1. HOME
  2. インタビュー
  3. 草に恋する女子に恋する男子の青春 三浦しをんさん新刊「愛なき世界」

草に恋する女子に恋する男子の青春 三浦しをんさん新刊「愛なき世界」

文:温水ゆかり 写真:斉藤順子

きっかけは、まさかの植物学者からの“売り込み”

――『愛なき世界』は、理系の実験世界に、洋食屋さんのオムライスの卵やケチャップの甘い匂いがまじる香ばしい小説でした。きっかけから伺います。この小説の種を蒔いた方がいらっしゃるとか。

 東大の塚谷裕一先生(植物学)ですね。塚谷先生は、岩波から出ている『生物学辞典』の編者のお一人です。岩波書店とお仕事されていることから、私の辞書を作る小説『舟を編む』を読んでくださったみたいで、岩波の編集部を通して、「植物の研究も面白いので取材してみませんか?」と、すごく丁寧な打診のメールをくださったんです。「小説になると思うんですけど」って。

――どう返信されたんですか。

 「そのうちに……」って曖昧に返信しました。もし取材して形にならなくても、自分にとっては無駄ということにはならないんですけれど、相手の方はやはり取材のために時間を割いてくださる。なのに、ちょっと小説にはなりませんでした、というのは、申し訳ないと思ったので。

――塚谷裕一先生は『漱石の白くない白百合』(1993年刊)をお書きになった方ですね。

 例えば漱石の『それから』に百合の花が出てきます。映画化された『それから』でも白いカサブランカみたいな百合として登場してるんですが、先生がいろいろ調べた結果、その時代の日本にカサブランカはまだない。だから漱石は多分、ヤマユリみたいなものを想定して書いたはずだ、と。他に、三島由紀夫、泉鏡花、安部公房など、小説の中に出てくる植物について書かれたエッセイで、すごく面白いんですよ。

――先ほどの「そのうちに」という間のびした返信の件ですが、「そのうち」というのは一番アテにならない約束です。なぜ実現したんでしょう。

 ちょうど、新聞小説の順番が廻ってきたんです。

――と言いますと?

 新聞小説って、毎日だから大変なので、やりたくなかったんです。オファーを頂いたときはずいぶん先のことだし、まぁいいかなと思って『はーい」みたいに言ってたんですけど、順番が廻ってきて「やべぇ」って(笑)。そういえば、あのとき私は確かに「はーい」って言ってたなと思い出して。
 そのとき担当の記者の人にこう言われたんですね。読者の方々は、本当に毎日読めるかどうかわからない、読み逃しちゃういうこともある。回想がいっぱいあって、過去に往ったり還たりするような複雑すぎる話は新聞小説では避けたほうがいい、と。
 それで、今これだったら書けるかなというネタをいくつかお話しして、どれがいいですかと聞いたら、記者の方が「植物学が面白そうな気がする」とおっしゃったので、「わかりました」と。

――取材のために塚谷研究室にはずいぶん通われたんですか。

 集中して行ったのは多分、3カ月くらいですが、そのうち院生の方達と親しくなり、「種を蒔くけど来ますか」とか「今度こういう実験やりますけどどうですか」と連絡を頂くようになり、「行きます行きます」って。

藤丸の驚きや感動はそのまま私が体験したことです

――新聞小説で、研究者の脳内や植物のDNAの世界を、これほどクリアに描いた小説は初という気がします。主人公のリケジョ本村紗英は研究に没頭するあまり、恋愛に時間を割こうと思わない。恋愛に取られる時間が惜しい。こういう“非恋愛体質の”若い女性も、かえって清々しいと思いました。しかしそのぶん小説としては難しかったのでは?

