1. HOME
  2. インタビュー
  3. 作家・井上光晴とその妻、そして瀬戸内寂聴…長い三角関係の心の綾 井上荒野さん「あちらにいる鬼」

作家・井上光晴とその妻、そして瀬戸内寂聴…長い三角関係の心の綾 井上荒野さん「あちらにいる鬼」

文:瀧井朝世 写真:斉藤順子

――これまでも小説のなかに、お父さんである作家の井上光晴さんや、彼と恋仲であった作家の瀬戸内寂聴さんを彷彿させる人物が登場していたことはありますが、ここまでご両親や寂聴さんの関係をモデルにしてはっきりと書かれたのは、今回の『あちらにいる鬼』がはじめてですよね。

 はい。4年ほど前、母が亡くなって1年くらいたった頃に、編集者からうちの父と母と寂聴さんの関係を書いてみませんか、と提案があって。その時は「無理無理」って言ったんですよ。「そんなスキャンダラスなこと書きたくない」って。それに、うちの両親はもう亡くなってますけれど、寂聴さんはいらっしゃるじゃないですか。そんな恐れ多いことはできない、と伝えました。それでも、なんとなく、自分ならどんな小説を書くかな、とは考えてはいました。
 寂聴さんとはもともと交流があったのですが、ちょうどその頃、調子があまりよくないと聞いたんです。その後またお元気になられたのですが、その時は「もう会えないかもしれない」と思い、それで、江國香織さんや角田光代さん、うちの夫や編集者と一緒に京都の寂庵を訪ねました。最初は寂庵でみんなで喋って、食事も一緒にして、最後は祇園のお茶屋さんまで行ったんですが、寂聴さんはその間ずっと、うちの父のことをお話しになるんですよ。私へのサービスもあったのでしょうけれど、ああ、父のことが本当に好きだったんだなって思いました。父との恋愛をなかったことにしたくないんだろうなって。そこにぐっときちゃったんですよね。それで、すごく書きたい気持ちになりました。書いて、寂聴さんに読んでもらいたいな、って。そこから本格的な準備に取り掛かっていきました。

寂聴さんは「もちろん書いていいわよ、なんでも喋るから!」

――もともと交流があったとのことですが、そもそも寂聴さんは井上さんのデビューのきっかけとなったフェミナ賞の選考委員だったんですね。

 同時受賞が江國香織さんと、もう一人いて。その後も、パーティでお会いしたり、雑誌で対談する機会が何度かありました。それに、作中にも書いていますが、寂聴さんが使わなくなったベッドを父がもらってきたりしていましたし。実は私がいま使っている仕事机も、寂聴さんからいただいたものなんです(笑)。

――そうなんですか(笑)。寂聴さんには事前に「書きます」とお伝えしたのですか。

 はい。改めて「書きたい」と話にいったら、「もちろん書いていいわよ、なんでも喋るから!」って(笑)。それで何回か京都に足を運んで、お話をきかせてもらいました。「この時はどうだったのか」とか「なぜ出家したのか」などと事前に質問を用意していたのですが、本当になんでも話してくださって。でも、きっと私に話さないこともあるし、話してくださったことが全部が本当のこととは限らないだろうから、基本的に創作しよう、という立ち位置で聞いていました。

――ほかに執筆に際して参考にしたものはあったのですか。

 寂聴さんの著作に、明らかに父のことを書いていると分かる私小説があるので、そういうものも読みました。あとは父と寂聴さんの年表を並べて「この時はどうだったのかな」と確認したりして。眺めながら「この2人が最初に男女の関係になったのはこのあたりかな」なんて考えいたりして、自分は何をやっているんだろうと思いました(笑)。
 でも年表を見比べるのって、謎解きみたいなところがありましたね。寂聴さんが出家したのって、父が調布に家を建てたのとほとんど同じくらいの時期なんです。なんだかんだ言っても父は家庭を続けていくんだなってことの象徴が調布の家で、そのあとに寂聴さんが出家した、というのは興味深いことですよね。そういうことを発見していくのは面白かったですね。

――両親のことを男と女として考えるのって、難しいところもあるように感じるのですが。

 それが意外となくて。彼らの性生活を書いているのに抵抗がない。それはやっぱり、これが小説だからですよね。ルポルタージュではなく、基本的には私の創作です。父であり母である人のことを書いているけれど、私にとっては彼らは小説の登場人物なんです。だから、この三人の事実を書いたわけではなくて、私にとっての、この三人の真実を書いたんだなって思います。

