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「あめだま」が韓国で大人気の絵本作家ペク・ヒナさん 耳をすませば愛の言葉が聞こえてくる

文:加賀直樹、写真:有村蓮

テレビ番組向けに書いた物語が出発点

――独りぼっちのドンドンと、不思議な「あめだま」をめぐる物語。「あめだま」を口に入れた途端、他者の心の声がドンドンの耳に飛び込んできます。最初の不思議はリビングのソファ。「リモコンが挟まって痛い!」とソファは叫びます。じつに独創的。どんなふうに物語を着想したのですか?

 出発点は15年前に遡ります。当時、私は子ども向けのテレビ番組で扱う物語を書いていました。これ(『あめだま』)は、その時にいくつか書いていた物語の一つなんですね。原題は「おかしなオンマ(おかあさん)」という物語でした。その時、絵本の編集者から、「この物語で本を作ってみたらどうか」と提案を受けました。

――テレビのお仕事をされていたのですね。

 それから物語を新しく書き直し、再作業をしました。15年前には、小さい娘が1人だったのが、今は中学生になりましたし、あとは小学校の息子もいます。生きていくなかで様々な変化がありました。自分の生活の変化も、この本に反映されていると思います。

 「あめだま」をなめると他の人の心の声が聞こえるという、枠の部分は同じです。ただ、ストーリーやジャンルは、当初とは違う物語としてつくり上げられた本となりました。

――15年の歳月を経て、身の回りの変化が物語の醸すトーンをも変えたのですね。

 最初に着想を得た頃は30代半ばでした。再作業をしたのが40代半ば。私にとって人生の激動期だったんです。自分自身、とても感動を覚えました。例えば、ドンドンと父親とのシーン。つくりながら私自身、号泣してしまいました。

――「宿題したんか?」「おもちゃ、ちゃんと片付けろ」。口うるさい父親を煩わしがり、ふて寝するドンドン。ふと「あめだま」をなめた瞬間、ドンドンを思う父親の、たった一つの愛の言葉が、降り注ぐように聞こえ始める……。そしてドンドンは、台所仕事をする父親の背中に抱きつくんですよね。

 祖母の声が聞こえてくるシーンでも、私は泣きながら作業したんです。自らこの10年間、いろんなことがあって、自分も成長してきたんだと感じながらの作業でした。

 実際、私の性格もドンドンと一緒で、どちらかというと内気。あまり社会性があるほうではないタイプ。子どもたちも私によく似て内向的なので、他者とのコミュニケーションが得意でない。そんな私自身や子どもたちの姿も、この本には反映されていると思います。

――そして圧巻なのは、秋の落ち葉がドンドンに語りかけながら舞い散る、ラストシーンです。

 「どういう作品をつくっていくか」と悩むなか、仕事をしていない、作業に取り掛かっていない時期、ブランクの時に、すごく鬱の症状が現れるんですね。その時に出版社に行って、夜遅くまで編集者の方といろんな話をしました。落ち葉のアイディアはその時に出ました。

――この本には、おかあさんが出てきません。いわゆる、「父、母、きょうだいがいる」というような、一般的な家族ではない姿を、ペク・ヒナさんはよく描かれていますね。

 私が最初に世に出した本は、おっしゃる通り、母親と父親がいて、お姉さんと弟がいる、いわゆる一般的な構成の家族が登場しました。その時、とても「すまない」気持ちが強くありました。

――「すまない」気持ち?

 誰か、家族の構成員が欠けている家族を「ブロークンファミリー」と言いますが、そういった、世間的に完璧な家族構成を持たない家族も、世の中にはたくさんいるわけです。絵本を読み聞かせる養育者というのは、もし子どもに、初めに出したような絵本を読んで聞かせる場合に、「誰かが欠けている」ことに対し、すまない気持ちを持つのではないか、そう思ったんですね。自分に置き換えたら、自分も同じ気持ちになるのではないか。胸が痛みました。子どもも傷つくでしょうし、それを読み聞かせる親にとっても、そういった印象を与えてしまうことで、自分自身も傷つくのではと思いました。

家族は愛情に満ちていれば、血縁で結ばれていなくてもいい

――その時に胸を痛めたことが発端となり、以降、家族を描く際に影響を及ぼしたのですね。

 家族というのは、構成員が重要なのでない。血縁で結ばれていなくても良い。私が考える「完璧な家族」とは、愛情で結ばれ、繋がっている家族。愛情に満ちた家族であれば、それが完璧な家族だと思うんです。そういった姿を私も提示したいという気持ちがありました。最初は新人作家の作品ということで、それで済まされるかも知れないけれど、次に本を作るときにはそれをしっかり自分の中で考え、作って、世に出したいと思ったんです。

