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文章の質感 小説家・磯﨑憲一郎

横尾忠則 良寛と進駐軍のいる風景 2007年 個人蔵(シンガポール)

過去への視線に時間の厚み

 毎月本欄を読んで下さっている読者の中には、気付いている方もいるのかもしれない、本欄で小説を取り上げる際には、必ず何箇所かの、鉤(かぎ)括弧(「」)付きの引用を入れるようにしている。幾ら言葉を尽くして説明したところで、じっさいに本文を読み、味わうという経験の中でしか、その小説の素晴らしさを知ることはできない、鉤括弧付きの引用は、せめて文章の質感だけでも伝えたいという、本欄執筆者としてのささやかな抵抗でもある。今月の文芸誌には、新人賞受賞作も含めて、手に取って読んで貰(もら)いたい良作が並んだ。
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 今年の文芸賞を受賞した山野辺太郎「いつか深い穴に落ちるまで」(文芸冬号)では、戦後間もない時期に一人の若手官僚が、焼き鳥に刺した竹串から思い付いた、日本からブラジルまで地球を貫く穴を掘るという大事業の顚末(てんまつ)が描かれるのだが、そんな噓(うそ)臭い、現実味の乏しい物語を書こうとしたならば、どんな書き手であっても、画期的な掘削工法が開発されたとか、地球中心部の高温高圧にも負けない超耐熱ガラスが発明されたとかいう、読者を納得させるに足る設定に頼りたくなるものだろう。しかしこの作者はそうした設定には一切頼ることなく、「どんな技術で穴を掘るというんだ?」と問われれば、「温泉を掘る技術です」と、平然と、真顔で答えながら、物語を推し進めていく、そんな大胆不敵さというよりは、小説という表現への揺るぎない信念こそが、この小説が読者に与える大きな感動の理由なのだ。一度目は選考委員として本作を読んだのだが、本欄で取り上げるに当たって改めて読み返してみて、バイタリティーに溢(あふ)れていた事業の発案者が年老いるにつれ、「穏やかな表情で聞き役に徹するかのごとく、静かに会議の席に座っているよう」になり、「ここに座っているのは彼自身の抜け殻にすぎないというかのような気配の薄さを呈することもあった」という、小説内の時間の経過が丁寧に描かれていることにも感心した。

 新潮新人賞受賞作、三国美千子「いかれころ」(新潮十一月号)は、古い因習や差別がまだ残っていた昭和の終わりの大阪府南部の村を舞台に、互いが互いを縛り付け合う旧家の濃密な人間関係を、当時四歳だった主人公の視点から、「桜の花びらはどこか青白く」と表現されるような豊かな色彩感覚と、「銀の輪をしゃらしゃら鳴らし」「もくもくした綿あめみたいな沈黙」といった擬声語・擬態語を効果的に用いた巧みな文体で描いている。気分屋で抑圧的な母親とは対照的な、精神疾患を抱えながらも優しく聡明(そうめい)な、主人公が慕う叔母の縁談が物語の軸となるのだが、ときおり差し挟まれる、「幸明が結婚して嫁を迎える前のこの数年の間が、久美子の最後の黄金期だった」のような過去を顧みる視線が、単なる回想とは異なる、しっかりとした時間の厚みをこの小説に付け加えている。
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 金子薫「壺中(こちゅう)に天あり獣あり」(群像十一月号)では、無限に広がるホテルの中を彷徨(さまよ)い続ける青年の物語と、玩具屋でブリキ製の動物の修理と改造を続ける女性の物語が、並行して進み、あるときホテルの中に作られた奇妙な場所で、二人は出会う。「何らかの結末に辿(たど)り着くにせよ、堂々巡りを続けるにせよ、見かけの前進を続ける外に選択肢はない」「地図を指先でなぞるだけなら僅(わず)か数秒で終わる旅も、実際に歩けば数えられないほどの夜を越えて歩き続けることになる」といった、この作者にしか書けない独特の言い回しは魅力的で、創作の隠喩のように読めたり、資本主義的欲望を連想させたりする部分もあり、優れた小説の条件を備えていることは間違いないのだが、幽閉、旅、地図、動物、奇妙な命名といったモチーフが、どうしても譲れない作家的資質としてではなく手法として、前作『双子は驢馬(ろば)に跨(また)がって』と似通ってしまっている点だけは気になった。=朝日新聞2018年10月31日掲載