母がどういう気持ちでいたのかが大きな謎

――本作は、作家、白木篤郎の妻、笙子と、篤郎と恋仲になる作家の長内みはるという、二人の女性の視点で交互に語られていきます。最初から女性二人の視点で書こうと思ったのですか。

 最初は、自分の視点で書こうと思ったんです。子ども時代の自分に見えていた、寂聴さんの気配を含んだ父と母の風景と、現在見えている風景と。でも実際書いてみたら、それだとエッセイになってしまうんですよ。以前書いた『ひどい感じ 父・井上光晴』の続編みたいになってしまう。それに、その書き方だと、私のいない場面が書けず、想像の余地が狭くなってつまらない。
 私がこの小説を書きたいと思ったのは、寂聴さんは父が本当に好きだったんだなということに感動したからでもあるし、それともうひとつ、母がどういう気持ちでいたのかが自分にとって大きい謎であり、その謎を解きたいという気持ちがあったからなんですよね。それでふっと、「この二人の視点で書いたらどうか」と思いついたんです。その瞬間すぐに「なんてことを思いついてしまったんだ、自分にできるだろうか」と怖くなりましたが、それでしか書く意味はないだろうと思いました。今振り返ってみても、それは正しい選択だったと思います。

――強烈なエピソードが多くて、これが全部本当だったらすごいな、と思いました。

 もちろんアレンジしましたし創作もしましたが、たとえば篤郎がロシア人女性から下着をもらったという話や、みはるの家に来てそこから他の女性に電話をかけていた、といったエピソードは寂聴さんから聞いた話ですね。
 父が亡くなった後で蔵書を処分するために古本屋さんに2回来てもらったのですが、2回目の人が家じゅう歩き回って、私たちがゴミ扱いしていたものも持って帰ったんです。それで作ってくれた目録を観ていたら、「使用済みパンティ」というのがあったんですよ。たぶん、それがロシア人女性からもらったものなんだろうなと思って(笑)。

――すごい。裏どりができている(笑)。一方、お母さんがモデルとなる笙子さんのパートは、もう取材もできませんし、想像で書くしかなかったのでは。

 母のパートはほとんど私の想像です。当時は私もまだ幼かったのですが、一緒に住んでいた時期のことなので、あの時はこうだったのかななどと考えていきました。ただ、そういうことがある家庭のわりに、あまりそのことは考えていなかったです。それは母が、そんなことが全くないように振る舞っていたから。両親はすごく仲が良かったし、母も愚痴を言うこともなく、父が帰ってくると「お帰り」と言ってみんなでご飯を食べていました。
 ただ、小さい頃、父が出かけては泊まってくるので「どこに泊まっているの?」と訊いたことはありましたね。そうしたら「バーに泊まっているんだよ」って(笑)。大きくなってから、「バーって泊まれないよね」って分かるんですけれど。

書き続けた寂聴さんと書かなかった母

――作中では、井上さんがモデルである娘の海里さんが大きくなった後で、笙子さんが一回だけ、本気で怒りますよね。

 本当に1回、そういうことがあったんです。私はその時、ものすごく動揺して、母は自殺すると心配になったくらいです。そうでなくても離婚すると思った。それでも離婚しなかったのは、その翌年くらいに父の病気が分かった、ということもあるかもしれません。

――他に事実だとしたら驚きだなと思ったのは、笙子さんが実は小説を書いていた、ということです。

 昔、母が私に言ったんですよ。「私も書いていたのよ」って。実際、父の作品のなかに、これとこれは母が書いたものではないかなと思い当たるものがいくつかあるんです。たとえば『明日 一九四五年八月八日・長崎』という小説は、原爆の前日のいろんな人の話が書かれているんですが、最後の章が、生まれてくる赤ん坊に語りかけている母親の話なんです。読者には、この母子は明日死んでしまうと分かるという。それが、父には分からないような、女の感覚で書かれているなって思う内容なんです。
 他にも、初期の短篇には小さい子を持つ母親の視点で、日々の生活の描写とともに、そこに紛れ込むある種の不安が書かれているものがあって、こういうことは父には分からないだろうなと思うんです。今は講談社文芸文庫に収録されていますが、「眼の皮膚」「象のいないサーカス」「遊園地にて」の三篇は、私は母が書いたものだと思うんですよね。私よりも全然うまいんですよ。父の短篇のなかで、私が好きだなと思うものが母が書いたものなんです。

