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作家の読書道 第199回:瀧羽麻子さん

2、3歳で文字をおぼえる

――一番古い読書の記憶を教えてください。

 私は記憶力がなくて、自分ではほとんど覚えていないんですが、母に今でも言われるのは『ノンタン』の絵本がすごく好きだったということです。2歳くらいのときに、読んでいるうちにひらがなを覚えたそうです。とにかく文字が好きな子どもだったらしく、3歳の頃には『ドラえもん』にのめりこんで、それで漢字を覚えたようです。『ドラえもん』は読み仮名がふってあるので、読めるようになったんだと思います。友達のお兄ちゃんとかお姉ちゃんが持っていたのを借りて読んでいたと聞きました。

――ご自身は、ご兄弟は?

 妹がひとりいますが、そんなに本は読まないですね。でも父がかなり読書家で、実家に本は多かったです。壁が一面本棚みたいな家でした。隣に祖父母も住んでいたんですが、そっちにも同じような本棚がありました。私の本好きは、父方の血を継いだようです。

――では、小さい頃から相当いろいろ読まれていたんですね。

 幼稚園や小学校の頃は、とにかく長い本が好きでした。あっさり終わる話だと物足りないというかもったいないというか、名残惜しい感覚があったのかもしれません。「ナルニア国物語」や「クレヨン王国」のシリーズ、ルパンやホームズ、文学全集なんかも読んでいました。子ども向けに易しく編集してある、日本文学全集や世界文学全集ですね。ドストエフスキーやスタンダールなんかも入っていて、子ども向けとはいえ、それなりに長くて。読破する達成感が味わえるのも、よかったのかもしれません。学校の図書室の司書の先生が、本が好きな子がいて嬉しかったのか、いろいろ薦めてくれました。「ほらこの本、めっちゃきれいでしょ。誰も読んでないからね」とか言って。司書の先生とは仲良しでしたね。

――長ければどういう傾向の物語でもよかったのでしょうか。

 母にも訊いてみたんですけど、「何でもいいから、本さえ読めれば満足していた」と言われてしまいました。名作系はどれも面白くないわけがないだろうという先入観もあったかもしれません。

――全集に入っていそうな長い物語といえば「ああ無情(レ・ミゼラブル)」とか「がんくつ王(モンテ・クリスト伯)」とか。

 ああ、読みましたね。全集とは別に、『風と共に去りぬ』なんかもしばらく熱中した覚えがあります。本を読み出すと止まらなくて、小学校の授業中にも続きが気になって、教科書の陰で読んだりしていました。歌の時間にも口をパクパクさせながら、こっそり。今思えば、先生も見て見ぬふりをしてくれていたんじゃないかと思うんですけれど、クラスの子に「先生、ちゃんと歌ってない人がいます!」とか告げ口されて、「めんどくさいなあ」とイライラして。私、小学校高学年が反抗期というか、たぶん人生で一番とがっていたんです(笑)。かわいげのない、生意気な小学生でした。細かいことは自分では忘れてしまっているんですが、当時の友達に会うとしみじみ言われます。本に没頭してしまうと、人の話をまるで聞いていなかったし、あと、なぜかランドセルを持ち歩くのもいやで、教科書やノートは全部机に置きっぱなしにしたまま、小さな鞄で登校していたそうです。本当に、当時の担任の先生に謝りたいです。おかげさまで、一応ちゃんと他人の話も聞ける、聞き分けのいい大人になりました(笑)。

――放課後は家に帰ってずっと本を読み続けていたわけですか。

 いえ、授業がたいくつなので本を読みたくなってしまうだけで、放課後は普通に外で遊んだり、友達の家でゲームをしたりもしていました。うちの家はゲームを買わない方針だったので。ファミコン全盛期だったんですよね。ゲームボーイとかも出てきはじめて。でも友達の家でも、漫画を読みはじめて動かなくなることもあったようです。自分のうちに帰ってからも、本を読んでいるときは邪魔されたくなくて、食事に呼ばれても「うーん...」とか生返事で濁して。

