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BTSがアメリカでブレイクした理由とは? 「K-POP 新感覚のメディア」著者、金成玟さんが語る

文:宮崎敬太、写真:有村蓮

K-POPの想像力はマスメディアからソーシャルメディアに転換した

ーーK-POPにおけるファンの存在について意識したのはいつからですか?

 2000年代半ばくらいですね。この本は80年代の韓国の音楽文化から話し始めているんですが、その頃は音楽業界や放送局が権威として君臨していて、音楽が一般市民にトップダウン型で配布されるような形で消費されていたんです。日本でいえば「NHK紅白歌合戦」に出演することが最大のステータスで、テレビ局、広告代理店、レコード会社といった業界全体がそこに向けて動くような、そんな構造が韓国にもあったんです。テレビの音楽番組は絶対的な力を持っていましたし。でもそれが2000年代から急速に変わってきました。もっとも大きな要因は、1997年に起きたアジア通貨危機とMP3ファイルの登場の影響をダイレクトに受けてオフラインの音楽市場が崩壊状態になってしまったことです。CDがまったく売れなくなったんですよね。

 その中で、YouTubeに代表されるソーシャルメディアが登場しました。音楽業界の崩壊に伴い著作権のような既存の利益構造はなくなっていたし、さらに韓国はどの国よりも早くブロードバンドを整備していた。そんな流動的な場所に、ファンは自分のお気に入りのアイドルの映像を自由にアップロードして独自に応援するようになったんです。正直なところ、僕自身もポピュラー音楽そのものの中から見ていたので、最初は何が起こっているのかよくわからなかった。だけどメディアを研究していたので、K-POPで起こっていることをたんなる音楽空間ではなく、メディア空間での出来事として捉えることで徐々に全体像が把握できるようになったんです。考えてみるとポピュラー音楽の歴史は、メディアの歴史でもあるので。

 韓国のメディア文化は、80年代後半から一気に行われた民主化、国際化、文化開放などとともに形成されました。ゆえに良い意味でも悪い意味でも「レスポンスすること」が重要なんです。K-POPはその意味でも最初からメディア的でした。権威と権利が中心となって動かす旧来の音楽空間がマスメディ的だとすれば、現在のK-POPは誰かに絶対的な権威と権利を託さない状態でファンも一緒に作っていく「ソーシャルメディア的な想像力」とでも言いましょうか。こういう転換は世界のポップカルチャー全体で起こっていたけど、K-POPはさまざまな要素が絡み合ってどこよりも早く対応できたんだと思います。

韓国のアーティストはなぜ「完璧」でなくてはならないのか

ーーK-POPはサウンド、歌唱、ダンス、すべてにおいて完成度が高い。アーティストにこの質問をすると「韓国ではステージに立つ人は完璧でなくはならない」という答えが必ず返ってきます。ですが、なぜ完璧でなくてはならないのかがわかりません。K-POPが異常なまでに完璧さを求める根底にあるものはなんなのでしょうか? 個人的には韓国の整形文化にも通じる部分があると思っているのですが。

 日本のポップスだってサウンド的には完璧ですよ。僕は日本の音楽もとても好きなんで(笑)。最近のラップを聴いても、ビートのクオリティの高さに驚かされます。ただ産業的な面で考えると、日本と韓国の市場の規模感が音楽の違いに直結してる。これはよく言われる話ですが、日本の音楽はドメスティックな需要に向けて作られているから、日本人にとって親しみやすいミュージシャンが日本人に愛されるような歌を歌う。

 でも韓国は市場の規模からしても、構造からしても日本のように安定していない。だから売り手からすると、いまのように爆発的な人気を得る前の段階ではK-POPの市場がどこにあるかわからない状態だったんですよね。儲ける場所はわからないけど、音楽産業としては何かを作り出さなくてはならない。だからアメリカやアジアなど、どこでも通用する音楽を作る必要性があった。さらに言うと、それには音楽的な完璧さと同時に、誰が聴いても不快にならないということが重要だった。宗教的にも、政治的にも、どこにも帰属しない、誰でも楽しめる音楽である必要があったんです。整形についても同じです。ただカッコいい韓国人というわけではなくて、誰がみてもカッコいい存在になろうとしている。K-POPはそういうものを目指している部分があります。

 でもそれは、「個性がない」というふうに簡単に言い切ることではない。というか、K-POPが媒介する欲望はそう単純ではない(笑)。『K-POP』にも書きましたように、音楽のサウンドやパフォーマンスはもちろん外形までも徹底して完璧さを求め「ポップ」としての普遍的な魅力を極限まで求めながらも、同時に「K」のような感覚を匂わせるオリジナリティを獲得しようとしたのがK-POPの歴史ですからね。最近どうしてもBTS(防弾少年団)が議論の基準みたいになっていますが、そのBTSの成功には当然K-POPのこれまで歩みが圧縮されているんだと思います。

韓国における「アメリカ」の存在感

ーーBTSにも顕著ですが、日本から見ると韓国ではものすごくヒップホップがお茶の間に浸透しています。これには韓国でキリスト教が広く普及していることも関係しているのですか?