――みはるさんと笙子さんは、「小説を書き続けた人」と「書き続けなかった人」という対比もありますよね。

 そうなんです。母が父の名前で小説を書いたとすると、なんで自分の名前で書かなかったのかなって思いますよね。父が死んだときに母は63歳だったので、それからでも書けただろうと思います。それでも書かなかったのはなぜなんだろうって、すごく考えました。これは愛についての小説なんですけれども、私も書きながら小説を書くってどういうことなんだろうってすごく考えました。
 きっと、寂聴さんは、書いても書いても分からないからさらに書いていた。母は、書いて明らかになることを見たくなくて書かなかった。書いて自分の中にあるものを明らかにしたくなかったんじゃないかな、というのが私なりの考えです。
 私も小説を書いているから分かるんですけれど、書き進めていると突然、「あ、この女はこんな行動をするのか」「私はこんなことを考えていたのか」などと、自分でも思ってもみなかった言葉や行動が出てくることがあるんです。しかも、それですごく自分がダメージを受けることがある。母はそういうことを避けたかったんじゃないかなって気がしますね。まあ、あくまでも私の考えです。

出家した愛人と一緒の墓に入った妻

――ああ、今すごく腑に落ちました。そして愛についての小説としては、「関係を切った女性」「関係を切らなかった女性」という対称性があります。

 寂聴さんは途中で出家して父を切ったわけですが、母は父と別れなかったし「一緒のお墓に入れて」と頼んで死んでいったという事実がある。それはなんでだったのかなと考えることが、書くことに繋がっていったんじゃないかな。書いている間に、母の父に対する思いは愛が100%ではなかったと思うけれど、でも一番大きいのはやっぱり愛だったんじゃないかと思えました。それで、最後の「篤郎のことだけを考えている」という一行が決まったわけです。本当のことは分からないけれど、母は父のことだけを考えて死んでいったんだなと、書いていて思いました。

――みはるが出家を決意した心理も、書いていてしっくりきましたか。

 人はやっぱり生きていかなければいけないので、自分がこれからも自分であるため、自分で納得するように生きていくためには、出家という手段でバサッと関係を切ることが必要だったと考えました。母がずっと父の女性関係をないことのように暮らしていたのも、生きていくための方法だったと思う。どちらが正しいとか正しくないかは、私にも、誰にも言えないことですよね。

――みはるさんが出家した時期に、笙子さんは一度だけ、他の男の人と関係を持とうとしますよね。

 本当かどうかは分かりませんが、父が寂聴さんに、「うちの嫁さんは一回だけ他の男と寝たことがあるよ」って言ったことがあるらしいんです。実際にそういうことがあったとしても、いつ、相手が誰かも分からないので、その部分は私の創作です。ただ、みはるさんが出家するなら、自分もそれに見合うものをと思って、こういう行動をとったんだろうなと考えました。

――次第に、みはるさんと笙子さんの間に、友情というか、共感めいた感情が生まれていくんですよね。妻と愛人というと敵対するイメージがあるけれど、決してそうではない。

 一般的には夫に愛人ができたら、相手の女を憎むのが普通だと思われているけれど、普通なんてどこにもないんですよね。どういうふうに思い、どういう態度で処するかは、人の数だけ違うんだなと思います。
 もともと母は、父の他の女の人のことを私たちの前で悪く言ったことはないんです。きっと、怒るとしたら父に対してであって、寂聴さんに対してはむしろ、どうしようもない男を愛した者同士としてのシンパシーがあったのかなと思います。寂聴さんのことはむしろ好きだったんじゃないかな。
 作中にも晩年の笙子がみはるに小説の感想を書いた葉書を出しますが、それも本当のことです。私は寂聴さんにうかがうまで、そのことを知りませんでした。ちょうど一緒に暮らしていた時期なのに、私に言わず、寂聴さんが雑誌に書いた小説を読み、本当にその小説がいいと思って葉書を出したんでしょうね。もう自分の死期を知っていた時期ですから、お別れの挨拶をしようとしたんじゃないかな。もしも憎んでいたとしたら、そんな葉書は書きませんよね。

井上光晴はなぜモテた?

