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「美しい本 湯川書房の書物と版画」展 本を手にする喜びを形に

湯川書房が手がけた本 ※1(神奈川県立近代美術館蔵、撮影:佐治康生)

湯川書房とは

 湯川書房は1969年に大阪市で設立。主人の湯川成一さん(1937〜2008)は書物の工芸的な美しさに魅了され、証券会社で働くかたわら、独学で本づくりを始めました。

湯川成一さん(撮影:藤崎雅実)

 文芸や詩歌を中心とした作品選びにはじまり、作品にふさわしい本としての装いを考え、時には気鋭の美術家たちと共に美しい本を生み出していきます。辻邦生『北の岬』を1作目に、小川国夫『心臓』、村上春樹『中国行きのスロウボート』、車谷長吉『抜髪』などを次々と刊行し、蒐集家はもちろん作家からの支持も集めました。「自分の意のおもむくままに美しい本を作りたい」。その願いは後に会社勤めを辞めて出版業に専念するほど強い思いであり、そんな湯川さんが作る本だからこそ、多くの人を魅了したのでしょう。

展示風景より。左から『加藤周一詩集』加藤周一(著) 1975年、『中国行きのスロウボート』村上春樹(著) 1984年、『茴香變(塚本邦雄自選歌集』塚本邦雄(著) 1971年

展示風景より。左から『和紙落葉抄』壽岳文章(著) 1984年、『羊腸詩集』高梨一男(著) 1984年

展示風景より。左から『車谷長吉句集』車谷長吉(著) 2000年、『抜髪』車谷長吉(著) 1996年

 限定本の販路は限られたものでしたが、湯川書房には文学者や美術家たちが集まっては文学や芸術の話に花を咲かせていたといいます。その光景は、1998年に湯川書房が京都に移ってからも変わらなかったそうです。2008年に湯川さんの急逝で湯川書房の活動は幕を閉じましたが、翌年その活動を記録に残すべく追悼文集と出版目録が支援者たちによって刊行されました。

展示風景より。左から2009年に刊行された出版目録と追悼文集

対比が織りなす美しさ

 本展では、蒐集家の岡田泰三さんが神奈川近代美術館に寄贈した限定本を中心に、湯川書房が手がけた叢書や雑誌、書房ゆかりの版画家・柄澤齊(ひとし)さんによる木口木版など、およそ90点を通して湯川書房の全貌を紹介しています。

 「湯川さんが手掛ける本は、体裁や形としてはオーソドックスな本の形を守っていますが、色や素材の質感の対比が大胆な点が特徴です」。そう教えてくれたのは、本展を担当した学芸員の菊川亜騎さん。例えば、小川国夫『心臓』は、一見地味な段ボール製の外箱から取り出すと、深紅の別珍でできた帙(ちつ)に包まれた本が姿を現し、さらに帙を開くと鮮やかな水色の表紙が目に飛び込んできます。作品の世界観はもちろん、本を手にしたときの驚きやワクワク感といった楽しみまでも、鮮やかな色づかいと素材感で表現しているようです。

『心臓』小川国夫(著) 1969年(撮影:佐治康生)

『谷崎潤一郎家集』谷崎潤一郎(著) 1977年。パッと目を引く黄色い外箱に、美しい着物の裂地を用いた装幀で谷崎が持つ華やかなイメージを体現

俳句や和歌の本では和装本も制作。和装本を収納する帙は、無双帙や四方帙など作品に合わせて仕様を使い分け、帙を開くと本の表紙との対比を楽しめるようになっている

独自の美意識で見出した美術家たちと共作

 もう一つ、湯川書房を特徴づけることとして、美術家たちとの協働制作が挙げられます。特に1980年代にはさまざまな美術家たちとのコラボレーションが実現しました。版画家を中心に気鋭の美術家たちに装画や挿絵を依頼し、彼らの文学作品に対する解釈を尊重して本づくりを一任していたそうです。しかも、使用する素材の制限もなく、自由に制作ができたというのには驚かされます。

版画家・木村茂の銅版画を表紙にした『神さまの四人の娘』辻邦生(著) 1972年

 菊川学芸員によれば、湯川書房との出会いが本で表現することの第一歩となった美術家も多いとのこと。全ページ型染による布の絵本『出埃及記(しゅつえじぷとき)』を手がけた、染色家の望月通陽さんもその一人だといいます。

染色家・望月通陽が手がけた湯川書房の本たち。左が塚本邦雄との共作『出埃及記』(1980年)

 美術家たちをも巻き込み、「美しい本」を追求した湯川さん。その美意識とこだわりから完璧主義者かと思いきや、おおらかな一面がうかがえるエピソードもありました。

 限定100部で作られた、白洲正子『比叡山回峯行』。先述した染色家の望月さんとの共作でしたが、残り15部というところで表紙に使っていた布地が足りなくなるという不測の事態に。そこで生まれたのが、本展で展示されている異装本です。本来は1枚の布地から表紙が作られ、望月さんの染めで題字があしらわれる予定でしたが、分割して背表紙部分をモロッコ革で継いでいます。画一的な製品としての本を作るのではなく、その時々の素材や人との出会いの中で臨機応変に「美しい本」の在り方を見出す。そうした本づくりに対するしなやかな姿勢も湯川書房の魅力の一つではないでしょうか。

偶然から生まれた白洲正子『比叡山回峯行』(1994年)の異装本

 湯川書房が本格的に出版を始めた1970年代は、大量生産・大量消費の大衆消費社会のまさに真っ只中。そうした時代の流れに抗うようにして花開いた限定本文化は、大きな広がりを見せる現代のZINEカルチャーにも通じるものがあるように感じます。

 外箱や表紙の見た目、紙や布などの素材の手触り、本の重みや厚み――。直接触れることはできなくても、ものとしての本の魅力を再認識させてくれる展覧会です。ぜひ、その目で確かめてみてください。

湯川書房が手がけた本 ※1(中央から時計回りに)『ぺレアスとメリザンド』モーリス・メーテルランク(著)杉本秀太郎(訳)柄澤齊(木口木版画)1978年 /『中国行きのスロウボート』村上春樹(著) 1984年/『本とわたし』富士川英郎(著)望月通陽(型染)1989年/『蒐書三昧 山の限定本』高橋啓介(著)望月通陽(型染)1981年/『比叡山回峯行』[異装版]白洲正子(著)望月通陽(ヘラ描染・型染) 1994年/『安土往還記』辻邦生( 著) 1973年/『容器Ⅱ』柄澤齊(木口木版画)、北川健次(石版画)、高柳誠・ 時里二郎(詩)1985年/『物質』永田耕衣(著) 1986年/『失われた指環』加藤周一(著)冨長敦也(銅版画) 2000年