 それはキリスト教というより「アメリカ」と言ったほうがいいかもしれません。韓国の現代史における「アメリカ」の存在は、「欲望と抑圧の同時進行」という意味では日本と似ているんだけど、その中身はかなり異なります。何より韓国は南北分断の状態が続いている国で、朝鮮戦争前後から長い間、親米か反米かは、生きるか死ぬかの問題でもありましたし。

 ラップが浸透する過程にもその「アメリカ」との関係が顕著に表れます。60年代から移民としてアメリカに向かった多くの人たちがロサンゼルスやアトランタなどでコミュニティを作っていくわけですが、1992年のLA暴動に代表されるように、これまた生きるか死ぬかの体験だった。たんに自分たちのタウンを作ってその中で住むのではなく、日常的に触れ合いながら文字通り「メルティング・ポット」の中を生きなければならなかった。移民の二、三世たちは、そのような日常の中でブラックミュージックを身につけました。ただ頭で理解して真似するのではなく、黒人の欲望や感覚までも吸収したんでしょう。そして90年代に現地仕込みのヒップホップを韓国に持ち帰ったんです。高度成長を成し遂げた韓国で中産階級が増え、社会全体がダイレクトにアメリカを目指し始めたちょうどその頃でした。

 そのような経験は韓国ラップの歴史にそのまま表れています。韓国ラップのゴッドファーザー的な存在であるDrunken Tigerのような人が代表的で、彼はアメリカでアジア系移民として差別を経験した学生時代に、その気持ちを黒人から学んだ英語ラップでアメリカ人たちに訴えかけたそうです。だけどアメリカに住む韓国人としてファンタジーも抱いていた韓国に帰ってみると、想像とは違い傷つくことも多かった。彼はその気持ちを今度は韓国語ラップにして表現した。そういう紆余曲折を経た感覚が、韓国の若者にも伝わったんだと思います。ヒップホップは「アメリカから持ってきたカッコいいカルチャー」にとどまらず、韓国社会に内在するアメリカに対する強烈な欲望とも一致した。ラップとヒップホップがK-POPの主な表現様式になって、さらにアメリカで受け入れられているのも、その感覚を完璧に身に付けてきたからなんでしょうね。

ーー古い世代がヒップホップを嫌悪するようなことはなかったのですか?

 もちろんそれはソテジワアイドゥルがラップを流行させたときからずっとありました。ラップ/ヒップホップの表現様式に対する反感と、いきなり文化の主流として登場した若者世代に対する反感が混ざったかたちのものでした。しかしそのような世代間のギャップがヒップホップの位置付けをより鮮明にした。先ほど「ヒップホップは韓国社会に内在するアメリカに対する強烈な欲望とも一致した」と言いましたが、同時に「上の世代とは違う自分たちを表現したいという若者の欲望と合致した」とも言えます。とくにヒップホップは80年代後半から始まった民主化プロセスのうえで登場したから、国家の検閲が激しかった既存のシステムでは言えないことが表現できる新しい文化として捉えられるところがありました。抵抗の象徴であるロックも、それまでの韓国では検閲と統制の対象でしたからね。

いつからか「誰もが競争しなければならない社会」になった

ーーK-POPアイドルはデビュー前はもちろん、常に血反吐を吐くような努力をしていますね。これは韓国の受験戦争にも感じることなのですが、僕からすると何か強迫観念に取り憑かれているようにも思えます。その根底にあるものはなんなのでしょうか?

 確かに韓国では、融通がきかないほどに個々の能力が求められるところがあるんですよね。理屈的には「誰でも競争できる社会」を目指してきたはずなのに、いつの間にかそれが「誰もが競争しなければならない社会」になってしまった。なぜそんな世界観が形成されたのかという問いに対して、歴史的に様々な要素が複雑に絡み合っているので、一概に「これ」と言うことはできません。ただ少し大雑把にまとめてみると、植民地支配からやっと解放されたと思ったらすぐに南北分断と朝鮮戦争、それに続く貧困を経験した。60〜80年代に高度経済成長を果たすもその一方には暴圧的な独裁政治があった。

 1987年以降民主化・グローバル化のプロセスとともに先進国入りを確信していたところで1997年のアジア通貨危機が直撃し、新自由主義に基づく厳しい格差社会へと進んでいった。このように、数十年間にわたってつねに共存してきた希望と危機感両方を強く意識しながら頑張らなければならないという感覚が構築されてきたんだと思います。激しく変化する世の中を「生き抜く」「勝ち抜く」ことが最大の目標になり、「努力する世界観」がむしろ自然なことのように思われているところがある。

