男は人生の中で必ず一度は尾崎病にかかる。
もちろん尾崎豊のことは知っていたが、ちゃんと聴いては来なかった。中学二年生のとき、クラスで唯一のヤンキーO君が尾崎豊を崇拝していたので、ちょっと「ダサいのかな」と敬遠していたのだ。
若いときは、どうしてもストレートど真ん中で表現されているものが苦手だ。こっ恥ずかしいのだ。「俺は他の奴らとは違う」という生き様こそが格好良く、野球部で丸坊主なのに、教室の片隅で一人ゴリゴリのジャズをウォークマンで聴いていた。今、振り返れば相当痛い生徒だったというわけだ。
高校を卒業して学生という特権を失った俺は世の中に対して牙を剥くことになる。立派な尾崎病である。しかし、さすがに十九歳では盗んだバイクで走り出したりはできない。
世間に理由のない怒りを感じるのは、ずばり、暇だからだ。
俺はほぼ毎晩、悪友と深夜のドライブに出かけていた。ちなみに俺は無免許なので、悪友の運転で悪友の親の軽自動車だった。
ある夜、地元の大阪から京都までの国道をダラダラと走っているとき、カーラジオから「15の夜」が流れてきた。俺たちは、バイトの給料日でご機嫌なこともあり、カラオケ気分で熱唱した。
そのとき、悟りを開いた。尾崎のチャクラがパッカーンとなってしまった。
尾崎豊は、大声で歌うとどうしようもなく熱くなる。腕をぶん回して、ど直球をど真ん中に投げ込みたくなるのだ。
俺と悪友は、胸の奥から湧き上がる衝動をぶつけたくなったが、何にぶつければいいのかわからなかった。
「肝試し、しようや」
「おう、やろうぜ」
若さは、馬鹿さでもある。尾崎の歌でエネルギーがギンギンになった俺らは謎のテンションで、地元では有名な幽霊トンネルへと向かった。
幽霊トンネルは山奥にあり、タクシーの運転手が女の霊を乗せて新聞の記事にまでなったガチの霊感スポットだ。
薄暗いトンネルに尾崎豊のハスキーボイスが響き渡る。心霊とは真逆の雰囲気に、さすがの幽霊も現れなかった。
馬鹿馬鹿しいけど愛おしい青春のワンシーンだ。
完全なおっさんになった今、あの夜を取り戻すことはできない。金のため、家族のため、自分のプライドのために仕事を続けている。男は人生の中で必ず一度は尾崎病にかかり、いつの間にか完治するものなのだ。
ただし、スナックのカウンターで酒を片手に「15の夜」を熱唱するときは再発の恐れがあるので注意するように。