――今、漫画にはまったというお話がありましたが、好きな作品などはありますか。

 私の小学校では「りぼん」派と「なかよし」派がせめぎあっていました。もう少し後、中学・高校時代には、矢沢あい作品が爆発的に流行りました。学校ではもう、クラス中で回し読みしていましたね。あとはいくえみ綾さんも好きでした。漫画も、ものによっては相当長いじゃないですか。だから、私の「長い物語を読み通したい」欲も満たされるわけで。一気に読まないと気が済まないほうなので、ノンストップで、夜を徹して読んだりしていました。

――作文など文章を書くことは好きでしたか。

 読むほうが断然好きでした。読書感想文では、本のあとがきとかを読んで適当に見当をつけて、「大人はこういうことを書いてほしいんでしょ」みたいに、斜に構えて書いていた気が。本当に、いやな子どもでしたね......。

長い小説が好き

――中学生時代も本は読み続けましたか。

 中学から私立に通いはじめたんですけれど、さすがに授業をちゃんと聞かないとついていけないし、あとはまあ、友だちと遊ぶのが楽しいとか、本以外の楽しみに気が散るようになって、小学生のときに比べれば読書量は減っていたと思います。長い休み中とか、時間に余裕があれば読むくらいで、四六時中本が手放せない感じではなくなりました。ときどき、江國香織さんとか山田詠美さんのおしゃれな恋愛小説を読んで、「ああ、大人の恋って素敵」とうっとりしたりして。今思えば、恋愛の機微なんて分かりっこないんですけどね。
 その頃から、父親の本棚を物色するようにもなりました。ただ、父はどちらかといえば小説よりもエッセイが好きなんです。しかもジャンルが偏っていて、建築が専門なのでそっち系とか美術系、あとはヨーロッパを中心に海外の旅ものや随想、あと食べ物関連も好きで。当時の私は基本的に長い長い「物語」が好きだったので、エッセイの魅力はよく分かっていなかったです。とりあえず文字を読みたい欲求を満たすだけで、大人の身辺雑記なんて興味がない。ノンフィクションに興味を持つには、人生経験が足りなかったんでしょうね。

――日本の小説というと古典、近代、現代によっても言葉や表現が全然違いますが、どれも好きでしたか。

 現代ものが好きでした。古典も面白いなとは思うんですけど、今の日本語のほうが好きですね。

――授業の課題図書になりそうな、夏目漱石とかは...。

 夏目漱石は家に全集があったので、読みました。谷崎潤一郎全集も。うちの本棚が偏っているので、偏りがありますね。

――『細雪』は長いからよかったのでは(笑)。

 はい、長くて非常に満足しました(笑)。ああそうだ、長いといえば、『源氏物語』なんかも読みましたね。誰の現代語訳だったかな。今となってはあいまいな記憶しかなくて、なんだか悔しいですね。

――なるほど。長いといえば山岡荘八『徳川家康』とか吉川英治『宮本武蔵』といった歴史小説は...。

 歴史小説だと、一時期、司馬遼太郎ブームがきて、ひたすら読み続けました。『竜馬がゆく』とか『坂の上の雲』とか、どれも長いですし(笑)。さっき例に出したような、女性作家の恋愛小説とは、題材も文体も全然違いますけど、その頃はまったく意識していませんでした。お話にのめりこめさえすれば、何でもかまわなかった。作品を読んで、自分に対して何か問いかけるとか、人生について思索にふけるとか、そういう高尚なこともなくて。欲望のまま、ご飯を食べるような感じでがつがつ読んで、読み終えたら忘れて、ただ純粋に物語を追うのを楽しんでいました。

――さきほどドストエフスキーとおっしゃっていましたし、『カラマーゾフの兄弟』など長い海外小説も読んでいたわけですよね。それこそ、長いといえばプルーストの『失われた時を求めて』は?