 そのなかで、「個人の幸せ」というものも定められた狭い意味での「社会的な成功」と結びつけて考えられていて、はっきり区別される成功と失敗をめぐる感覚がひとつの強固な「まなざし」となって個々の人びとに向けられているのではないかと。K-POPアイドルの「努力」にももちろんそのような感覚が強く働いているんだと思います。そもそも私たちはいまも「成功したアーティスト」を中心にK-POPを語っているわけですが、音楽業界は成功と失敗というものがどこよりもはっきりと、しかも極端な割合で共存している空間ですからね。

ーーそんな中、BTSがアメリカでブレイクしたのはなぜだと思いますか? 韓国系アメリカ人が増加したことも関係しているのでしょうか?

 もちろんゼロとは言えないと思うんですけれど(笑)、ただその論法でいくと、中国人のコミュニティはものすごく巨大なので、C-POPがもっと評価されていないとおかしい。さらにアメリカには自国産のクールなポップミュージックが本当にたくさんある。だからそういった外的要因が作用したというより、素直にBTSが人種や国籍関係なく若者に評価されたと考えるべきですね。

 BTSはメンバー自身が作曲や作詞に携わるなど、個人の世界観が音楽に反映される。若者たちはそこに共感してアクセスしたんだと思います。先ほど申し上げた「激しい競争の中で努力しつづけなければならない状況」も、彼らは隠すことなくむしろ自分たちの物語として共有しようとする。新自由主義も、格差の拡大も、未来への不安も、韓国社会だけの問題ではないわけですから、世界の多くの若者がそれに共感した。さらにサウンド的にも「K」的な要素と、「POP」的な要素のバランスが良かった。音楽とは往々にして先鋭化していくものなのですが、それが行きすぎると大衆は付いていけなくなります。クラシックが現代に入って極限まで先鋭化してしまったら大衆が聴かなくなってしまったように。ポピュラー音楽とは、作り手と聴き手がコミュニケーションが取れるラインをどのように保つか、ということが重要だと思います。

SMとYG、2大エンターテインメントの違いとは

ーーアメリカで大ブレイクしたのは、K-POPの屋台骨を作ったSMエンターテインメント、YGエンターテインメント以外から出てきたBTSだったというのも面白いですね。

 確かにそれはありますね。K-POPの歴史は三大エンターテインメントの歴史でもありますから。僕はSMの代表であるイ・スマンさんはとてもユニークな人だと思います。彼には時代ごとの欲望をクリエーティブに融合する感覚がある。例えば、H.O.T.は“High-five Of Teenagers(10代の勝利)”の略称で、ヒップホップベースの音楽とパフォーマンスに十代の欲望をのせようとした。東方神起という名前も今でこそ定着していますが、当時ではギリギリの感覚だったと思います。一歩間違えばダサく感じられるかもしれない(笑)。

 しかし結果的にその名前は2000年代に急速に拡張していった東アジアのポップカルチャーが表現するファンタジーを表すものとして受け入れられました。普通のクリエイターは評論家や音楽好きたちの評価を意識してしまうものだけど、彼はそこを完全に無視して伝えたいターゲットに直接刺さるファンタジーを表現できる。一方で、BoAのように、現実的な成功モデルを徹底的に突き詰めるところもありますよね。H.O.T.、S.E.S.、神話は中国で成功したけど現実的に利益を回収できるシステムにはならず日本の市場に目を向け、当時のSMだけでは物足りなかった何かをエイベックスとの協業で埋めながら結局BoAを日本で成功させたわけですから。

 だけど時代が進みSNSが誕生したことで、SMはファンタジー路線と現実路線を合致させた新たなステージに突入した。その時生まれたのが、少女時代やSHINee、f(x)だと思っています。ここからSMは音楽的にも、コミュニティ的にもどんどん先鋭化していく。EXOはまさにその完成型ともいえるグループですし。僕はたまにSMはどこに向かおうとしているのかと考えることがあります。おそらくイ・スマンさんはどこにもない共同体のようなものを作ろうとしているんだと思うんです。それが如実に表れているのが「SMTOWN」というイベントで、2012年に韓国で行われた「SMTOWN」では、BoAとKANGTAが「MUSIC NATION SMTOWN」という音楽で繋がる仮想国の宣誓みたいなパフォーマンスをしていますよね。

 YGもコミュニティを重視するけどSMとは違う。ヒップホップのアメリカ的なコミュニティを韓国で体現しているから、彼らが目指しているのは基本的には「ファミリー」なわけです。さらに言えば、YGはTeddyやG-DRAGONなど個人の音楽性のロマンを大事にしているけど、SMは違う。欧米の作曲家たちを韓国に招いて楽曲制作を行うソングキャンプをもっとも積極的に採用したのもそうですけれど、個人よりは「SMの音楽」を築こうとする。だからNCT 127のヒップホップサウンドにも、たんにリアルなブラックミュージックに対する憧れというよりは、SMという「ネイション」の音楽としての感覚が優先されているように感じます。SMとYG、JYPのそのような異なる歩みについては『K-POP』にも詳しく書きましたが、そのような違いはもちろん音楽そのものに強く表れています。

K-POPはさらに新しい段階に突入している

ーー金さんは個人的にどんな音楽を聴いてきたんですか?

