる。果肉を傷つけぬようそろりそろりと剥く桃に比べれば、皮むきだってどんなに楽か。
 インターネットの「お取り寄せ」に最初に手を染めたのは桃がきっかけだったし、冷たいパスタが苦手だった私が初めて自ら食べたのは桃の冷製パスタだった。大げさに言えば、私の世界の幾らかは桃のおかげで広がったわけだ。とはいえそれを差し引いても、この選ぶに難しく、運ぶに難しく、食べるに難しい果物の、なんと愛(いと)おしく憎らしいことだろう。
 冷やしすぎないよう時間を見計らって冷蔵庫に入れ、丁寧に皮を剥くその手間。触る端からするすると滴っていく果汁。香り高い果実をようやく口に含んだ時は、安堵(あんど)の溜(た)め息すらこぼれる。
 とはいえ、もし桃が万事において容易な果物であったなら、私は毎年かくも熱烈に桃を愛しただろうか。そう考えると、あるいは童女の頬(ほお)のように美しいピンク色の、あるいは高貴な姫君の如(ごと)く清純な姿の様々な桃が、私を誑(たぶら)かす「悪い奴(やつ)ら」に見えてくる。そして私は彼らの透き通った悪にすっかり幻惑されつつ、この夏もまた桃の事ばかり考えて、落ち着かぬ日々を過ごすのである。=朝日新聞2018年7月9日掲載