 『失われた時を求めて』は大学生の時に挑戦して、途中で挫折しました。子ども時代のように、長い話を意味はよくわからないまま無我夢中で読み続けるということが、その頃になるとさすがに難しくなってきて。ある程度は分かりやすいものがいいなと思うようにもなりました。

作家コンプリート読み

――大学は京都ですよね。大学時代はどうでしたか。

 他のことに興味が向いて、読書する時間はそれほど多くなかったと思います。ただ大学の友達には結構カルチャー通が多くて、映画に詳しい子とか、美術に詳しい子とか、音楽に詳しい子とか、もちろん本好きもいて、彼らに薦められるままいろいろ読みました。オースターとかカポーティとかヴィアンとか、かっこいいなあと思いましたね。それまでの友達は、本は普通に読むけどめちゃくちゃ読書家というわけでもなかったので、好きな本を教えあうような関係ははじめてでした。
 大学の図書館は専門書ばかりで、小説が少なくてがっかりしましたね。めぼしいのは全集くらい。その中でも比較的新しいのが、村上春樹全集でした。友達から「村上春樹くらい読んでいないと駄目だ」みたいなことも言われたので、そういうものかと読んでみて、素直にすごいなあと思いました。たまたま出身地が近くて、初期の作品には実家の周辺も出てきたりしたのもあって、予想していたよりは入りやすかったです。でも、年を追うごとに話がどんどん難解になって理解が追いつかなくなってきて、友達が熱く語るのをおとなしく聞いていました。
 それから、大御所の女性作家の作品は、変わらず読み続けていました。高校時代から読んでいた江國さんや山田詠美さんに加えて、山本文緒さん、角田光代さん、小川洋子さんも好きでした。今でも新刊が出たら必ず読みます。

――それこそ、小川さんは芦屋の方ですよね。

 『ミーナの行進』はまさに芦屋が舞台で、うちの家族も大好きです。それ以外の小説にも、阪神間の雰囲気を感じることがあります。
 ひとりの作家に興味を持つと、とりあえず全作読んでみたいという意欲がわいてくるようになって、「長い物語を読む」時代から「作家コンプリート読み」時代に移行していきました。そうしたら、短篇もちょっとずつ面白く思えてきて。たとえば村上春樹作品でも、最初は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『ねじまき鳥クロニクル』といった壮大な長篇が好みだったんですけれど、今はむしろ『レキシントンの幽霊』とか、短篇集のほうが好きなくらいです。小川洋子さんの短篇も、すばらしいですよね。短篇でいうと、川上弘美さんも大好きです。昔は、物語が長ければ長いほど奥が深いと信じていたんですが、たとえ文字の量は少なくても世界が深く深く広がっている短篇が存在するということに、遅ればせながら気づきました。

――大学は経済学部でしたよね。本が好きだけど文学部ではなかったんですね。

 本は漫画とかゲームなどと同じ「趣味」という位置づけで、勉強する対象とはとらえていなかった気がします。文学を学問としてやる発想がなかったし、実際、今も文学的なことはあまり分かりません。
 理数科目がそんなに得意じゃなかったので、文系にしようと決めました。あと、卒業後の進路について考えたときに、私は気が小さいので、誰かの人生を決定的に左右してしまうような仕事は怖くてできないと思ったんです。それで、たとえば法学部は弁護士や裁判官、教育学部は教師のイメージがあって、なんとなく敬遠しました。経済学部の場合は、もちろんお金で人生は変わるけれど、直接ふれてしまう感じにはならないかなと思って選びました。
 一方で、芸術に対する憧れも強かったです。自分がそういう素養のない人間だという自覚があったので。詳しい友達にあれこれ教えてもらって背伸びして、勝手に成長した気分になっていました。今思い返すと恥ずかしいです。

――サークルは何かやっていましたか。

 スキーをやっていました。体育会系ではないんですが、意外に本気のサークルでした。冬はスキー場のシーズン券を買って、山にこもって、春がくるまで降りてこないという。私の人生で、最初で最後の体育会系的な経験です。でもそこで根性が叩き直されたので、結果的にはよかったです(笑)。雪山では、のんきに本を読んでいるどころではなかったですね。

――上下関係が厳しくて?