 そうなんです。本村の研究のことをちゃんと書かなきゃいけないのに、私はやはり、ぜんぜん理系のことがわからない。取材のときに『どうしよう、難しい』と思ったんです。でも、すごく面白い世界だな、ということはよくわかった。それを読者の方にも少しでも親しみをもって感じて頂けるように、門外漢の藤丸陽太という人を視点人物にして、藤丸君が知らない世界を知っていくという骨格にしたんです。
 藤丸君は調理師専門学校を卒業して、赤門の前の洋食屋「円服亭」で修行中の若きコック。今は女性の研究者の方も多いので、研究者側を女の人にしたいな、というのは最初の発想からありました。じゃあ、そういう女性に惹かれていく男の人ってどんな人なのかなと思ったときに、やはり男性側も、自分はこれを極めたいと思う道を持っている人のほうがいい。本村の気持ちとか境遇に、共感や理解を寄せてくれるだろうなと思って。
 あと、植物にも興味をもってもらわないと、植物の研究をしてる女の人に興味が沸かない。植物と言えば、なんといっても野菜。それで料理人かな、と思ったんです。

――料理は理系の実験と、ちょっと相通じるところがありますね。

 あるみたいですね。この中にも書きましたけど、実験機材はちょっと料理器具に似てる。共通していると思います。特にお菓子作りなどは、分量が大事っていうじゃないですか。多分そういうところなどには、実験感があると思うんですね。
 あと料理人の方ってモテますよね。モテる人が多い。女の人を口説くのにもいいんじゃないですか。真面目なだけじゃない、ちょっとワルい魅力があるんじゃないか思います。私にお声がかかったら? もちろんいきますよ(笑)。

――藤丸君は出前のついでに、本村から顕微鏡を覗かせてもらい、青く着色された植物の細胞を見て、銀河だ、満天の星だと感激します。

 あれは、私が見て感動したそのままです。藤丸君が驚いたり感動したことは、すべて私が驚いたり感動したことですね。

――本村は凡ミスから、思わぬ可能性へと道を拓きます。これなどは、相当深い知識がないと書けない仕掛けだと思いました。

 本村は何を目的に、何を解き明かしたくて、どんな実験をしているのかというのは、私では思いつけなかった。でも、話の都合上、本村が何か取り違えをして、そこからまた挽回して復活するという流れにしたかったんですね。それで、「どんなことだったらあり得ますか」という相談を塚谷先生にしたら、「遺伝子の名前を勘違いしちゃったみたいなことは、無くはないですよ」と教えてくださって、それで書きましたね。

――本村や本村の先輩・岩間さんのような女性研究者を応援したいというお気持ちは、やはりあったんでしょうか。

 実際に取材すると、女性の研究者が増えてはいるんです。工学とかは今も男性が多いらしいんですけど、生物系は女性も多くて、半分ちょっといるくらいかもしれません。
 そういう人たちは、別に研究者に限らない話なんでしょうが、やはり女の人って結婚とか出産とか、旦那さんの転勤や、自分が転勤することになったらどうするとか、いろいろあると思うんですよ。男の人よりも、何かを突きつけられて選ばなければならない局面が多い。不思議ですよね。なぜ女の人が選ばなきゃいけないことが多いのか。これからは変わってくると思うけれども、そういう中でもずっと研究を続けてらっしゃる方もいらっしゃるので、そういうところを書きたいなというのはありました。

男を喜ばせるだけの女のいがみあいは書かない

――タイトルに反して、サボテンのトゲ愛、芋愛、唐揚げ愛などいろんな愛が小説内銀河で輝いている小説です。星と星の関係には、恋愛未満の関係や、老いに向かう恋愛関係、終わりを迎えようとしている関係もありますが、三浦さんの恋愛の定義とはどういうものですか?

 うーん。一言でいうと、セックスに行き着きたいと思ってるか思ってないか。この人とまぐわいたいと思っていたら、それは多分恋愛だなと私の中では認識される。でも、特にまぐわわなくてもよし、と思っていたら、それは私の中では恋愛ではない。それだけの違いですね。
 平安時代にだっていたんだと思うんです。すごいイケメンに言い寄られても「マジウザイ」、「和歌の返し? 面倒くさい」、「勝手に手紙送ってくるのやめて欲しい」みたいに思ってた女の人が。ただ、それを言える時代じゃなかった。そんなこと言ってたら、そもそも平安文学自体が成り立たない(笑)。今は本村のように自分の本当の気持ちを言える時代になったので、いい時代になったものだなあ、と。

