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特別なことがない日常の輝き

辻山良雄が薦める文庫この新刊!

  1. 『明夫と良二』 庄野潤三著 講談社文芸文庫 1944円
  2. 『あひる』 今村夏子著 角川文庫 562円
  3. 『贖罪(しょくざい)』 イアン・マキューアン著 小山太一訳 新潮文庫 907円

 庄野潤三の代表作『夕べの雲』は読んだことがあっても、(1)の存在を知らなかった読者は多いのではないか(筆者もその一人)。このたび一読し、庄野が自身の文学で築き上げようとした世界のゆるぎなさに、あらためて胸打たれた。
 〈山の上の家〉に暮らす5人家族(両親と男の子の兄弟、そして嫁いでいく姉……)の日常は、特別なことは何一つ起こらないからこそ、すべては光り輝いて見える。子ども同士の遊び、食卓での何げない会話……、度々スケッチされる家族の幸福な瞬間は、実は失われやすいものでもある。それを知っているからこそ庄野は、自分の愛するものを、繰り返し何度も書いたのではないだろうか。作品の底で絶えず静かに流れる、〈時間〉に心揺さぶられる作品。

 (2)に感じる怖さは、小説でのみ表現可能なものではないだろうか。ある家族のもとに〈あひる〉がやってきたその日から、主人公の身の回りの物事は、少しずつズレはじめていった。「のりたま」と名付けられたあひるはいつの間にか入れ替わり、自分の家はあひるを見にきた子どもたちで占拠される……。たびたび起こるどこか奇妙な出来事は、著者の素朴な筆致で書かれると、途端に実感がこもり説得力を増すから不思議だ。
 今村の書く家族には、ほの暗い淋(さび)しさが漂っている。その淋しさや孤独が、登場人物たちを奇妙で滑稽な行動に走らせるのだ。手触りだけがはっきりと残る、夢で起こった出来事のような話。

 (3)夏の暑い一日、姉と恋人の「ショッキングな」場面を目撃した13歳の少女・ブライオニーは、その夜に起こった別の事件で、自らの妄想に基づく誤った証言を行ってしまう。その証言は恋人たちを引き離し、やがて大人になり罪の意識にさいなまれた彼女は、ある行動をとりはじめる……。
 一旦(いったん)起こってしまったことは、あとから修復が出来るのか。むしろ何かが終わってからがはじまりではないのか。綿密な心理描写と、胸に響く重厚なストーリー、小説を読む愉(たの)しさに満ちた作品だ。=朝日新聞2019年2月16日掲載