 というより、忙しくて。肉体的にも精神的にも余裕がありませんでした。合宿や大会の期間は全員が集まるんですけど、それ以外のときは、一人か二人ずついろんなスキー場のペンションや民宿に住み込みさせてもらって、働きながら練習するんです。それまで私は偏食で好き嫌いも激しくて、ちょっと潔癖症ぎみだったんですが、そんなわがままは言っていられない。賄いの食事は残しちゃいけないし、客室やトイレの掃除もしなくちゃいけないし、お客さんには感じよく接しなきゃいけないし、いろいろな社会のルールに適合する必要がありまして。結果、一冬で偏食も潔癖症もすっかり矯正されました(笑)。

――そういえば、これまでのところ、全然「作家」という職業を意識する気配がないですね。

 確かに! すみません。ただ大学時代には、私自身は書かなかったんですけれど、小説を書いている友達が何人かいました。時間が余っているせいか、そういう年頃なのか、自己表現っぽいことがしたくなるみたいで。で、みんな私が本好きと知っているから、「読んでみて」って渡してくるんですよ。自分の内面について吐露した、かなりヘビーな純文学っぽいやつを。「あ、小説って読むだけじゃなくて書くこともできるんだな」と気づいたのは、それがきっかけです。

転職活動と並行して執筆開始

――卒業後は就職されて。

 勤め先は外資でしたが、日本本社が神戸にあったので、私は実家から通っていました。大学時代は、本なり映画なり趣味に熱中している友達が多かったんですけど、会社の同僚はまったくそういう感じではなかったです。読むとしたらビジネス書、というような。私自身も、社会人になって2年くらいは仕事で手一杯で、読書どころではありませんでした。それが3年目あたりから会社にも慣れて、少しずつだらけてきて、これでいいのかな、と違和感も持ちはじめて。家族も地元の友達もそばにいるし、住み慣れた土地だし、居心地は悪くありませんでした。ただ、この先もずっと同じ会社で働いていたら、一生がここで完結することになるかもな、とふと思ってしまったんですよね。私が飽きっぽい性格のせいもあるんですけど、このまま終わるのはなんかちょっといやだな、と。
 それで、転職活動を始めました。しかもなぜか、並行して小説も書き始めて。今考えると、なにも同時にやらなくてもよかったのにと思いますが、とにかく焦ってたんでしょうね。なんとかしなきゃ、って。少しおおげさに言うと、人生を打開したかったのかもしれません。

――そこではじめて小説を書いてみた、と。

 大学時代の友達で、小説を書いては投稿している子がいて、彼から聞いた中に、小学館の「きらら」という文芸誌の主催する掌編の賞がありました。毎月優秀賞が選ばれて誌面に掲載され、審査員の佐藤正午さんと盛田隆二さんが選評を書いて下さるというものです。確か、最長1000字までという条件で、携帯電話のメールで応募できるので手軽でした。その短さなら私にも書けるかもと思って、半分は賞金めあてで応募してみました。フィクションといえる文章を書いたのは、その時が人生初ですね。
 それで1回賞をいただいて、編集部から「長いものも書いてみたらどうですか」と言われました。その気になって書こうとはしてみたんですが、長い小説って読むのは楽しいけど書くのは大変だという、当たり前のことにそこで気づきました。転職活動や、転職先が決まってからは東京に引っ越す準備もあって、100枚ほどで力尽きました。せっかくだからどこかに応募しようと考えたんですけれど、しろうとなので文学賞の知識もなくて。100枚もプリントアウトするのはしんどいなあ、どこかメールで受け付けてくれるところはないかな、とネットで探して見つけたのが、ダ・ヴィンチ文学賞でした。