――今年出された『ののはな通信』には、こうありました。植物だったら、言葉も欲望も愛も混乱もなく、風に揺られて触れ合うだけ。そんな生き物だったらよかったのにね、と。この作品と通底するものがあると感じましたが……。

 そういうのありましたかね? 『ののはな通信』はけっこう前に連載していたもので、書いてる時期はまるでかぶっていないんですよ。でも、いつも同じようなことを考えているんでしょうね(笑)。
 私、本当に出家してるのと同じ暮らしですから。欲望はいろいろあるんですけど、その欲望を叶える手段がないので。結果的に出家してるのと同じになってる(笑)。

――『ののはな通信』の「のの」こと野々原茜は東大卒、この『愛なき世界』は国立T大になっていますが、誰が見ても東大大学院が舞台。もう一作書いて、“東大女子三部作”にするというおつもりは?

 考えすぎです(笑)。でも、そういえばそうですね、いま気がつきました。「のの」は東大という設定でしたね。

――頭が良すぎてちょっとワルさしちゃうような東大女子の話とかも読んでみたいですが。

 う~ん。私は男で本当にイヤな奴はいくらでも書けるんですが、イヤな女というのは書けないというか、書きたくないんです。女社会でちょっと嫌われるタイプの人っているじゃないですか。あの人ちょっとさぁ、みたいな。創作物の中でそういうのはあんまり書きたくないんですよ。女の足を引っ張る女を書くと、それがすなわち女の足を引っ張ることになると思うので。
 女は仲良くしててもそのふりをしてるだけだ、裏では足の引っ張り合いをしているとか言う人、いるでしょう。男に対しては言わないのに。あれが私、腹に据えかねてるんです。これまで女同士で楽しくやってきたよ、そんな足を引っ張るようなヤツはいなかったよ、性格悪い人は男とか女とか関係なくどこの社会にも居るよ、って。

――男性週刊誌は、女同士がいがみあってる図が好きです。

 まさにそれです。〈女が嫌いな女子アナ〉みたいな企画。わかりますよ。あのランキングを見ると、すごく良くわかる。どこがどう嫌われてるのか確かに良くわかる、でもその記事を、女が「そうだよね」って煎餅ぽりぽり食いながら見て「何になるの?」って思う。

――女が「そうよね」と思ってることを、男が物陰から見て楽しんでるんだと思います。

 その心が一番醜いわって思う。男の人のそういう目が、男の目を気にする一部の女達――男社会で出世したい、男に気に入られたい、本当にそういう人がいるかはわからないけど、ま、いるでしょう――そういう人をなおさら増長させて、女同士のマウンティングみたいなのを加速させるんですよ。男が口出ししてくるなよ。いいから野球の話でもしてろって思いますね。

――ステテコはいて、ビールでも呑んで。

 暇なら〈男に嫌われるプロ野球選手ランキング〉でも、やってりゃいいのに(笑)。
 大体いい男というのは、自分がよくわからないところには踏み込んでこないもんですよ。女の人も、男の人が野球の話なんかをしてるときに、わかんねぇ、とか思って放っておくじゃないですか。

――気持ちのいい啖呵、いくつもありがとうございます。今後のご予定もお聞かせください。

 何編か書いて、そのままになってるのがあるので、また短編をいくつか書こうかなと思ってます。それが終わったら長編の連載かな。書き下ろしでやりたいものもあって、それは駅伝の小説(編注『風が強く吹いている』)を書いた後からずっと待ってもらってるんです。島原の乱を書きたいと思っていて。

――それはBLの世界だから?

 いえ、違います。ああ、ジュリーこと沢田研二が天草四郎を演じて、妖しい美をふりまいていた映画『魔界転生』のことですか(笑)? 確かにあれは私も幼心に萌えました。私の世代は皆、何らかの形で角川映画にやられてる世代ですが、そうではなく、もうずいぶん何年も調べたりしてるんです。

―失礼しました。非業の最期を遂げる切支丹の受難劇ですね。

 そうですね。本当に島原の乱をやりたいんですよ。折にふれ、担当編集者が「島原」って単語をぶっ込んでくるので、それを見ない振りをするのがすごく大変なんですけど(笑)。