荻堂顕さんの読んできた本たち 東京出身だからこそ書きたかった直木賞候補『飽くなき地景』(後編)

>【前編】荻堂顕さんの読んできた本たち 「明確にこれを読んだからデビューできた」2人の作家
――大学卒業後しばらくゴールデン街で働いた後、小説家デビューされるまではお仕事はどうされていたのですか。
荻堂:高校時代に身体を鍛え始めた話をしましたが、卒業するくらいに格闘技を始めて、思いのほか合っていたので大学4年の頃にインストラクターになって、格闘技ジムのインストラクターをやったり、ジムに来ている練習仲間の会社でバイトしたりして、お金はそんなに困らなかったです。
――どの種目のインストラクターだったのですか。
荻堂:自分が教えていたのはブラジリアン柔術ですね。寝技です。
大学でプロレス同好会に入りたかったんですけれど、自分は身体が小さいので、さすがにプロレスは難しいなと思って。それで総合格闘技をやろうと思って当時の実家の沿線にある総合格闘技のジムに入ったんです。そこのジムの代表がブラジリアン柔術の黒帯で、「寝技練習したほうがいいよ」と言われ、そこからでした。
――ところで、映画はその後もずっと観ているのですか。
荻堂:大学生の時にいちばん観ていました。本当に年間300本くらい。最近は、コロナ禍の頃に犬を飼い始めて生活スケジュールが合わなくてあんまり映画館には行かなくなっちゃったんですけれど。
――映画でとりわけ好きな監督や作品はありますか。
荻堂:ミヒャエル・ハネケがいちばん好きです。中学生くらいの時に「ファニー・ゲーム」を観てすごく不快になって、その不快感が数日間続いて。こんだけ人を不快にさせられるものを作るってすごいなとなって、そこから他の作品も観ました。たぶん、いちばん好きな映画は何かと訊かれたらハネケの「ピアニスト」と言いますね。
なんか、おこがましいんですけれど、ハネケがやっていることってそんなに自分と遠くないんです。「ファニーゲーム」って暴力シーンがえぐいんですけれど、メイキング映像でハネケが言っているのが、たとえば「ダイ・ハード」はブルース・ウィリスが人を殺しているのをヒロイックに描いているけれど、あれだって立派な殺人でしょうっていう。だったら映画の中で暴力をグロテスクに描いてみよう、アンチハリウッド映画、アンチアクション映画みたいなことをやろうと思った、と語っているんです。「ピアニスト」のメイキングでも、みんな簡単に恋愛の文脈で「本当の自分を知ってもらう」みたいなことを言うけれど、本当の自分を知ってもらうってどんなにおぞましいことか、みたいな話をしている。だからあれもアンチ恋愛映画みたいなものなんですよね。
ミステリも、ミステリ好きの人はある一定のところを「ここはお約束だから」みたいな感じである程度透明化して読むと思うんですけれど、そういうのってどうかなと思うことがあるんです。自分はいろんなジャンルのアンチみたいなことをやりたいなって考えているふしがあって、そこでハネケに共感する部分がありますね。
前にゲームを作っていた話はしましたが、ゲームならギミックは受け入れられるんですよ。でも小説ではギミックを受け入れられないという、感覚のアンビバレントさがありますね。小説は物語の筋を読みたいんで、ギミックを重視されるとすごく嫌な気持ちになるんです。なので小説はもう、分かる人が分かればいいって気持ちで書いているんですけれど、ゲームを作るなら、ちゃんと一般受けを考えて作ると思います。
――人文書やノンフィクションは読みますか。
荻堂:読みますよ。僕が高校生の時に何度目かのレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』のブームが来て、それで読んだりとか。あとこの「作家の読書道」でもいろんな人が挙げていますが、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』もめっちゃ流行っていたので読みました。
最近は小説を書く時の参考資料が多くなっちゃうんですけれど。『ループ・オブ・ザ・コード』の時に参考にしたソール・A・クリプキの『名指しと必然性』なんかは好きだったですね。
――読書記録はつけていますか。
荻堂:一切やっていません。日記とかが苦手で、ドッグイヤーだけですね。良かったと思うページの端を折っておくんですが、読み返した時に「なんでここ折っていたんだろう」となります(笑)。だからたぶん、いいなと思った箇所は書き留めておいたほうがいいんですよね。
