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個と集団、ぶつかる価値観 テネシー・ウィリアムズ「欲望という名の電車」

Tennessee Williams(1911~83)。米国の劇作家=AP

桜庭一樹が読む

 「『欲望』という名の電車に乗って、『墓場』という電車に乗りかえて、六つ目の角でおりるように言われたのだけど――」
 という有名な台詞(せりふ)とともに、一人の女が運命的に登場する。
 時は第二次世界大戦終結のしばらく後。舞台はアメリカの工業都市ニューオーリンズ。女は南部の没落地主の長女ブランチで、食い詰めた末、この町に住む妹を頼ってやってきたのだ。
 妹の夫スタンリーは、労働者階級の無骨(ぶこつ)な男。気位の高いブランチのことが気に入らない。
 スタンリーは新しい時代を象徴する都市の労働者だ。妻子という核家族と、気の合う仲間たちを大事にする男の一人。一方ブランチは、終わりゆく時代を象徴する存在だ。屋敷で大家族と暮らし、土地と労働者を管理した頃の価値観で生きている。
 だから、ブランチは、
「強い人間になれないとき――弱い人間は強い人間の好意にすがって生きていかなければならないのよ」
 と訴える。長らく弱者たる労働者を守ってきたから、落ちぶれた自分にも、今度は誰かが手を差し伸べるべきだと信じているのだ。でもスタンリーは、妻でも子でもない彼女を助ける気がない。二人の対立は時代と時代のぶつかりあいでもあるのだ。
 作者は一九一一年ミシシッピ生まれ。幼年時代を南部で大家族の一員として過ごし、後に両親と姉と都市に移住した。人一倍繊細な姉が都市で神経を病んだことが、作風に強い影響を与えたと考えられている。
 ラストでスタンリーは、最も彼らしく、ひどく短絡的な方法でブランチを叩(たた)きのめす。そのことによってブランチは都市から排除されるのだが、皮肉なことに、その展開こそが、たった一つの救いの手でもあって……。
 本書を読むと、都市生活者として身につけた個人主義と、大きな何かの一員でいたいという欲望、つまりはスタンリーとブランチが心の中でぶつかりあって、息苦しくなる。いまなお人々の価値観を揺さぶる問いに満ちた傑作だ。(小説家)=朝日新聞2019年1月19日掲載