被災地への緊急燃料輸送を絵本に
――『はしれディーゼルきかんしゃデーデ』(童心社)は東日本大震災直後、東北に石油や灯油を運んだディーゼル機関車の活躍を描く、実話をもとにした絵本だ。作者のすとうあさえさんは、被災地への緊急燃料輸送というJR貨物の取り組みをテレビのニュースで知った。
震災直後は、自分の無力さを実感しつつも、せめてニュースは見よう、新聞はしっかり読もうと心がけていました。悲しいニュースばかりで心が沈みがちでしたが、2011年3月27日の早朝、NHKのニュースで「被災地・福島へ 燃料を運べ」という特集を見たんです。被災地での深刻な燃料不足を解消すべく、全国から集められたディーゼル機関車が10両の燃料タンクを牽引して、新潟から会津若松、郡山までの磐越西線を走るという、JR貨物による一大プロジェクトを紹介するニュースでした。
ディーゼル機関車がたくさんの燃料タンクを引き連れて力強く走る姿に、私は希望を感じました。そして、このことを絵本にして、子どもたちに伝えたいと強く思ったんです。童心社の編集者さんに連絡して思いを伝えると、すぐ「取材に行きましょう!」と言って、JR貨物の広報室に連絡してくれました。
―― すとうさんと編集者は2011年4月13日、新潟貨物ターミナル駅へと取材に赴いた。翌日には郡山まで移動して、郡山の総合鉄道部でも取材を行った。
取材では駅長さんや整備士さん、そして絵本にも登場する運転士の齋藤さんと遠藤さんにそれぞれお話を伺いました。車体や線路の点検、運転研修など、燃料緊急輸送のためにたくさんの準備が必要だったことを熱く語ってくださいました。どなたも本当に鉄道愛が強くて……そこに、自分たちが燃料を運ぶんだ、東北の人たちを助けるんだ、という熱い思いが重なったからこそ、短期間で緊急燃料輸送が実現できたのだと思います。
一番列車として燃料タンクを率いたディーゼル機関車「DD51-852号機」も見ることができました。中に入らせてもらうと、燃料の匂いが鼻を突きました。内部は意外とがらんとしていて、隅に運転席がありました。磐越西線はカーブや急坂が多く、難易度の高い路線だそうです。真夜中の運転は心細いのではと思って運転士さんに聞くと、運転中、「行くぞ」「滑るぞ」「がんばれ!」「よくやった!」などと、ディーゼル機関車に声をかけるのだと話してくれたんです。運転士さんにとってディーゼル機関車は相棒なんだな、と感じました。
運転士さんには、ディーゼル機関車が走るときの音についても聞きました。絵本の中の「ビョオオオオオ! ガシーンッ!」という擬音語は、運転士さんが表現してくれた音を使わせてもらっています。実際に走る様子を自分の目でも見て、走行音や汽笛の音を録音したり、磐越西線を走る列車に乗ってカーブや急坂を体験したりもしました。それまで鉄道にはまったく興味がなかったのですが、目の前を走るディーゼル機関車の迫力に圧倒されて、すっかりファンになってしまいました。
文章でのみ擬人化されたディーゼル機関車
―― すとうさんは1995年に絵本の世界に入ったが、ノンフィクションを手がけるのはこの絵本が初めてだった。
私はもともと人見知りで、取材はあまり得意ではないので、自分がこういったノンフィクションを書くことになるとは思ってもみませんでした。でもこのときは、とにかく書きたい、伝えたい、本にしたいという使命感のようなものが強く湧き上がってきて、何かに突き動かされるように取材にあたりました。
取材させてくださった皆さんに敬意を持って、本当の姿を伝えられるよう書かなければ、と思っていたので、最初はあるがままを淡々と書くつもりだったんです。でも、運転士さんがディーゼル機関車に声をかける、という話を伺って、ディーゼル機関車を擬人化して書くことに決めました。取材の帰りには、物語がほぼできあがっていたと思います。
「デーデ」という名前は「DD(デーデ―)51」から。デーデと一緒に一番列車となった「DD51-759号機」は、数字の最後をとって「ゴク」と名付けました。
―― 会津若松駅を出発後、磐越西線で一番急な坂を上っていた際に、雪とレールの錆が原因で車輪が空転し、立ち往生するエピソードも盛り込んだ。その際に会津若松から応援にかけつけたのが「イト」と名付けた「DE10」だ。
