「妖怪絵草紙 湯本豪一コレクション」書評 奇天烈な人面画は究極の芸術
ISBN: 9784756250827
発売⽇: 2018/09/20
サイズ: 26cm/224p
妖怪絵草紙 湯本豪一コレクション [著]湯本豪一
江戸時代の妖怪スターたちがズラリと紹介される中で「何だこれは!」という妖怪がいる。「人面草紙」の項に登場する、デュシャンの便器を上から押しつぶして、お多福顔にしたような奇天烈な人面がそれである。どの顔も判で押したように同じ顔をしている。
↑こんな顔をした人面が、まるで五百羅漢がどどーっと一挙に家の中に押し寄せたかのような状態にしたかと思うと、屋外をお祭り広場に変えてしまう。
そんな画風はアールブリュット風で、画面を絵と文字で埋め尽くすけれど、社会的不適応者の絵ではない。むしろストリートアート的な落書きに近いかもしれない。
「人面草紙」の著者は斎藤月岑と名乗る著述家で、描く絵は当時の文人画ってとこかな? 描かれる人物は様々な職業で、殿様や花魁や力士がいて、時には乞食に扮した金持ち、泥棒に扮した人面もいる。そんな人物すべてが人面である。魚や虫の顔が区別できないように、人面には個性がない。せいぜい衣服や持ち物でキャラを判断するしかない。家族や職場の人間がみんな同じ顔をしているのを想像されたい。まるでスーパーに並ぶ大量生産された商品である。
その昔、オウム真理教の信者が麻原彰晃教祖のお面をつけて布教活動や選挙運動をしていたが、妖怪みたいに不気味だった。人面も妖怪の仲間かもしれないけれど、妖怪のような恐ろしい雰囲気は全くない。むしろ愛敬があってユーモラスである。無名性と非個性的なのは究極の芸術ではないだろうか。
デュシャンの名前を出したついでに言うと、デュシャンは芸術が匿名であることを理想とする。僕は人面からデュシャンの便器を想像したと書いたが、この江戸の人面がもし男性用の便器の形をしていたら、痛烈な美術批評になっただろうにと、余計なことだが、ひとりほくそ笑むのである。
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ゆもと・こういち 1950年生まれ。妖怪研究・蒐集家。著書に『今昔妖怪大鑑』『日本の幻獣図譜』など。