――応募先を決めたのが、そんな理由だったとは。

 不勉強で、本当にお恥ずかしい限りです。今思うと、業界のことも、文学賞のことも、何ひとつ分かっていませんでした。2007年の年明けに転職して上京したんですが、確かダ・ヴィンチの賞もその直後が締切でした。引っ越しを終えて、「あ、あれを送らなきゃ」とはたと思い出して、まだ段ボール箱の積み上がっている部屋で、床に置いたパソコンから原稿を送信したのを覚えています。
 新しい会社に入ってからは、前職とは全然違う業界だったのもあって、必死に働いていました。それから数か月経って、応募したこと自体をすっかり忘れていた頃に、私の小説が最終選考に残っていると連絡をいただいたんです。びっくりしました。当時はちょうど名古屋の案件の担当になって、ホテル住まいをしていたんですよ。そこへ突然電話がかかってきて、「賞を獲れるかどうかはまだわからないけど、私はこの小説を出版したいので1回お会いしましょう」って言われたんです。Iさんという女性編集者でした。私にとっては、小説家としての命の恩人です。

――命の恩人とまで思うというのは...。

 あのとき、もし彼女に拾ってもらえなかったら、私はもう小説を書かなかったと思います。書いてみて、私はやっぱり小説を書くよりも読む方が圧倒的に好きなんだな、とつくづく実感していたので。仕事や、東京での生活や、他に考えなければいけないことも多すぎて、賞に応募したことすら忘れていたかもしれません。そう考えると、本当に感謝しかありません。

――その時に応募した『うさぎパン』でダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞してデビューが決まるわけですが、その前に担当編集者にお会いしていたんですね。

 Iさんにお会いするまでは、出版社も知らないし、編集者も知らないし、読者としてしか小説の世界を知らなかったので、一から教えていただきました。彼女もすさまじい量の本を読んでいて、「きっと瀧羽さんはこの本好きだと思う」って、いろいろ持ってきてくれるのも、すごく嬉しかったです。「この人と一緒にいれば素敵なものをいっぱい教えてもらえる」って、そんなふうに思えるのは大学の時以来でわくわくしました。

――どんな本を教えてもらえたのでしょうか。

 『パンドラの匣』(太宰治)、『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』(鴨居羊子)、『"少女神"第9号』(フランチェスカ・リア・ブロック/金原瑞人訳)、『マジック・フォー・ビギナーズ』(ケリー・リンク/柴田元幸訳)あたりが、特に印象に残っています。読んでみたらどれもこれも見事に好きで、「Iさんについていこう」とあらためて思いました。読むことが勉強にもなる、とも言われました。それに私はどうしても、書くより読むほうが好きで。ずっと原稿を書いたり自分のゲラを確認したりしていると、だんだんうんざりしてくるんです。そんな時に、誰かが書いてくれた面白い小説を読むと気持ちが晴れて、私もがんばろうという気力も湧いてくる。私のそういう習性もおそらく見越しつつ、育てていただいたと思います。

――自分の執筆中は他の小説を読むと文体が引っ張られるから読まない、という方も多いのに、瀧羽さんは違うんですね。

 文体が引っ張られることはないと思います。でも使いたい言葉にぶつかる時はありますね。「この言葉って使ったことないなあ、どこかで使ってみたいなあ」と思って、それで執筆意欲を上げてまた書く、というサイクルです、私は。

作家になってからの読書

――では、プロになってからの読書生活というのは...。

 設定や構成など、技術面を意識して読むようになりました。担当編集者をはじめ、業界の方たちにお会いする機会があれば「今読むべき本は何か」というのを聞くようにしています。「最近面白い本があったか」もよく質問しますね。――今は好きなものの傾向があるということですね。付き合いが長い編集者だと私の好みを分かっていて、好きそうなものを教えてくれます。でも、自分からは手が伸びなかったような作品でも、やっぱり面白いものは面白くて。プロの意見は、とても参考になります。