 学校で作曲を専攻していたこともあって、クラシックをよく聴いていたというのはありますが、基本的にはジャンルを問わずになんでも聴いてきたって感じですかね。ポップスに限っていえば、スティービー・ワンダーやバリー・ホワイト、アース・ウィンド・アンド・ファイアーあたりからブラックミュージックにハマりましたし、サザンオールスターズ、宇多田ヒカル、Mr.Children、冨田ラボなど、J-POPもよく聴きました。好きなボーカルもジャンルや地域に特にこだわりはないですね。その分「マニア」といえるほどある特定のジャンルやミュージシャンに深入りすることもあまりないということになりますけど。

 K-POPでいえば、『K-POP』で紹介したほぼすべてのミュージシャンに愛情を持っていますし、書ききれなかったいろんなミュージシャンの音楽も幅広く聴いてきました。ペク・イェリンみたいにあまり活発に活動していない人の曲もよく聴いたり。最近はK-POPシーンと並行してアメリカでも活動しているJAY PARKやニューヨークを拠点に韓国語と英語の歌詞で曲を作るYaejiみたいに、既存のK-POPとPOPの枠を意識しないタイプのミュージシャンにも注目しています。「The Black Eyed Peas - DOPENESS ft. CL」、「Steve Aoki - Waste It On Me feat. BTS」みたいに、アメリカンポップの枠のなかでフィーチャリングに参加するK-POPミュージシャンが増えているのをみても、K-POPはさらに新しい段階に突入しているような気がしますね。

ーー私は個人的にK-POPを通じて、普通に暮らしていたら絶対に知り合わないであろう人や、若い年代の友達も増えたし、さらに韓国人の友達もできました。さらに韓国の文化そのものが好きになったし、最近は歴史も学ぼうと思っています。日本と韓国の間には歴史問題がある。僕らK-POPを愛する日本人にとって、それはタブーのような存在です。しかし金さんの『K-POP』を読んで、K-POPを聴くことがすでに韓国文化を学ぶ最初の一歩になると感じました。

 それは嬉しいですね。さらに補足すると、日本のマスメディアを通じて韓国を見ていると、韓国は日本との歴史的闘争だけに集中しているように見えてしまうところがありますよね。しかし、そうではない。韓国はそもそも国内の歴史をどう捉えるか、熾烈な闘争をしているんです。例えば、最近日本でも公開された映画「1987、ある闘いの真実」は韓国の過去の歴史をただ賛美した映画ではない。

 監督のチャン・ジュナンさんは、映画雑誌「CINE21」のインタビューで、この映画が「1987年のあの日以降も、なぜわれわれはこのようにわびしくて息苦しいのか?」「家の値段はなぜこんなにも高騰し、なぜわれわれはこんな姿をしているのか?」という今ここの質問につながってほしいと言っています。つまり韓国の人びとは自分たちの歴史について自問自答しながら議論し、さらに同じ視点で日本や中国とも向き合っているんです。

 韓国の人びとにとって「政治」というのは「自分たちと関係のない、偉い権力者たちがすること」ではなく、「自分たちの人生に直結する、自分たちがすること」である。だから彼らが朴槿恵さんを政権から引き摺り下ろしたときも、あれだけの多くの人がものすごく切実な気持ちで行動しているんですよね。

 「1987、ある闘いの真実」が描いている1987年は、僕が『K-POP』のなかで「韓国歌謡が韓国ポップに転換し、K-POPの原型が台頭した」と書いたあの1987年です。つまり、韓国で文化と社会を完全に切り離して考えることはそもそもできない。冒頭で民主化、国際化、文化開放が一気になされたと言ったのはそういう意味でもあります。K-POPを聴いていると、たまに社会問題が絡んでくることがありますよね? 例えば、BTSと秋元康さんとのコラボが問題になったりとか。あれは秋元康さんとコラボすることで、自分たちの代弁者であるBTSのアイデンティティが侵犯されるとファンが真剣に問題視したからです。つまり韓国の人びとは、文化と社会を結びつけて考え、積極的に参加しようとする。だからK-POPにも社会とのテンションがつねに存在する。そこを踏まえると、さらに韓国という社会が見えてくるかもしれません。