――『あめだま』のドンドンの母親は亡くなってしまったのでしょうか。それとも離別したのでしょうか。

  母親が死んでいるかも知れない。生きているかも知れない。離婚したかも知れない。そうでないかも知れない。それは明確に描きません。仕事や旅行に行ったのかも知れません。そして祖母も、もしかしたら、亡くなっているかも知れません。受け手が自分の状況に置き換え、理解してもらえるような、そんな形にしたかったんです。

『あめだま』(ブロンズ新社)より
『あめだま』(ブロンズ新社)より

――それにしても、独創的だなと感銘を受けるのは、ビジュアルの構築の仕方です。手づくりの人形と緻密なセットで、唯一無二の世界観を生み出しています。まるで映画を撮影するように、ライティングから小道具まで徹底的に設計されている。そして、人形が何より愛らしい。風景もとびきり美しい。カメラのシャッターまで自分で切るのですね。創作手法について、思い入れはどんなところにあるのでしょうか。

 ビジュアル作業に関して何よりも重要なのは、ストーリーテリングです。同じ話をするのでも、どんなふうに語って聞かせるかによって、印象はまったく変わってくると思うんですね。どんな声で、どんなスピードで、どんな演技力で表現するか。それによって、話は面白くもあり、退屈なものにもなり得ます。

 そのために、構成やテキストの語る表現によって、見る人をどのようにコントロールしていくか。絵や文字の分量配分も、これを念頭に置いて考えています。そして、そのストーリーを、どんなマテリアルで効果的に伝えられるかなんですね。

愛らしい表情の主人公ドンドンと、飼い犬グスリ。スカルピー粘土で緻密につくり上げられた
愛らしい表情の主人公ドンドンと、飼い犬グスリ。スカルピー粘土で緻密につくり上げられた

――マテリアル。「物質、原材料」ですね。たしかに、『あめだま』が醸し出すこの独特な奥行きの深さって、絵の描画だけではちょっと体験しにくいような気もします。

 私はファンタジーのジャンルがとても好きで、かといって荒唐無稽なファンタジーではなく、現実の「地」に足が付いている、軸足を持っているような作品が好きなんです。「夢の中で空を飛ぶ」と言っても、地上から少し浮いたぐらい。決して荒唐無稽ではなく、「これだったら現実に起こりうるかな」というファンタジー。それにリアリティを与えるためには、絵そのものよりも、現実に近い3Dの方が、より良いのではないか。そう思い、こういった素材を選んでいるんです。

――人形はスカルピー粘土という素材で作られているのですね。表情がホントに豊か。でも、ただ可愛らしいだけ、媚びているような顔付きじゃない。息づかいが聞こえてきそうなリアルを感じます。

 キャラクターデザインをとても大事に考えているんです。(ドンドンは)最初は、目の大きな子どもというのを考えました。でも、この子は意思疎通、コミュニケーションが得意でなく、内気な性格の子ども。なので、だんだんデザインでは、目が小さくなっていきましたし、耳にも髪が覆って聞こえにくくなっているような……。

――マッシュルームヘア。

 そうそう。口も小さくなって作られていきました。あと、私がもう一つ大事にしているのは「光」の効果です。大人がこの本を読んだ時には、悲しい物語として受け止められると思うんですね。どうやら母親はいないようだし、祖母も亡くなっているようだ。唯一の友達の犬も年老いていて、別れの準備をしているだろう、と。

『あめだま』(ブロンズ新社)より
『あめだま』(ブロンズ新社)より

落ち葉や秋の陽射しに希望を込めて

――別れを予感させる物語ですよね。

 最後の落ち葉のシーンにしても、やはり落ち葉というのは生命をすべて果たし、消えゆく、そういった印象というのを与えるでしょう。ところが、子どもが読んだ時には感じ方が全く違うと思うんですね。まだこれから、いろんな出会いのための時間やエネルギーが十分にある。見方は大人とは全く違うと思います。

 私が最も重要に考えているシーンは、まさにこの落ち葉のシーンなのですが、このシーンを見ることで、ある種のカタルシスを感じることができると思いましたし、何か希望が伝わるような、何かの成長が感じられるような、そんなシーンになってほしいなと思いました。

――この落ち葉のシーンは、秋の木洩れ日のコントラストが印象を残しますね。

 そうです。特に秋の陽射しというものを表現したかったんです。この木洩れ日のように、葉の隙間に光が満ち、その地面にも光が溢れている。落ち葉は「バイバイ」という言葉で表現されているのですが、見方によっては、この落ち葉、そして秋というのは、次の新しい生命をはぐくむものでもありますよね。落ち葉が地面に落ちることによって、それが肥やしとなる。子どもはきっと、そう受け止めているのではないか。この秋の光、陽射し、そして、木洩れ日。ここで表現したかったのはそういったことです。

――ちょっと具体的な質問ですが、この1冊を創作されるのに、どれぐらいの時間をかけたのでしょうか? 