――今は好きなものの傾向があるということですね。

 そうですね。静かで穏やかな話が好きです。苦手なのは、人が死ぬとか不治の病とか......別に死んでもかまわないんですけど、ホラーやグロテスクなものはちょっと。あんまりひどすぎる話、理不尽な話も、辛くなってしまうのであまり手を出しません。でも薦められて読んでみたら、話の展開にひっぱられて、するする読んでしまえたりもするんですよね。前から好きな小川洋子さんや川上弘美さんにしても、静かな世界の中におどろおどろしい部分もあるし。ああいうのはわりと大丈夫なんですけどね。不条理な暴力とか、虐待とか、貧困とか、どうにもならない不幸が出てくると心が折れがちで。でもまあ、勉強がてら、なるべく苦手意識を持たずに幅広く読もうと心がけてはいます。

――小川さんや川上さんで特に好きな作品は何ですか。

 川上弘美さんは『神様』が一番好きです。小川洋子さんは『人質の朗読会』や『不時着する流星たち』。あと津村記久子さんも好きです。特に『ミュージック・ブレス・ユー!!』は、読むと必ず泣きそうになります。最新作の『ディス・イズ・ザ・デイ』も大好きでした。男性作家では、森見登美彦さんは『有頂天家族』が好き、堀江敏幸さんは『雪沼とその周辺』が好き、佐藤正午さんは『鳩の撃退法』が好き......挙げ出したらきりがないですね。
 海外小説は、小説を書き始めてからのほうが、読む機会が増えました。やっぱり、静かな話が好きです。新潮社のクレスト・ブックスもよく読みます。アリス・マンローとか、ジュンパ・ラヒリとか。今はどちらかというと長篇より短篇に惹かれますね。子どもの頃は、しっかりしたあらすじがあって起承転結もくっきりしている長い物語が、あんなに好きだったのに。でもよく考えたら、短篇できれいに起承転結をまとめるって、高度な技術なんですよね。今となっては、小説を書く立場として読んでしまうので、あれこれ考えさせられます。洗練されたプロットや上手な語りには憧れますね。こんなふうに書けるなんていいなあ、とうらやましくなることも多いです。
 そうそう、あと今年は原尞さんにはまりました。

――えっ。『私が殺した少女』の原尞ですか? ハードボイルドな探偵ものですよね。最近新作が出ましたけれど、これまでの瀧羽さんの読書遍歴とまったくイメージが違いますね。

 まず、14年ぶりの新作だという『それまでの明日』を読んで、「うわ、何これ面白すぎる」と戦慄しました。一気に既刊を全部読んでしまって、今になって後悔しています。次作も14年後かもしれないのに、せめて1年に1冊ずつとか、もっと大切に読めばよかった。

――あのシリーズは、まあそうか、人は死ぬけれどグロテスクではないか。

 徹底的にドライですね。展開が緻密で、文章も端正で。もう、なんていうか、好きすぎます。ほとんど恋ですね。しかもひとめぼれ。自分には書けないからこそ、ハードボイルドへの憧れもふくらんで。周りからは、次はレイモンド・チャンドラーを読んだらいいんじゃないかと言われています。時間のある時に読んでみるつもりです。

――フィリップ・マーロウものはどの訳で読むかにもよりますね。

 海外ものって、翻訳によって印象が変わりますよね。あと、私はミステリーを読んでいても、「この文章が好き」とか「ここの表現が面白い」とか、本筋に関係のない一文が妙に心に残ったりします。そのわりに、肝心の犯人が誰だったかという記憶が落ちるという(笑)。最近特に、記憶力が衰えていて。

――分かります。夢中になって読んだものほど、本を閉じた後、何も思い出せない時があります。

 そうなんですよ。書き出しは覚えていても、その後どうなったのかが分からない。読んでいる瞬間はすごく集中しているのに。なんていうか、異世界に行って帰ってきちゃって、呆然とする感じがありますね。

――では、読書記録や感想を書き残しておくことはしませんか。

 仕事で依頼をいただいた場合以外は、しませんね。私の場合、そもそも立派な感想も浮かんでこなくて......読み終えた時は興奮しているんですけど、「好き!」とか「面白かった!」とか単純な気持ちが強くて、わざわざ書き残すまでもないんですよね。