――第2作でいきなり『ループ・オブ・ザ・コード』という大作を書かれて。疫病が蔓延した後の世界を舞台に、生物兵器を使ったクーデターを起こしたことにより、国連から言語や文化などすべてが抹消された国で、児童たちの間で奇妙な病が発生。世界生存機関に所属するアルフォンソが調査のために現地に派遣される。彼は秘密裡に、何者かに盗まれた生物兵器とその生みの親の行方を捜し出すという任務も背負っている...。壮大なスケールかつ緻密な設定の作品です。
荻堂:次はSFをやりたいなと思っていました。抹消された国というアイデアはすでにあったので、もしも『擬傷の鳥はつかまらない』でデビューできていなかったら、そのアイデアでSFを書いて東京創元社か早川書房の賞に出そうかなと思っていたんです。
デビュー後、「2作目もミステリで」と言われて頑張ってミステリっぽい筋も考えみたんですけれど、やっぱりSFが書きたくて、「令和版『虐殺器官』みたいな話をやりたい」と伝えたら、担当者がOKを出してくれました。
僕はわりと、次回はこういう話を書きたいと説明する時に、先行作品を挙げて「僕バージョンの○○を書きたい」みたいな説明をするんです。
――国家や人々のアイデンティティのこと、反出生主義のこと、疫学調査のことやもろもろの社会問題のことなど、いろんな要素が詰まっていますよね。相当参考文献も読まれたのではないですか。
荻堂:そうですね。結構読んだんですけれど、参考文献芸みたいになるのはよくないと思っていて(笑)。まあ、嘘を書くにしても、事実を知らないで書くのと知ってて書くのでは知ってて書いたほうがいいとは思うんで、「ループ」はプロとして人生ではじめて参考文献を集めて読む、ということをやりました。
参考文献の集め方は、最初は手探りだったんですけれど、だんだん分かってきました。小川哲さんがまったく同じことを言っていたんです。『地図と拳』を書くために満州について調べる時、「満州とは」というスターターキットを自分で作るのは大変だけど、満州について書かれた小説とかの参考文献を見るとまとまっているから、それを集めたほうが早い、って。僕も『飽くなき地景』で東京オリンピックを書こうとした時、オリンピックについての本をいろいろ探すよりも、奥田英朗さんの『オリンピックの身代金』の参考文献を見たほうがやっぱり早かったですね。僕が奥田さんみたいな人に参考文献のリサーチ能力でかなうわけがないんで、やっぱり得意な人の真似をしたほうが絶対に早いです。
――『ループ・オブ・ザ・コード』の刊行時にインタビューした際、多和田葉子さんの作品のお話をされていましたよね。
荻堂:ああ、多和田さんは大学生になってから人に薦められて読みました。多和田さんはカフカの翻訳をされていて(集英社のポケットマスターピースの『カフカ』)、それも読みました。
僕が本を読んだ時の評価軸って3つあるんです。「面白い」「嫌い」「これを起点に自分の小説の構想を作れそうなもの」。多和田さんは3番目で、この人の小説を読んだ時に思ったことをもとに、自分が何か別のものを作れそう、という枠ですね。『地球にちりばめられて』なんかはナショナルアイデンティティにも関わる話だと思って読みました。どちらかというとあれはどんどん言語の話になっていくんですけれど。
――川上未映子さんの『夏物語』も読まれたとおっしゃっていました。
荻堂:川上さんの作品も、何か起点になるかもしれない本の枠ですね。デビューしたての頃に友達から『夏物語』の感想を聞かせてほしいと言われて読んだんです。すごくいい小説だと思ったんですけれど、そこから反出生主義について考えるところがあって。それを言語化したのが『ループ・オブ・ザ・コード』ともいえますね。
――起点になるかもしれない作品って、他にもいろいろあるんですか。
荻堂:そうですね。何かを読んでその中で使われている題材を自分だったら別のものにしたいと思うこともあるし、読んでいてその題材の描き方があまり好きになれなくて、自分だったら違うバージョンで書くなと思うこともあるし。
もちろん、いい影響を受けて、「このやり方があるんだったらこれもやろう」と思うこともあります。たとえば『擬傷の鳥はつかまらない』の時は映画の「ラ・ラ・ランド」ですね。「擬傷~」は主人公の女性に異世界、つまりifの世界に行く能力がありますよね。でもifの世界を選ばずに厳しい現実に戻って生きていく姿を書きたかったんです。
