挿絵や絵本を描くとは思ってなかった
――「さっき買ったチョコレートが気になって眠れない!」そんな経験がある人も多いのではないでしょうか。B・K・ウィルソン作『こねこのチョコレート』(こぐま社)は、4歳の女の子ジェニーが、弟の誕生日プレゼントに自分のお小遣いで買った“こねこのチョコレート”をめぐる物語。イギリスの原作を訳したのは小林いづみさん。初出は、ストーリーテリングに適した国内外のお話を集めた小冊子「おはなしのろうそく」シリーズ(東京こども図書館編)の第20集(1993年刊)で、以後お話会で長く語られてきた。そんな「語り物」のお話に絵をつけたのが、画家の大社玲子さん。大社さんが子どもの本に関わるきっかけとなったのは、学生時代、友人に贈った一枚の手描きの誕生日カードだったという。
大学では英米文学専攻でしたが、仏語講読の『星の王子さま』がいちばん強く印象に残っています。その同じクラスに、子どもの頃好きだった童話が共通して親しくなった友人が出来ました。その友人の誕生日に贈ったカードに描いた絵が、思いがけず彼女の大叔母さんにあたる児童文学者の石井桃子先生のお目に止まったらしいのです。「この人に挿絵を描いてもらったらいいんじゃない」と、当時児童書の出版事業を始めたばかりの「子ども文庫の会」をご紹介くださり、『ルーシーのぼうけん』の挿絵を描いたのが大学3年生の時でした。それから「おはなしのろうそく」シリーズなど、子どもの本の絵を描くお仕事をするようになったのです。授業中のいたずら書きとかは好きだったけど、その時は挿絵や絵本を描くなんて思っていませんでしたね。
――『こねこのチョコレート』は、お話会で聞いて作品の大ファンだった当時の編集者が「耳で聞くだけでもおもしろいお話だから、絵本にしてもっと多くの子どもたちと出会ってほしい」と、絵本化を熱心に提案。「絵をお願いするならこの人しか思い浮かばなかった」と、「おはなしのろうそく」シリーズ創刊時から全巻の挿絵を描いている大社さんに依頼し、一冊の絵本が完成した。
『おはなしのろうそく』で、初めてこの物語のカットを描いた時点では特に惹かれることもなかったので、絵本の企画を伺ってちょっと驚いたくらいでした。「女の子がチョコレートに惑わされるだけのお話なのに、それ以外の空白をぜんぶ絵に任されては、一体どうすればいいの?」と迷い、読者を意識してというよりは、まず私自身の制作欲をいかに掻き立てられるかが問題でした。そうこうするうち、絵本のページを繰るごとの場面展開によって、主人公の心理の移ろいをミステリアスな味わいも加えて描ければ、ごく単純なストーリーを終わりまで引っ張れるかもしれないと思いついたのです。
誘惑に負けて後悔するまでの気持ちの流れを丁寧に描く
――物語は「弟のために買ったんだから、食べちゃだめ!」という自制心と、「ひとつくらいなら食べてもいいよね……?」という悪魔の誘いと戦うジェニーの心理描写が丁寧に描かれ、子どもだけでなく、大人の共感も呼ぶストーリーになっている。チョコレートのことが気になって眠れなくなるシーンにページを多く割き、葛藤によって徐々に変化していくジェニーの表情が見どころになっている。
人物のモデルを使うことはほとんどありません。頭の中に自然と浮かんだイメージを鉛筆で何度も描いているうちに、段々と紙の上の人物が生きてくるというか、勝手に動き出すんです。夜中にジェニーがベッドを抜け出して、忍び足でチョコレートの箱まで歩いていくところは描いていて楽しかったですね。
私もお菓子は好きですが、どちらかというと自制心が強い方なのでジェニーのような失敗は経験がないんです(笑)。でも、この本を読まれるお子さんが少しでも感情移入しやすいように、チョコレートを食べてしまったことを後悔するまでのジェニーの気持ちの流れを絵でも丁寧に描きたいと思いました。寝ても醒めても頭に浮かぶこねこのチョコレートの幻想をそのまま画面に映したくて、一所懸命でしたね。
――こねこのチョコレートが空中浮揚していたり、8個あるチョコレートは一つずつ微妙に形が違ったり。ジェニーが頭から離れなくなってしまうほど魅力的なチョコレートは、細部の描き方も工夫されている。
チョコレートが宙に浮かんでいるイメージは、最初のラフの段階からありました。こねこの形も、どうせなら一匹ずつ違った方が可愛いでしょう? それから、光線に語ってもらうよう試みました。暗い室内でジェニーが箱を開ける度、顔に反射する光により、チョコレートに心を奪われてしまう心理状態を視覚的に表せれば良いなと思いました。
――ジェニーとチョコレートの行方はどうなるの?とドキドキしながらも、弟の誕生日は家族全員の笑顔で幕を閉じる。ジェニーの行動を家族が優しく受け入れる、そんな心温まるエンディングも今作の魅力の一つだ。
ずっとミッションスクールに通っていたので、寛容の精神は培われたと思います。やってしまった失敗や罪も、最後には赦しがあり、救われることをさりげなく伝えているこの作品に共感して、絵を描き上げました。
最初の『おはなしのろうそく 20』では冒頭1カットだけでしたが、物語すべてに絵がつき1冊の絵本になった時は嬉しかったですね。いつの間にか長い年月児童書に関わってきましたが、この作品と向き合って、画家として小さなステップですが、階段を一段上ったように思います。