――それにしてもお父さん、もしくは作中の篤郎さんは、どうしてこんなにモテるのでしょう。

 いいなと思う女性がいると、全身全霊でサービスする。寂聴さんも言っていましたが、その女の人がいちばん言ってほしいことを分かってるんですよね。こう言えばこの人は喜ぶということ分かっていて「あんたいいね」と言うから、女の人はぐらっとくる。父親としては問題があったかもしれませんが、男としてはものすごく魅力的だったと思います。
 母に対しては、他に何人の女の人がいたとしても「あんたが一番」って言っていたんですよね。同じことを他の女の人にも言っていた可能性はあるかもしれませんが(笑)。
 恋愛に関しては、理由なんてないですよね。寂聴さんも「雷に落ちたものだ」と言っていましたし。ただ、話をうかがっていた最後のほうで「歴代の恋人の中で父はどれくらいの位置にいますか」と訊いたら「みんなつまんない男だったわ」って(笑)。格好いいですよね。

――女性2人の孤独は感じますが、篤郎さんの中に孤独はあったのでしょうか。

 あったと思います。父も根源的な孤独を抱えていました。それを女の人で埋めていたところがあったんでしょうね。

――タイトルにはどういう意味がこめられているのでしょうか。

 タイトルのために、普段から気になる言葉をメモするようにしているんですが、そのメモに「愛の鬼」という言葉があったんですよね。後から見て「愛」という言葉は使いたくないなと思いましたが、「鬼」というのは面白いなって。寂聴さんから見たら母のことかもしれないし、母からみたら寂聴さんのことかもしれない。父が鬼ごっごの鬼であるというイメージも浮かびました。「今、鬼はあっちの人のところにいる」みたいな、ね。

――本作を書いてみて、改めて思うことはありましたか。

 自分や家族のことを振り返ったというよりは、自分にとって小説を書くとはどういうことなのかを考えました。やっぱり小説を書くって、自分の一番見たくないところがどうしても露わになってしまう、すごく怖いことなんだと思いました。それでも書くんだよ、とも思ったし、だからこそ書くんだな、とも思いましたね。
 書いてよかったなと思います。やっぱり、母の父への思いをこういう形で文章にできてよかったです。書いている間はクタクタで寿命が縮まった気がしましたが、それだけ本当に、自分が書ける精一杯のことをやりました。

――単行本の帯には、寂聴さんが推薦文を寄せられていますよね。この文言がすごい。「作者の父井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった」「モデルに書かれた私が読み傑作だと、感動した名作!!」「作者の未来は、いっそうの輝きにみちている。百も千もおめでとう」。大絶賛です。連載中から読んでくださったいたのでしょうか。

 連載の第一回が『トリッパー』に掲載された時にお電話をくださって「すごくよかった」「どんどん書いてちょうだい」って励ましてくださいました。連載途中は気になるから読まなかったそうですが、帯文をお願いした後、ある日帰宅したら家の留守電に「すっごくよかった、すっごくよかった、傑作!!!」って(笑)。

――ご両親がこれを読んでいたら、どう思われたでしょうね。

 意外と母と二人でニヤニヤしていると思います。「こいつは何も分かってないな」って二人で言っていると思うんですけれど(笑)。でも、なにか、喜んでいるような感じはしますね。

――井上さんは高校生の頃からお父さんの手書き原稿の清書をしていたそうですし、やはり作家として影響は受けていると思いますか。

 そうそう、清書もしていたので、最初のうちは父の文体がしみついちゃっていましたね。でも、これを書いたり、母が書いたと思われる小説を読むと、やっぱり私の小説家の資質は、母から受け継いでいるという感じが、すごくします。

――ちょうど、作家生活30周年でもありますよね。振り返ってみて、ご自身の変化は感じますか。

 自分でもびっくりしますね(笑)。興味の対象も変わったし、書くものもだんだん変わってきたなと思う。 今までずっと人間のこと、男と女のことを書いてきたんですけれど、漠然とですが、もうちょっと今の時代とか、社会で起きていること、社会の空気みたいなことを書いてみたいと思いますね。もしも自分が書くのならどんな感じになるのかなということはちょっと考えています。