映画の「ラ・ラ・ランド」って、ライアン・ゴズリングとエマ・ストーンが演じる二人が、一緒に幸せになる未来もあったけれどそうはならなかったし、それぞれ今を頑張っていこうねっていう、ifを見てから現実に戻るじゃないですか。ゲームの世界だったらいくつもの分岐点があってそれを選べるけれど、現実ってそうじゃないよねってことをデミアン・チャゼル監督がちゃんとスクリーンでやっている。あの映画を何度か見直しているうちに、『擬傷の鳥はつかまらない』の話を思いついたところがあります。新海誠監督の「天気の子」もそうですね。あの映画も、別パターンのエンディングもありえたけれど、主人公たちはあの結末を選んで、そこで生きていこうとする。あれは「擬傷~」を応募する前、改稿の時期くらいに公開されて観ました。
――3作目の『不夜島(ナイトランド)』は歴史改変SF。戦後、台湾との密貿易がさかんな与那国島で、身体の一部がサイボーグとなった密売人が不可思議な依頼を受ける。彼のアイデンティティを巡る話でもありますね。サイバーパンクの小説は何がお好きなんでしたっけ。
荻堂:ギブスンの『ニューロマンサー』なんかも読みましたけれど、それより僕が好きなのは、ジョージ・アレック・エフィンジャーの『重力が衰えるとき』ですね。ギブスンよりも先にこっちを読みました。アラブの架空の都市を舞台にしたハードボイルドで、めちゃめちゃ面白いんですよ。主人公である探偵の頭が電脳化されていて、チップを入れ替えると別の人格みたいになるという設定があって。ネロ・ウルフっていう、別の作家が書いた探偵がいるじゃないですか。
――はい。『料理長が多すぎる』とかの。レックス・スタウトですね。
荻堂:チップを入れたら頭ん中にネロ・ウルフが出てきて、一緒に謎解きをしてくれるんです。でも室内で蘭を育てようとするから、こいつは使えないっていって外したりするっていう。
――めっちゃ面白そう! コミカルな話なんですか。
荻堂:コミカルなんですけれど、切なさというか、ハードボイルド味もあって。本当によくできた小説で、これを読んだ後でギブスンを読んだ時、自分にはちょっとドライすぎるなと感じました。
デビューしてから『重力が衰えるとき』を読み返した時、こういう話って関西のネオン街でできるなって思ったんですよ。関西弁を話す商人が怪しい義手とか義足とかを売っている、みたいな。でも僕は関西に詳しくないし、僕が関西を書くなら使いたかった戦後の警察機構って、もう坂上泉さんが『インビジブル』で書かれているんです。
という時に知ったのが、昔、沖縄の与那国島にはゴールデン街みたいに小さな店が集まった場所があって、そこで密貿易が行われていたということでした。ここがサイバーパンクの舞台だったら面白いかもしれないって思ったんです。だから『不夜島』は、「与那国島版『重力の衰えるとき』」なんですよ。
――実際に与那国島に行く機会があって、それもきっかけだったそうですね。
荻堂:妻が沖縄出身で、前から興味はあったんです。実際に与那国島に行ってそこに住む人と話す機会もありました。ネットで心ないことを言われて傷ついている人もいて、やっぱり自分たちはデジタル社会に毒されているなと考えました。それもあって、サイバーパンクを書こうと思ったんです。
沖縄関連の小説はそれまでも、妻から目取真俊さんを教えてもらって『虹の島』を読んだりしていました。真藤順丈さんの『宝島』も読みましたし。
やっぱり自分は東京出身で、ルーツみたいなものを感じづらいんです。沖縄って日本の中でも歴史的にとりわけルーツを感じざるをえない場所だと思うので、そこに住む人たちの気持ちを少しでも理解できたらいいなと思って書きました。
――この『不夜島』で、日本推理作家協会賞を受賞されましたね。
荻堂:最初はSFなのになんで候補になったんだろうと思って。考えてみたらこれまでもSFが候補になったことはあるんですよね。歴史のある賞なので受賞は嬉しかったです。
――直木賞候補にもなった新作『飽くなき地景』は、東京が舞台です。
荻堂:『飽くなき地景』は、東京出身者だからこそ東京について書いてみたいな、という気持ちでした。だから『不夜島』と根源としてはそんなに差がない感じです。
最初の打ち合わせが2022年の年末だったんですが、その時は「日本版『グレート・ギャツビー』みたいな話を書きたい」と言いました。あとは、佐々木譲さんの『警官の血』みたいな話、とか言ってましたね。
