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言語の限界 小説家・磯崎憲一郎

横尾忠則 芸術と平和 2006年 広島市現代美術館蔵

語り得ぬ世界に向き合う

 「大拙、その可能性と不可能性」(群像二月号)と題された、安藤礼二、中島岳志、若松英輔による、日本の近代思想と表現をめぐる鼎談(ていだん)の中で、そこまでの話の流れを断ち切るようにして、ほとんど唐突に、若松はこう発言する――「(本居)宣長は歌を詠みます」。続けて「論理の枠からこぼれ落ちるもの、言語では語り得ないものを歌に託した。和歌は、言葉の業でもあるが、沈黙の業であることも宣長は深く認識しています」と述べ、「非言語的実在とふれ合っている人間だけが語り得る、井筒俊彦が言う片仮名の『コトバ』、非言語的な意味の領域」を「近代は見過ごしてきたのではないのか」と指摘する。
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 ここでは小説や詩とは本来、言語化などとうてい不可能なはずの混沌(こんとん)とした事象もしくは極めて個人的な感情を、よりによってその言語を用いて表現しようという矛盾を孕(はら)んだ芸術であることが再確認されていると同時に、既視感の漂うストーリーに乗せて現代を描いたように見せながら、延々と作者の持論の説明に終始している小説ばかりが量産される、文芸の現状に対する批判が込められているようにも読める。そもそも作品のテーマや執筆の動機を作者が説明できるぐらいならば、手っ取り早くそれを論述して終わりにすればいい、原稿用紙何百枚分にも亘(わた)る小説を書く必要などないのだ。本物の小説とはいつでも、しょせんは差異の体系に過ぎない言語の限界を前提としつつ、その限界を乗り越えようとする無謀な試みとしてのみ、我々の前に現れる。
 リービ英雄「西の蔵の声」(群像二月号)の冒頭、主人公は石壁に囲まれた真っ暗な部屋で、息苦しさに目を覚ます。「空気の断崖を手で掴(つか)んでよじ登るように」慎重に起き上がり、ラベルにポタラ宮の描かれた高山病薬を服用して、酸素ボンベを吸引するという一連の動作によって、ここはチベット高原の古都ラサらしいことが示されるのだが、必死で眠気に耐えながら植物が光合成を再開する、日の出を待つ主人公がやがて目にするのは、意外な、慣れ親しんだ光なのだ。「障子を通して流れこんだ光が畳の黄ばんだ表面を渡った。新宿の光だった」。光そのものを識別し、名付けることなど不可能なのと同様、作者にとっては言語も、作中「島国のことば」と呼ばれる日本語、母語である英語、中国語、チベット語と、その都度様相を変えてしまう、けっして自明の記号ではない、にも拘(かか)わらず、その言語だけを携えて、作者は世界に立ち向かっていく。「鎮まることのない軋(きし)む音に交じった、かれには意味をなさない異質な音階の囁(ささや)きを耳にして、不可解な文字が視野に入ってはそれをくり返し廻(まわ)し、何か分からないものに耳と指先の両方で近づいた」。この作品は母親の「不在(ブーザイ)」の悲しみに貫かれていることは間違いない、しかしその一点に収斂(しゅうれん)するのではなく、一人の人間の中に沸き起こる複数の言語と文化、過去と現在の共振として読まれるべきように思う。
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 黒田夏子「山もどき」(文学界二月号)は、一般には富士塚と呼ばれる、江戸時代に富士信仰の講中が築いたとされる、今も都内の寺社の境内に百以上が遺(のこ)る小さな山への感興と、そこから手繰り寄せられる遠い記憶が、この作者独特の横書きの、平仮名を多用した文体で綴(つづ)られていく。「とどのつまりその庭がその庭であることが、なにでもない、なににでもなりうる、あてどなくとりとめない庭であることが、じゅうぶん気にいっているらしいと、幼年はなんとなくわかっていた」。これは作品の後半、もしかしたら持ち主はそこに「山もどき」を造ろうと考えたのではないかと語り手が不意に思い付く、幼い頃の一時期を過ごした庭を回想する部分なのだが、多くの書き手がもっと安易な方法へ逃げてしまうであろう、奇妙に入り組んだ愛着を入り組んだままに描くという困難に、この作者は果敢に挑み、そして見事な勝利を収めている。=朝日新聞2019年1月30日掲載