最近の執筆について

――主にいつ小説を書いたり読んだりしているのでしょうか。

 本を読むのは平日の夜が多いです。書くのは、まとまった時間がとれる週末のほうが集中できますね。いやになってきたら、さっきもお話した通り、ちょっと他の人の小説を読んで、元気を出してからまた書きます。

――小説家になってよかったと思う瞬間はありますか。

 本の見本ができあがった瞬間は、なによりも嬉しいです。モノとしても、本そのものが好きなので。でも、一切読み返さないですね。自分が書いた内容も結構忘れてしまっていて、後から質問されてあわてることもあります。

――では、小説を書く題材はどのように選んでいるのでしょうか。

 依頼が入り次第、考えます。先方が「恋愛もので」「会社もので」「京都を舞台で」など、大まかな方向性を考えておられることが多いので、それもふまえて話し合います。

――じゃあ、『ありえないほどうるさいオルゴール店』は小樽の不思議なオルゴール店の話ですが、あの場合は。

 あれは、私から提案しました。さっきの話にも出た編集者のIさんと、次はどんな話を書こうかと相談していた時に、不思議な男の人を登場させよう、かわいいお店屋さんにしよう、というような、漠然としたアイディアは浮かんでいたんです。でも、その後彼女が会社を辞めてしまって、書く機会がないままになっていました。
 2、3年前でしょうか、『乗りかかった船』という造船会社を舞台にした連作短篇をはじめ、お仕事系の小説の依頼がいくつか続いた時期がありました。そんな中で、それらとは別路線の、デビュー作の『うさぎパン』にも通じるようなちょっと不思議な感じのものを、というお話をいただいて。ちょうどいいかなと思って「オルゴール屋さんはどうでしょう」と打診したところ、気に入っていただけて、採用となりました。小樽へ取材にも行って、連作形式で書くことにしました。

――お客さんの心に流れる音楽を聴きとることができる店主が、その人にあったオルゴールをオーダーメイドしてくれる、心温まる連作集でしたね。

 ひとつのお店を舞台に、そこを訪れるいろんなお客さんの人生の一部を、短篇として切りとっています。皆それぞれに悩みや屈託を抱えながらも、オルゴールに託された音楽を通して、少しだけ前向きになれるというお話です。この作品に限らず、どこにも救いのない絶対的な不幸みたいなものは、あまり書きたいと思ったことがないですね。世の中ではひどい事件がたくさん起きていますし、ふわふわと楽しいことばかり書いていても現実味がないですが、せっかく物語を作るからには、ひと筋でもいいから光がほしいなと。あと読み手としても、私にとって読書は異世界トリップというか現実逃避というか、未知の世界に旅するための手段という面もあって、あまりにも悲惨すぎる場所をあえてめざす気になれないというのもあります。

――では、今後のご予定は。

 11月に児童書を出すことになっています。最初にお話しした、『ノンタン』を出している偕成社からなので、感慨深いです。小学校高学年向けの、小学5年生の女の子が知らない大人との出会いを通して成長していくという、ほのぼのしたお話です。年明けは、レストランを舞台にした家族ものの連作短篇集が2月頃に出る予定です。これはデビュー直後に書いた3篇に、最近になってから書いた3篇を足して、一冊として完成させることになっています。続いて、春か夏くらいには椅子職人のお話も。他に進行中の連載では、農業のお話と、転職エージェントのお話も書いています。

――見事に題材がそれぞれまったく違うという。楽しみですね。

 こうして並べてみると、節操がないですね(笑)。以前は同時に複数の小説を書き進める時は、こっちが辛くなったらあっち、と場当たり的に進めていましたが、きっちり時期を分けたほうが書きやすいと気づきました。たとえば月を上旬、中旬、下旬と3分割して、上旬はこれ、中旬にこれ、下旬はこれ、というようなサイクルで回しています。私は飽き性なので、いろんな題材を書くのは、気分が変わって楽しいです。