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無数の意味に絡めとられた女性像を解きほぐす 「信仰」#3 谷澤紗和子×藤野可織展

文:太田明日香 写真:平野愛

 この展示は、若手アーティストと若手キュレーターを育成するためのプログラム「ALLNIGHT HAPS(オールナイトハップス)」の企画の一環。ガラス張りのギャラリーをショーウィンドウに見立て、夜じゅう外から作品を鑑賞できる。「信仰」と題された展示は11月から開催されており、谷澤さんも含めた3組のアーティストの作品が月代わりでおよそ1か月にわたって展示されてきた。谷澤さんはキュレーターとして全体の構成やテーマ設定にも関わっている。信仰をテーマにした理由を谷澤さんはこう語る。

谷澤 現代社会で信仰といっても日頃から神様が絶対のものだっていう感覚を抱いて生きている人は少ないと思うんです。でも、人間ってそういう中でも何か信じないと生きていけないし、信じることがないって状態はすごくきつい状態だと思うんですよね。理由なしに何かを信じていることが、生きるためのとっかかりなんじゃないかなと思って、そのとっかかりに触れられるような展示ができたら面白いなと。

谷澤紗和子さん。展示と関連する藤野さんの小説を教えてくださいと聞いたところ、短編集『ドレス』の中の「マイ・ハート・イズ・ユアーズ」をすすめられた。谷澤さんは妊娠中に読み、深く印象に残ったそうだ。筆者も好きな短編の一つで、オチの衝撃が未だに忘れられない。
谷澤紗和子さん。展示と関連する藤野さんの小説を教えてくださいと聞いたところ、短編集『ドレス』の中の「マイ・ハート・イズ・ユアーズ」をすすめられた。谷澤さんは妊娠中に読み、深く印象に残ったそうだ。筆者も好きな短編の一つで、オチの衝撃が未だに忘れられない。

 藤野さんと谷澤さんのコラボは2回目。2015年に谷澤さんの「無名」と題された人形のような焼物を元に藤野さんが小説を書いたのが最初だった。今回は逆で、藤野さんが「信仰」をテーマに書いた小説を元に谷澤さんが切り紙作品を作った。ギャラリー内には畳二畳分はあろうかと思える巨大な切り紙作品、そして、正面扉には鏡のように光る文字で小説が描かれている。

谷澤 もともと藤野さんの作品が好きでした。物語の余白が大きくて、こちらの空想をとても誘発させられる。しかも、読み進めるほどに少しずつイメージがずらされて、気付いたら思ってもみない所に立たされているような感覚にさせられる手法が、作品と合うと思いました。

藤野 谷澤さんとやるなら二人とも女性だし、女性に関係したテーマにしたいと思っていました。特定の宗教というよりは何か神話的なにおいのするものにしたいということが念頭にありました。

 小説の出だしはいきなり「わたしは神として生まれたので、人間のためにいろいろなことをしてやらねばなりません」だ。語り手は自分が神であり、人間を自分より下位のものと捉えており、自分がいないと人間は何もできないと思い込んでいる。結末は実際に読んでほしいので明かさないが、この小説は「信仰」展のもう一つのテーマである「女性」にも関わるそうだ。

藤野 世界には一種類の人間しかいなくて、それは男で、そうでない自分は神であると思い込もうとしている人の一人称という小説です。いろんな文化の中での女性の扱いって面白くて、下働きみたいな扱いもあれば、妙に神格化するときもあるじゃないですか。でも神格化してもらっているからってありがたいわけじゃなくて。神格化も一種の差別ですよね。それを盛り込めたらいいなと思いました。

藤野可織さん。展示と関連する小説を教えてくださいと聞いたところ、お伽草子をモチーフに書いた絵本『木幡狐』をすすめられた。狐と人間との悲恋譚を軽快な話に改変。「人間に化けられるようなすごい能力を持った狐が、なんで人間なんかに振り回されないとあかんねん!といういらだちからできた小説です」
藤野可織さん。展示と関連する小説を教えてくださいと聞いたところ、お伽草子をモチーフに書いた絵本『木幡狐』をすすめられた。狐と人間との悲恋譚を軽快な話に改変。「人間に化けられるようなすごい能力を持った狐が、なんで人間なんかに振り回されないとあかんねん!といういらだちからできた小説です」

 そう聞いて改めて読んで見ると「〜してやる」という表現の多さが目立つ。読み進めるうちに、こちらは男女対等な立場だと思っているのに、相手は自分をそう見ていないときに抱くコミュニケーションギャップを強く思い出して、背中がぞわぞわしてきた。この違和感は切り紙の方でも表現されている。

谷澤 作品の中に、女性に過剰なまでに意味づけられてきたことをさまざまなモチーフで表しています。例えば、おかめと般若のドローイングを作品に施していますが、それは女性は舞台に上がらせてもらえず、いるのにいないことにされてきたことの象徴、壷のモチーフは女性が見られる対象とされてきたことの象徴です。というのも焼物を評価するとき「女性のフォルムをかたどって美しい」という言い方がよくされます。でもそれは、評価軸は男性にあり、女性は常に見られる側だったということだと思うんです。

 人間は男女二つの性に分けられる、そして男は男らしく、女は女らしくあるもので、性別の違う者同士が恋愛感情によってペアになるものだ、という考え方がある。それだって、一種の信仰だったのではないか。しかし、今の時代にちょっとその信仰は古くなってきているのではないかと思う部分もある。だからその信仰をアップデートする必要がある。
 さまざまな民話や神話の中では、古い神や道具は大事にしなければたたると言われている。闇の中で浮かび上がるのは、古くなって誰からも相手にされなくなった女性像の塊のようにも、セクハラや差別発言を生み出す怨霊のようにも見えた。「お前はいつまでその古い信仰にすがるのか」と、問いかけられているかのようだった。