 作業に取り掛かったのが2016年4月から。仕上がったのが2017年2月なので、約10か月間ですね。

――この『あめだま』は今年、国際児童図書評議会(IBBY)のオナーリストを受賞しました。世界に広めたい優れた作品に対して表彰される、名誉ある賞です。一報を聞いた時は?

 受賞に対しては淡々とした気持ちだったんですね。どうしてこんなに淡々としているんだろうと自分で考えた時に、これまで賞とご縁が無かったせいで、ガッカリしてしまうことに対し、気持ちの備えができてしまったのかも、と考えました。

――期待したら、それだけ失望も大きくなる。

 だから、あまり深く考えなくなったのかも知れません。でも、自分自身、この本に対する満足度は本当に大きかったんです。読者の皆さんからの反応がとても良く、何度も重版され、努力の結果が実りとなった。私にとって、これほど大きな賞はない気がしています。

――読者の反応こそが喜び、ということですね。

 私は読者の皆さんが書いて下さる「レビュー」をチェックしているんですけれど、ある母親がレビューを書いてくれた内容に感銘を受けました。お子さまが自閉症だったと思います。お母さん曰く「こうやって『アルサタン』(韓国語で「あめだま」)のように、『オルソトン』(「オール疎通」)できればいいな」と。つまり、「子どもと全ての意思疎通、コミュニケーションができればいいな」ということです。そんなレビューは記憶にいつまでも残りますし、やり甲斐になります。読者の皆様の感想が、私にとっては最も大きな賞です。

――「アルサタン」「オルソトン」。そのお母さんならではの言葉ですね。私がうまく日本語にそのトーンを訳せるか自信がないのですが、まるで物語の世界を体現しているかのような、ジーンと来る温かみを感じます。

 私は絵本をつくる作業を、決して個人的なものとは捉えていません。芸術作品をつくっているとは捉えていない。あくまでもお金を頂き、商品として売っているもの。どうすれば読者を楽しませることができるか。エンタメにできるのか。そういう「欲」があります。それを、最もこだわってつくっているんです。

――「欲」というのは、強い思い、という意味?

 昔話を子どもに読んで聞かせる時に、どうすれば子どもにその本を楽しく聴いてもらえるか、声のトーンを調整したり、演技力を添えたり、反応を伺いながら面白く伝えようとしますよね。それと同じ気持ちです。

――『あめだま』は、日本語翻訳の文章もまた素敵なんですよね。最近、日本国内で大人気の絵本作家・長谷川義史さんが担当しています。彼は生粋の大阪人。ドンドンや飼い犬のグスリ、父親たち登場人物は、みんな大阪のことばを喋ります。それが何とも面白く、生き生きとしています。

 長谷川先生! 本当にありがたいんです。長谷川先生が翻訳して下さったんです。どんな印象なのでしょうか。

――何だかとっても可愛らしく読めるんです。たとえば韓国語でも、ソウルの標準語よりも、釜山の方言のほうがあったかい、可愛らしく聞こえる、とかあるじゃないですか。それと似たような効果があって、心がほっこりするような表現、という感じなんです。

 ありがたいですね。長谷川先生の翻訳のおかげで、そうなっていると思います。絵本作家というのは表舞台に出る人間ではありません。私にとっては本と読者の関係がすべてだと思います。そこに割り込みたくない気持ちがあります。さっき、賞のお話がありましたけど、私が考える、作家にとって最も大きな賞というものは、「アンパン」賞。

――「アンパン」。日本語に訳すと、お茶の間、居間、奥の間。……「お茶の間」が一番それっぽいイメージでしょうか。

 母親、もしくは養育者、それと子どもにとって「癒し」になるような本。子どもも喜び、母親も喜び、その時間が幸せなものになってくれたら、私にとって最も大きな喜びです。

――韓国でとても有名な作家にお会いできて、光栄でした。ソウル市内の大きな書店で、先生の本がズラリと並んでいるのを拝見したことがあります。実はとても緊張しました。

 ははは。ありがとうございました。「あめだま」をぜひ日本の方々にも手に取っていただければと思います。どんな姿の家族であっても、互いに愛し合う心で支え合って生きていけば、それだけで「完璧」な家族なのだと思っています。