――なるほど! 戦後、不動産事業で財を成した旧華族の烏丸家に生まれた治道が、刀を愛する祖父からは薫陶をうけ、建設業でのしあがっていく父・道隆を憎みながら生きていく姿が、戦後の復興やオリンピックなど変わりゆく東京を背景に描かれていますね。
荻堂:『グレート・ギャツビー』は一時期の短い話ですが、あれを一代記にしていく感覚でした。でもこの小説で純然たる一代記の良さみたいなものを追求しようとは思ってなかったです。逆に、一代記として読んだ時、主人公が変化しようと思ったところが変化していなくて、変化したくないと思ったところが変化している、みたいに描くことを意図していました。そこが『グレート・ギャツビー』なんです。決して『華麗なる一族』ではないんですよね。
――主な舞台となるのが、1954年、1963年、1979年です。
荻堂:54年は、東京国立博物館内に日本美術刀剣保存協会が設立された時期にしました。63年は東京オリンピックですね。79年は主人公に40代になっていてほしかったのと、実際にこの年にKDD事件というのがあったので。KDDIの前身となる国際電信電話株式会社が起こした密輸事件ですね。エピローグの2002年は動かせなかったので、そこから間が開きすぎないように逆算したという理由もありました。
――治道は祖父の残した名刀を守ろうとし、執着する。なぜ刀というモチーフを選んだんですか。
荻堂:最初に日本版ギャツビーを考えた時に、柴田翔さんの『されどわれらが日々―』が浮かんで、自分も学生運動とか書こうかなと思ったんです。高橋源一郎さんなんかもそうですけれど、左を書いたものって傑作が多いんですよね。だから自分が左を書いてもしょうがないから右を書こうかな、じゃあ右の小説って何があるだろうと思った時に、大江健三郎さんの「セブンティーン」とか、それこそ丸山健二さんの『ときめきに死す』とかが浮かんで。でも『ときめきに死す』なんかはまさにハードボイルドですが、それにするとこれまで自分がやってきたことと書き味が一緒になってしまう。そう考えていくなかで、必ずしも右にこだわらずに、なんとなく右から連想されるものを書こうとなって、刀はどうかなと思ったんです。それで刀に関する参考文献を読んでいたら、戦後、刀がGHQに取り上げられそうになった時に、細川護立さんが「刀は武器じゃなくて美術品なんだ」と説明して返還してもらったと知りました。それって嘘じゃないですか。刀って武器じゃないですか。美術品だと言った瞬間に自分で自分を去勢しているようなもので、そこまでしてでも認めさせたっていうのは、果たして日本にとって勝利だったのかどうか、みたいなことを考えました。戦後日本そのものだなと感じたので、それをテーマにしたいと思いました。
――祖父と父親と息子と、父親の愛人とその息子という関係は。
荻堂:そちらは西武、のちのセゾングループを作った堤家を参考にしています。今回は初めて実在の人物をモデルにして書いたって感じです。この本に出てくるエピソードは参考文献にも載せた児玉博さんの『堤清二 罪と業 最後の「告白」』にだいたい出てきますね。父親が公の場に愛人の息子を連れていったら女性団体に攻撃されて、妻と離婚して愛人と入籍するんで勘弁してくださいって言ったのは堤清二の父親、堤康次郎のエピソードですね。実際には堤清二が異母兄で堤義明が弟ですが、作中では逆転させています。
――エポックメイキングなことは現実の出来事を参考にして、個々人の内実を創作していった感じですか。
荻堂:そうですね。それぞれの人生観とかは創作です。堤清二は無印良品を作ったりしてアートに凝っていた人なので、そういうところは取り入れましたが、家族との関係とか、細かいところは創作です。
――治道は祖父の刀を守ろうとし、父親に対する複雑な感情を抱えつつ、最後にああいう決断を下し...。反発していたものを内面化していく感じとか、もうめっちゃ面白かったです。
荻堂:これは意外とお父さんとの確執の話じゃないんですよね。幻想と現実の話であって、主人公が最後に幻想に気づく話なんですよ。主人公は幼い頃の祖父との体験から刀に魅入られて幻想を抱いていたんだけれど、刀に対する慕情は本当の愛だったのか、みたいな。だから、刀とは違うもので書くこともできるんですけど。
今回はわりとこれまでの小説とは違って、得るものがないという虚しさを書こうと思っていました。それはやっぱり、東京って自分の故郷で好きだと思っているのに、好きになる構造でできていない街だというのがあって。変わっていくのが前提の街なので、自分自身が東京に対しての思い入れを諦められるような小説を書こうという気持ちがありました。僕にとっての東京が、治道にとっての刀、みたいな。愛してる愛してると思い込もうとしているんだけれど、幻想を投影しているだけで本当に好きだったのかどうかは最後まで分からない。
