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「エコラリアス 言語の忘却について」書評 過去からよみがえる新たな表現

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2018年08月25日
エコラリアス 言語の忘却について 著者:ダニエル・ヘラー=ローゼン 出版社:みすず書房 ジャンル:哲学・思想・宗教・心理

ISBN: 9784622087090
発売⽇: 2018/06/09
サイズ: 20cm/275,50p

エコラリアス 言語の忘却について [著]ダニエル・ヘラー=ローゼン

 大学時代の友人と再会した。20年前にアメリカに移住した彼と話すのは久しぶりだ。だが懐かしく語り合ううちに、ある違和感に気づいた。彼の言葉遣いもリズムも二十歳の頃のままなのだ。まるで大学時代の自分が過去から蘇り目の前にいるようだった。
 エコラリアスとは、過去から谺する言語のことだ。過去の日本語は僕の中で死に、現在の言葉に生まれ変わっている。でも僕はその死を知らぬまま、ずっと同じ言語を話していると思い込んできた。だが友人の言葉は僕の忘却を暴く。
 こうした忘却こそが言語の本質である、と著者は言う。彼は膨大な知識を駆使しながら、忘れることの意義について語る。ラテン語は誰にも気づかれぬままイタリア語に変化し、もはや平安時代の日本語を話す者など誰もいない。人々は集団的に言葉を忘れ去り、その隙間を新たな表現が埋める。「時として、記憶が破壊的であるのと同じくらい忘却は生産的だ」
 しかしことはそう単純ではない。死んだ過去の言葉は亡霊として回帰する。消えたケルト語はラテン語を変化させてフランス語を生んだ。井原西鶴を読めば、現代日本語にも江戸時代の言い回しが多く生き残っていることがわかる。とすれば、僕らは言葉を話すことで、膨大な死者たちと常に語り合っているのだ。
 けれども、トラウマ的な記憶は一度も死ぬことなくそのまま残ってしまう。だから幼い日に見た虐殺の記憶を、ノーベル文学賞受賞者の思想家カネッティは忘れられず、両親の母語であるラディーノ語で思い出し続ける。その記憶を彼は、他の言語には翻訳できない。多言語を自由に駆使できたのに、だ。
 そうした、直視することの難しい記憶の周囲に、瘡蓋のように物語が生じる。だからこそ彼は生涯、語り続けたのだろう。言語論から人間の精神の成り立ちや、物語の発生にまで洞察が広がる好著である。
    ◇
 Daniel Heller-Roazen 1974年生まれ。米プリンストン大教授。10カ国語に通じ、哲学や認知科学などを論じる。