書名が全てを物語っている。あの三億円事件の真犯人による手記という主張だ。小説投稿サイト「小説家になろう」で800万ページビューになって出版にこぎつけた点では、ネット小説の典型的な成功例でもある。
だから読者には以下の類型が考えられるだろう。(1)「ネット小説のレベルを知ろうとする勉強家」(2)「三億円事件の隠された真相を知ろうとする実録好き」(3)「この本が紛(まが)い物であるかどうかを見極めようとする好事家」。こうした読者層の複合があってか、本書は大ヒットを飛ばしている。
2013年12月にフジテレビ系で放送された三億円事件をテーマにしたドキュメンタリードラマでは、不良集団「立川グループ」の元メンバーで、事件後に自殺した当時19歳の少年を重要参考人として描いていた。この小説の作者「白田」(文中でもほかの人物からそう呼ばれる)は、報道で「S」とイニシャル書きされたその少年を「省吾」とキャラクター化、彼を貶(おとし)める罠(わな)を最後に乗り捨てたクルマに残すという物語を綴(つづ)る。それが「犯人しか知り得ない事実」となる。しかも省吾の恋人を奪う恋愛模様まで絡む。
小説の基調は「慚愧(ざんき)」。ただし、Sが登場することで疑問も湧く。白田はSのグループに所属していたと読めるが、書かれていることが本当ならグループをマークしていた警察の追及があったはずだ。事件後、完全に潜伏に成功したのだろうか。(1)(2)の読者はそうした点でリテラシーを試されるだろう。
(3)の読者に向けたパッチワーク性もある。当初、作品で犯人たちは盗んだカネを米軍基地内に隠そうとしていた。これは松本清張の短篇(たんぺん)『小説3億円事件』の転用だろうか。また、省吾が米軍兵士に体を売っていた設定は、三億円事件が公訴時効を迎える1975年にTBS系で放映されたカルト的ドラマ「悪魔のようなあいつ」で、沢田研二扮する事件の犯人が男娼(だんしょう)だった設定と同じだった。
◇
ポプラ社・1080円=9刷13万部。18年12月刊行。編集者は「話題になるにつれ、読者層は高年男性から若い層に広がっている」。=朝日新聞2019年2月16日掲載
編集部一押し!
-
著者に会いたい 『蔣介石 「中華の復興」を実現した男』家近亮子さんインタビュー 「敵か友か」問われ続けて 朝日新聞文化部
-
-
朝宮運河のホラーワールド渉猟 織守きょうやさん「あーあ。織守きょうや自業自得短編集」インタビュー 他人事ではない怖さに包まれる 朝宮運河
-
-
杉江松恋「日出る処のニューヒット」 宮島未奈「成瀬は都を駆け抜ける」 最強の短篇作家の技巧を味わう(第33回) 杉江松恋
-
インタビュー 彬子さまエッセイ集「飼い犬に腹を噛まれる」インタビュー 導かれるまま、ふわりふわり「文章自体が寄り道」 吉川明子
-
インタビュー 刺繍作家junoさん「ぱくぱく ぱんだちゃん」インタビュー 布の上に命を宿すような感覚で 加治佐志津
-
オーサー・ビジット 教室編 情報の海に潜む罠 感じて、立ち止まって、問いかけて 国際ジャーナリスト堤未果さん@徳島県立城東高校 中津海麻子
-
トピック 【プレゼント】第68回群像新人文学賞受賞! 綾木朱美さんのデビュー作「アザミ」好書好日メルマガ読者10名様に PR by 講談社
-
トピック 【プレゼント】大迫力のアクション×国際謀略エンターテインメント! 砂川文次さん「ブレイクダウン」好書好日メルマガ読者10名様に PR by 講談社
-
トピック 【プレゼント】柴崎友香さん話題作「帰れない探偵」好書好日メルマガ読者10名様に PR by 講談社
-
インタビュー 今村翔吾さん×山崎怜奈さんのラジオ番組「言って聞かせて」 「DX格差」の松田雄馬さんと、AIと小説の未来を深掘り PR by 三省堂
-
イベント 戦後80年『スガモプリズン――占領下の「異空間」』 刊行記念トークイベント「誰が、どうやって、戦争の責任をとったのか?――スガモの跡地で考える」8/25開催 PR by 岩波書店
-
インタビュー 「無気力探偵」楠谷佑さん×若林踏さんミステリ小説対談 こだわりは「犯人を絞り込むロジック」 PR by マイナビ出版