「DE10」は直感で「イト」と名付けたのですが、JR貨物の方たちも「イト」という愛称で呼んでいると後で知って驚きました。デーデたちが雪の中で止まってしまって、イトが後ろから押すことで再び走り出し、予定より3時間遅れて郡山にたどり着く、という出来事は、実際に一番列車で起きた実話です。このような事態を想定して、会津若松駅では事前にイトのエンジンを温めていたので、すぐに出動できたのだそうです。
―― 絵本に登場するディーゼル機関車たちは、文章では擬人化されているが、絵はいたってリアル。ライトを目に見立てるような擬人化は施されていない。しかし、そのことに違和感を覚える読者はほとんどいないという、稀有な絵本でもある。
文章ではデーデたちを擬人化しましたが、私自身、顔のついた機関車のイメージはまったくありませんでした。鈴木まもるさんは、原稿を読んで「これは乗り物が主人公ではなく、機関車を動かそうとした、たくさんの人たちが主人公の絵本」だと感じて、擬人化せずにリアルなタッチで描こうと決めたそうです。
―― 鈴木まもるさんの描いたデーデたちは、リアルだが機械的な冷たさはなく、むしろ温かみが感じられ、顔がなくても表情があるようにさえ見えてくる。ダイナミックな構図や臨場感たっぷりの力強い描写も魅力だ。
鈴木さんはとても迫力のある、素晴らしい絵を描いてくださいました。読んだ方が五感で味わえるようにと、当初は擬音をもっとたくさん入れていたのですが、鈴木さんの躍動感あふれる絵で十分伝わると思って、半分ほどまで減らしました。
燃料が被災地に届く様子を描いた最後の見開きと、デーデたちが走った路線図を載せた後ろ見返しは、鈴木さんの提案で入れました。最後の見開きは黄色い背景が温かく、幸福感に満ちていますし、後ろ見返しの路線図は、子どもたちへの読み聞かせの際に役立っています。さすが鈴木さん、と思いましたね。
被災地の読者から背中を押され
―― 東日本大震災後、震災関連の絵本がいくつも出版されたが、中でも『ディーゼルきかんしゃデーデ』は被災地の読者や鉄道ファンをはじめ、多くの読者から支持され、版を重ねている。
本が完成したことを、JR貨物の方々も大変喜んでくださいました。絵本としては異例なのですが、物流に関する著作や論文を対象に表彰する住田物流奨励賞の特別賞を受賞することもできました。磐越西線鉄道施設群が土木学会選奨の土木遺産として認定された際には、発表の場でぜひこの絵本を読んでほしいと呼ばれ、読みに行ったこともあります。
私がこの絵本を書くきっかけとなったニュースの記者にもお会いしました。その方は、映像は流れてしまうけれど、絵本は何度も開くことができるし、たくさんの人に見てもらえるからうれしい、とおっしゃっていました。福島県の図書館司書の鈴木史穂さんは、「つらい経験の一方で、うれしかったことを思い出すことのできる大切な絵本」として、福島県立図書館で原画展や講演会を企画してくださいました。
被災地での読み聞かせの機会もたびたびありますが、はじめは被災者ではない私が、被災された方たちの前でこの絵本を読んでいいものなのか、戸惑いもありました。でもあるとき、その気持ちを被災地の方に打ち明けると、「どんどん読んでください。私たちもこの絵本から希望をもらっていますから」と言っていただいて、背中を押されたように感じました。
「私も誰かにとってのデーデでありたい。そして子どもたちもデーデのような人になってほしい。そんな願いを持ちました」というお手紙をいただいたこともあります。そんな風に受け止めてもらえたことを、とてもうれしく感じています。
―― 被災地への燃料輸送はその後、不通だった東北本線が復旧した2011年4月17日まで続いた。磐越西線で郡山まで運ばれた燃料は、タンクローリーに換算すると1000台分に及ぶという。デーデのモデルとなった「DD51-852号機」は2016年春に解体され、今はもう存在しないが、これからも絵本の中で走り続けていく。
JR貨物の方たちにお話を伺ったとき、「私たちは人に物を運ぶという、いつもやっている仕事をやっただけ」とおっしゃっていたのが印象に残っています。私たちは普段、物が届くことが当たり前のような生活をしていますが、鉄道やトラックを使って物を運んでくださっている方たちがいるからこそ、物が届きます。こうした縁の下の力持ちの方たちの仕事ぶりも、この絵本を通じて伝えられたらと思いました。
東日本大震災から13年。当時、燃料輸送のために尽力してくれた多くの方々やディーゼル機関車たちに感謝を込めて、これからも『はしれディーゼルきかんしゃデーデ』を読み語っていきたいと思います。