昨年12月の安倍晋三首相の真珠湾訪問は、予想通り日米同盟の強靱(きょうじん)さと和解の大切さを謳(うた)いあげる場となった。安倍首相がこの時期の訪問を決意した背景には、オバマ米大統領の広島訪問に返礼し、「戦後」に終止符をうちたいとの意図が見え隠れしている。戦後70年談話や慰安婦問題に関する日韓合意と共に、歴史論争を「最終的かつ不可逆的」に解決し「未来志向」に立つのが政権の狙いなのである。
開戦責任語らず
ところが、戦後の総括となるはずの真珠湾での演説の中で、首相は日本の開戦責任や、攻撃の引き金となったアジアでの戦争に対する反省を語らなかった。寛容の心や平和国家としての歩みを誇る言葉に歴史的な裏打ちは何もなかったのである。それはこの70年余り、日米双方で重ねられてきた「真珠湾攻撃」をめぐる歴史的議論を完全に無視した奇妙な演説であった。
真珠湾攻撃が、原爆投下と共に、戦後日米関係にとって喉(のど)に刺さったトゲであることは否定できない。日本からすれば、それは敗北した戦争の強引な幕開けであり、宣戦なき攻撃という汚名を着せられた不名誉な事件であった。他方、米国にとってのパールハーバーは、卑劣な騙(だま)し討ちであり、侮っていた相手に出し抜かれた屈辱的な事件であった。ジョン・ダワーが『容赦なき戦争』(斎藤元一訳、平凡社ライブラリー・1728円)で論じたように、それは日本人や日系米国人への激しい敵意につながった。しかし、大戦が終結して冷戦が始まると、パールハーバーは、「敵」の攻撃に備えよと社会を鼓舞する時に想起される政治・文化的象徴へと変容していく。エミリー・ローゼンバーグが『アメリカは忘れない』に描いたように、歴史と記憶とが交錯する中で、パールハーバーはメディアに利用され、現在と歴史とを繫(つな)ぐ「聖像」となっていくのである。
アジアを視野に
真珠湾攻撃がトゲだったからこそ、日米の研究者は開戦への道を丹念に検証し、理解の共有を試みた。両国の政府首脳や陸海軍、大使館、官庁、議会、財界やメディアの役割を分析したDorothy Borg・岡本俊平編『Pearl Harbor as History』(英文、コロンビア大学出版会、1973年)はその代表例である。2004年に出版された細谷千博・入江昭・大芝亮編『記憶としてのパールハーバー』も日米共同研究の成果であり、戦争の記憶が戦後日米関係や国内・対外政策に及ぼした影響を広範に議論している。真珠湾攻撃は、社会や文化を含む歴史的文脈で問われるべきだとの問題意識に説得力がある。
戦後50年を迎える頃には、真珠湾攻撃はアジア太平洋を視野に入れて語られるようになっていく。アジアにおける日本の戦争責任の放置が問題になったこと、日米開戦は日本の中国および東南アジアへの軍事侵攻を背景に起こったことを考えると、これは自然なことである。この視点に立つならば、日米不戦の誓いはアジア地域との不戦の誓いと切り離すことはできず、ハワイとともにグアムやサイパンでの戦闘が現地の人々に与えた意味も問わねばならなくなる。このような観点から、「真珠湾」をめぐる教育実践を語り合ったのが矢口祐人・森茂岳雄・中山京子編『真珠湾を語る』である。
歴史の問いに「審議終了」はない。オバマ大統領の広島訪問が、「核なき世界」への出発点であるのと同様、安倍首相の真珠湾訪問も、太平洋戦争を問い続けるための出発点でなければならない。「過去は決して死んでいない。それは、過ぎ去ってすらいないのだ」という米国の小説家フォークナーの言葉を銘記し、われわれ一人ひとりが、過去が生々しく残る場で耳を澄ませることが必要である。=朝日新聞2017年1月15日掲載