諸田玲子(作家)
- 奥のほそ道(リチャード・フラナガン著、渡辺佐智江訳、白水社・4104円)
- ヌヌ 完璧なベビーシッター(レイラ・スリマニ著、松本百合子訳、集英社文庫・756円)
- 彼女は頭が悪いから(姫野カオルコ著、文芸春秋・1890円)
自分では手に取らないはずの本に出会えた、幸せな1年でした。ノンストップミステリーや心温まる掌編も収穫大。ただ独りよがりの内省的な小説が多いのが少し気がかり。そんな中でジャンルは違えど、差別という歪みに対峙した3冊を選んでみました。
①は戦争がもたらす国や民族間の、勝者と敗者の、心に潜む苦悶の軌跡。②は西欧諸国、いえ、明日は我が身ともなりそうな移民や貧富から生じる犯罪。③は人間だれもが生まれながらにもっている優越感と劣等感のせめぎ合い。
つまり、古今東西、人あるところに差別あり。それなら平等なんて幻想を抱いて奇麗事でごまかすより、「なくならない」のを前提に万民が住みやすい社会を目指すほうが賢明かも。まずは、読むべし。
山室恭子(東京工業大学教授)
- ギリシア人の物語(全3巻)(塩野七生著、新潮社・3024~3456円)
- われらはレギオン(全3巻)(デニス・E・テイラー著、金子浩訳、ハヤカワ文庫・1080~1102円)
- 風と行く者 守り人外伝(上橋菜穂子著、偕成社・1944円)
いらっしゃいませ。お正月旅行ですか? タイムトラベルがおすすめです。
【プラン①】ゆったりと三千年の時をさかのぼります。ガレー船に乗り込んで古代ギリシアへGO! 旅の終わりには、あのアレクサンドロス大王に拝謁できますよ。憂わしげに金色の瞳で見つめられたら、帰りたくなくなるかも。
【プラン②】ひょいっと百年、時をくだるのはいかが? 宇宙船に乗り込んで銀河をかろやかにGO! あっちこっちの惑星に仲間がいっぱい。パーティ気分で盛り上がりましょう。
【プラン③】おや、時の裏側へ潜りたい。では風を編んだ小舟で新ヨゴ国へGO! 危険な旅になりますので、短槍使いのバルサさんを護衛にお付けします。夜ごとに冒険譚が聞けますよ。
横尾忠則(美術家)
- 玉砕の島 ペリリュー 生還兵34人の証言(平塚柾緒著、PHPエディターズ・グループ・2052円)
- 死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相(ドニー・アイカー著、安原和見訳、河出書房新社・2538円)
- 万引き家族(是枝裕和著、宝島社・1404円)
芸術に関する本と死をテーマにした本を、書評では主にとりあげてきた。芸術は私の人生と深く結びついている。一方、死に関しては若い頃から「死後生」に憧れに似た興味があった。そこで、この1年の書評の中から3点選びました。
①はペリリュー島での74日間の激戦の物語。大岡昇平の『野火』さながらの戦場で、まるで自分が戦っているかのような臨場感。
②は旧ソ連のウラル山脈で起きた世にも奇っ怪な遭難事故の謎の解明にアメリカのドキュメンタリー映画作家が挑むが、その先に待ち受けているのはオカルティズムの世界である。
③は家族の物語を美化するのではなく、現実から目をそむけず、フィクションの裸像を見事なカメラアイによって芸術に昇華させた映画の小説化。
石川尚文(朝日新聞社論説委員)
- 「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明(伊神満著、日経BP社・1944円)
- 中央銀行 セントラルバンカーの経験した39年(白川方明著、東洋経済新報社・4860円)
- 日銀日記 五年間のデフレとの闘い(岩田規久男著、筑摩書房・2700円)
①は軽やかな文体でイノベーション研究の最前線に読者を引き込む。よくある「ビジネス書」に満足できない方にぜひ読んでほしい。デジタル化への対応に直面する新聞社内でも、同僚に一読を勧めている。
②③は日本銀行の前総裁(在任2008~13年)と前副総裁(同13~18年)の回顧録だ。白川氏は理論家肌で知られた日銀マン。バブルの経験から、経済のどこかに持続不能な債務の拡大が起きていないかを重視する。一方の岩田氏はリフレ派研究者の代表格。中央銀行の強い約束を通じた「レジーム転換」でデフレ脱却を果たすことを説いてきた。お互いの立場への批判も含め主張は鋭く対立する。それぞれの5年間をどう総括するのか。併読すれば理解がより深まるはずだ。
黒沢大陸(朝日新聞社大阪科学医療部長)
- 文系と理系はなぜ分かれたのか(隠岐さや香著、星海社新書・1058円)
- 数字が明かす小説の秘密 スティーヴン・キング、J・K・ローリングからナボコフまで(ベン・ブラット著、坪野圭介訳、DU BOOKS・2376円)
- 経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く(牧野邦昭著、新潮選書・1404円)
書評に登場しなかった本から。①職業選びや人生にも影響する文系と理系の区分けを、日本の近代化や高度成長との関連も踏まえて確かめる。現代に残る課題の根源が見え、その文脈から、危機感が広まる日本の科学技術力低下への影響も浮かび上がる。
②小説の特徴を統計的に解析した。文章にある書き手の癖「指紋」を調べれば、隠された筆者もわかる。副詞を使うな、と注意する作家は使用回数が少ないのか。男女の違い、時間を追った変化も分析。日本の作品で試したくなった。
③正確な情報がありながら無謀な戦争に進んだ道を検証する。リスクの高い選択をした理由の行動経済学、社会心理学からの説明も明快で、歴史や経済に疎くてもひきこまれる。
吉村千彰(朝日新聞社読書編集長)
- インヴィジブル(ポール・オースター著、柴田元幸訳、新潮社・2268円)
- 国宝 上:青春篇 下:花道篇(吉田修一著、朝日新聞出版・各1620円)
- 源氏物語? A・ウェイリー版(紫式部著、アーサー・ウェイリー英訳、毬矢まりえ・森山恵日本語訳、左右社・3456円)
読書面をご愛読いただきありがとうございます。今年も国内外で災厄が続きました。災害規模のようには数値化できない個人の事情や尊厳を感じた小説を。
①「一九六七年の春、私は彼と初めて握手した」。作家のジムに届いた元学友アダムの手記には、〈これはフィクションではない〉との添え状が。殺人、禁断の愛、白血病……。不穏な出来事が続くが、真相はあいまいで不可視(インヴィジブル)のまま。人生は謎だらけだ。
②極道の家に生まれた天才・喜久雄と努力の御曹司・俊介。美貌の女形2人が歩む芸の道は、険しい上に落とし穴も。歌舞伎の世界を知らなくても自然に引き込まれる語り文体の妙。
③20世紀前半の英国で刊行された「The Tale of Genji」の現代邦訳。2巻は、光源氏(シャイニングプリンスゲンジ)が〈須磨での流謫(エグザイル)から恩赦〉になった「澪標(みおつくし)」からの18章。馬車に乗り、御殿(パレス)で琴(シターン)を弾く姫(プリンセス)たちは、意思明確でキャラが立つ。驚きの読みやすさ。