――刀を他のものにして書くこともできる、というのが最高の皮肉で、それこそ書きたかったことを書けているわけですね。それにしても、治道は結構本を読んでいますよね。実在の作家や作品にたくさん言及されていて、そこから時代感もすごく出ています。
荻堂:これはもう、分かる人には「こういう読書をする人だよ」と分かってほしいというのがありました。キャラクター的に筒井康隆があまり好きじゃないタイプだなとか、村上龍とか村上春樹も流行っているから読んだだけで、たぶんそんなに好きじゃないだろうっていう。
――治道が城山三郎を繰り返し読んでいると分かるシーンがあって、なるほどなと思いました(笑)。村上龍も先日ようやく読み終えたという記述があって、話題になった時にすぐ読まなかったんだなと思いましたし。
荻堂:文学をやっている人なら新しい小説はわりと早くチェックすると思うんですけれど、40代前半で、昔の読んだ本を何度も読み返す人になっている。
――治道が読んでいる作品で、ご自身が好きなものもありますよね。。
荻堂:やっぱり横光利一をかばうシーンはこの小説でいちばん好きなところですね。僕は横光だと「春は馬車に乗って」とか「花園の思想」が好きですけれど、なんとなく、治道は「機械」のほうが好きそうだなと思いました。文学の中でも構造で読ませるもののほうが好きなんだろうという感覚です。だから実は、治道の小説の好みはおじいちゃんよりお父さんに似ている気がしますね。文章の情景的な美しさはそんなに理解するタイプじゃなかったと思う。それはモデルになっている堤清二もいえることで、彼が本当にアートが好きで理解する心を持っていたかどうかは、僕はちょっと懐疑的なんです。あの人も結局、お父さんや弟と一緒で、わりと構造の人だったんじゃないかなという気がしています。
――あと、やっぱり『葉隠』を読んでいるというね。刀が好きなら読むだろうという。
荻堂:今回、どうしても三島由紀夫を出せなかったんですよ。三島を出すと、この小説すぐ終わっちゃうんですよ。この小説を登山にたとえると、三島ってロープウェイなんですよ。三島出したらすごくはやく片付いてしまう。それでは面白くないんで、三島を使わずに、いかに三島がやっていることを別ルートで書くかとなった時、ギリギリ出せるのが『葉隠』でした。だから参考文献では本当の『葉隠』も三島が書いた『葉隠入門』も挙げています。
――建築業界の話なので、いろんな建築家の名前も出てきますね。
荻堂:丹下健三も出てきますが、構想している途中で偶然、僕が通っていた幼稚園が丹下健三が建てものだと知ったんです。そういう縁ってある程度大事にしたほうがいいかなと思って。それもあって建築方向でやっていこうかなと思いましたね。
――このインタビューは直木賞の発表から数日後に行っていますが、発表当日はどこで待ち会をやっていたのですか。
荻堂:雀荘で担当者と麻雀してました。『ループ・オブ・ザ・コード』ではじめて山本周五郎賞の候補になった時、まだ担当編集者も多くなくて、少人数で新潮クラブで待っていたんですが、手持無沙汰でやることがなくて。あれが嫌だったんです。何かやることがあったほうが気が紛れていいなと思いました。
――1日のうち、執筆時間は朝型ですか、夜型ですか。
荻堂:夜型ですね。夕方から書き始めて、2時くらいに寝ます。いっときは1日何時間書くか決めていたんですけれど、時間をかけても0字の時もあると思ったので、最近は1日原稿用紙で10枚、4000字くらい書くのを基準にしています。調子がよかったらもっと書く時もありますけれど。
――以前、「全ジャンルを書きたい」とおっしゃっていましたね。SFやミステリはもちろん、恋愛小説とかコメディとかも...。
荻堂:それは、引き続きそう思っています。コメディも、笑える小説ってやっぱめっちゃ難しいと思うんです。いつかやりたいですね。
――今後の執筆・発表のご予定は。
荻堂:今月から新潮社で出す小説を書き始めます。それは弱者男性を主人公にした「少女革命ウテナ」にするつもりです。それと、今年はポプラ社から新刊を出します。「若い層に向けてどうですか」と言われたんです。そういう本を書きたかったのでお引き受けしました。それが夏くらいに出ると思います。